あなたとはなすとき、どうすればいいだろうか?

1.君に何かを伝えたいと思ったとき、どうすればいいだろうか?

僕なんか典型的なんですが、結構多くのヒトは、ヒトの話をそのまんまは理解しようとはしていない気がします。
つまり、自分の体験と結びつけて、解やコメントを出そうとするヒトは多いと思います。その場合、理解に限界があって、自分自身の枠を出た理解ができない気がします。

それと似たようなことで、ヒトって基本的には自分の興味のあることしか聞きませんよね。
その場合も、やっぱり(過去の)自分自身に縛られている気がします。

そういうことから自由でありたいなとは思うし、自分が話をするヒトにもそういうことから自由であってほしいなと思うけれども、それが無理なら別の方策を考える必要がありますね。

例えば、二人の間での共通の認識(思い出や、作品)を媒体にして物事を伝えるということが考えられます。それをトリガー、あるいは比喩にすれば、自分の思うことを100%に近い形で伝えられるかもしれません。

何より大事なのは、「相手の視点に立つ事」。相手は何を求めているのか、何をどのように聞きたいのかということをできうるだけ考えた上で、自分の言いたいことを言う。
逆にヒトの話を聞くときは、あいてがなにを言いたいのか考えながら、相手に任せないで聴く。

それはあまりにも基本ですけれども、僕にとっては難しいことのようです。


2.お前と何かを論じるとき、どうすればいいだろうか?

二人で議論する際、途中から、議論が勝ち負けのようになって、いわゆる「本当の事」から外れて「ロジックの上での真実」を目指してるようなときってありませんか?

世の中の意見というのは、そんな簡単にひとつに統合することはできない気がしますし、そもそもひとつに統合できるかという問題もあります。それは傲慢な態度ではないのか?

しかし、二者間の間でお互いが認め合える共通理解を積み上げて、ベストな結論を目指すことって至極当たり前で大事だと思いますし、そのときに論理的正しさを追求するって重要だと思います。

いわば、上の話というのは、お互いの存在を認めることを装いながらも、心からわかりあうことを放棄しているようにも思えます。
やはり、人間にとって真善美っていうのはひとつのものな気が僕はします。

だから、重要なことはロジック議論の放棄ではなく、議論の際に、常に冷静であること。自分が勝つとか、負けるとか、そんなことではなく、その場で一番真実に近いと思われる結論を出すために、相手と、自分の力を合わせることなのではないでしょうか。

それはあまりにも基本ですけれども、僕にとっては難しいことのようです。
by wavesll | 2006-09-02 11:39 | 私信 | Trackback(1) | Comments(3)
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Tracked from Lost Control at 2006-09-05 04:15
タイトル : 伝わるためにはどうすれば良いか
自分の言った事や行った事がちゃんと相手に伝わっているかどうか気になる時がある。 ... more
Commented by ha at 2006-09-02 19:06 x
これで二度目のコメントになりますかねえ-!人間は自己幻想のなかにいきていますから、なかなか他者と会話がクロスして、またはキャッチボールがうまくできることはむずかしいです。会話そのものが心理ゲームになってしまい、後味の悪さが残ることも頻繁にあるでしょう。
デモね、そんなことぜーんぶひっくるめて、話すことにより自己エネルギーが放出でき、それが又またエネルギーの循環にもなります。だから結果を恐れず、あきらめずたくさん話をしたほうが生命は生き生きします。
それと相手が受け取りやすい形にして伝えるということが大切ですが、
それはねなかなか技のいることで、少しずつ磨いていけば良いんじゃないでしょうか。議論の結果はどうあれ、お互いに自論を吐き出せる面白い関係が良いですね。」それではまた。
Commented by ぼぽみん at 2006-09-03 02:50 x
このような議論を議論すること自体困難きわまる問題ですね。どっちに転ぶかは分かりませんが、時代の流れとしてはアルゴリズムに身をまかせるのが自然でしょう。人間はそれを欲望したから、今現在はこのような社会になっているのだから。とはいっても、このコメント自体もどれだけの視野でこの結論を出しているか定かではない。だから非常に難しい問題なわけです。はやっている仮説思考ではないけれど、だれかが提示した’解’なるものは、一時的なものでしかないとはいえるかもしれません。それは帰納的にという意味の論理です。帰納法というのは明らかだといえる水準が、論理的な世界では一意に決定できるかもしれないが、こと人間の論理にあてはめると拡散します。だから、容易に人文的な問題に理科系的な思考をあてはめるということじたい、ちょっと浅はかです。
人間が科学的な思考をおいもとめる以上、その科学とは何という本質的なものに体当たりしつづけるしか、方法はないのです。
それいがいは、自分自身の価値、経験等の判断に身をまかせて、自分の人生を全うするしかないようにおもいます。(あくまでこれはボクの考えです。論理的根拠はゼロです)
Commented by wavesll at 2006-09-03 16:21
>haさん
コメントありがとうございます。
そうですね、幸いなことに、どんな話でも話せる友人がそこそこいるので、これからも好きに話していきたいなと思います。(このブログもありますしねw)

>ぼぽみんさん
コメントありがとうございます。
(まー正直一生かかってもたどり着けないかもしれませんが)いつか理論で感情に到達したいなーと考えております。
それとは別に、やれることはやっていきたいなとは考えております。
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