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想像への旅4 メディアとネットワーク

1 Intro
2 3つのアイディア
3 裁定とトレードオフとカードダス


さて、先のほうを見て欲しい、目線をちょっと上に上げよう。俺たちが今目指している街が見えるだろう?あの街の名前は「メディア」っていうんだ。

まだメディア市に着くまでにはちょっと時間があるから、先にメディア市の情報を教えよう。メディア市は色んな町からなっていて、その町の名前はテレビ町とか、ラジオ町とか、新聞町とか、インターネット町とかだったりするんだ。もちろん他にも町はあるんだけどちょっとここでは省略させてもらうよ。

じゃあメディア市を一言で言ったらなんだろう。「メディア」は「メディア」だw
はははwwwwwそりゃそうだよwメディアはメディアじゃないかwwww
じゃあ二言三言使ってメディアを話すと、

メディアとは「テキスト」と「コンテキスト」を提供するサービスだ。

「はい!わからない言葉が出てきました!つーか俺がわからない言葉を使うなよ!このクズ野郎が!!!!「テキスト」と「コンテキスト」っていったいなんなんじゃゴラァ!」

OK。すまんすまんw
テキストっていうのは「全体から取捨選択され抽象された情報」、
コンテキストってのは「テキストを理解するうえでの解釈のための情報」
なんだ。

例で話そう。
ここに読売新聞がある。1面トップは今度の参院選の記事だ。
この世界では無数の出来事が起きている。イラクでは人が死に、3丁目の佐藤さんちは子供を授かったかもしれない。でも新聞は紙だから、一度に書けることには制限がある。

制限があるときはどうなるんだっけ?
「パレート!パレート!パレート!」
よろしい。ならばパレートだ。そう、パレートの法則が働くんだ。だから新聞には新聞社が価値があると認めた2割の情報しか載ってないんだよ。下手したら全体の2割以下かもしれない。つまり、全体から取捨選択されて抽象された情報(=テキスト)が新聞(=メディア)には載っているんだ。

そして新聞にはただ、「今月の29日に参院選の投票があります」としか書いてないわけではないだろ?「安倍がどーだあーだ」「小沢があーどこーだ」みたいな感じで語っちゃってるだろ?つまり新聞はテキストを提供すると同時に解釈(=コンテキスト)も提供しているんだ。

だからメディアはテキストとコンテキストを提供するサービスだといえるんだ。

ところでさ、さっきメディア市にはテレビ町とか以外にも町があるって俺はいったけど、それはなんだろう?

例えばヴィレッジバンガード町があると思うんだ。ヴィレバンはなんか面白いサブカルなモノを売ってる店なんだけど、あそこではほとんどすべての商品にポップ(宣伝文句が書いてある紙)がついてるんだよね。

この世のすべての商品の中から抽出したサブカルなモノ(=テキスト)とポップ(=コンテキスト)を提供しているから、さっきの定義で言うとヴィレバンもメディアだと言えるんだ。

例えば美術館はどうだろう?美術館に一度に展示できるアートの数には限りがある。じゃあ展示品は抽象されたテキストで、その解説文はコンテキストじゃん!じゃあ美術館もメディアなんだ。

もっと言えばこの世の中にある全ての店舗はメディアと言えるかもしれない。商品と、それを説明できる店員がいればメディアだよ!この世界はメディアであふれかえっているんだ。

もっと言えば個人もメディアかもしれない。分かりやすいのはブログだ。ブロガーはメディアだ。
つまりメディアってのはテレビみたいなマスコミだけでなく、インターネットのような技術によって制限がはずされればロングテールな状況になってどいつもこいつもメディアになるんだ。

将来はマスコミが2割の価値を持って、個人メディアが8割の価値を持つようになるかもしれない。

ところで、メディアとメディアはつながりあえる。ブログとブログはリンクできる。つまりメディアはネットワークを作れるんだ。

この前俺は自分で情報を持って無くても外部記憶装置においておけばいいじゃんといったけど、ネットワークとして情報を持てば自分は情報を持って無くてもいいんじゃないか?

簡単な例を出すと、君は広辞苑を一字一句いえるかい?言えないっしょw言える必要もないよ言葉が分からなかったら広辞苑見ればいいんだからw

同じようにもし君の友達が何かに詳しかったら、君はその友達の知識を利用できるんだ。利用していいんだ。その代わりにその友達がもってない知識を交換してあげれば貸し借りナシで済むんだ。

想像への旅4 メディアとネットワーク_c0002171_09196.jpg君は『攻殻機動隊』というマンガを知ってるかい?最近アニメや映画にもなった士郎正宗という人が1991年に書き上げたマンガなんだけど、このマンガにはウィンドウズ95が出るずっと前なのにweb2.0どころかweb10.0のインターネット文明が書かれているんだ。非常に示唆に富んだ素晴らしい書物だ。

士郎正宗さんはこんな言葉を書いている。

コピーをとっても原稿がなくならないのと同様に、情報は盗んでも紛失しないので、不正なコンタクト(かどうか見分けるのも一苦労)が進行中か、或いは外部にその情報を知っていると思われる動きがあった時(推理)にのみ盗まれたと判る。盗んだ方も持ってないフリをして情報操作をするので、情報戦とゆーやつは本当はすごく大変だ。つまり電脳界の支配者というのは複数が同時に存在しえて、各ネットとアクセスする鍵あるいは防壁潜りの能力をいかに多く持つかが大きさを決定する。
問題になるのは鍵の多さと(又は防壁潜りの能力)情報処理力であってデータベースのサイズだけではない。莫大な情報をかかえこんでもイミはなく(それらを常時制御下において好き勝手したところでネットを切られて終わるだけ)必要な時に必要なコントロールを行い、しかもそれがバレないのが最も望ましい形である。一ヶ所に情報を保存するより分散して流動させたほうが情報の変化に対応できるし万が一の災難時にも最小限の被害ですむ。つまり電脳人の体(神経)は当人の持つネットそのものであるわけだ。

想像への旅4 メディアとネットワーク_c0002171_10293447.jpg

つまり、自分が全部の情報を知っている必要は無くて、「どこにいけばわかるか」を知っていればいいんだ。あの言葉はググったらわかる。あの公式はあの先生に聞けばわかる。デートで困ったらヤリチンのあいつにオシャレなバーを教えてもらおう。そしたら君のネットワーク(つまり知っているメディアの総体)が君自身の情報力になるんだ。

関連サイト
脳と運動

5 知識と知性
by wavesll | 2007-07-13 10:23 | Comments(0)
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