最初に断っておくと、俺はこんなことをいうキャラではないし、偉そうなことをいえるようなことを四大でしたとは到底いえない。だからこの日記は読みたくない人は読まなくていいです。俺が3年のときの1年とかが読んでくれたら嬉しいけれども。
更に公正を期すために俺の今年の四大への関わり方の予定を言っておくと、せいぜいランテクを数回観るくらいだと思う。本番は両日行くと思うけれども。要は普通のOB二年目として参加する心積もりです。OB発言もあまりせずにしても怒鳴るとかはしないでいいたいことをさらっというだけにしたい。ここらへんも後に書くところと矛盾するんだけれども、まぁ馬鹿が空念仏となえてると思って許してください。
さて、本題。とある人から今年はOB発言はなくなりそうだという話を聞いた。俺はこれは残念だと思う。俺はサークルは大嫌いだったけれどもそれでもなくしてはいけないと思う。
確かにOBはきれいごとをいいがちだ。調子に乗ってやがる。あいつらだってたいしたことをしてないくせにと思ったりもするかもしれない。
でも、実際にやっている人間は現実のタスクに手一杯で、理想が見れなくなることってのはある。そういうときに自分の手を下してない人間の客観的なきれいごとを聞く事は大切だと思う。
逆にOB一年目の連中はきれいごとをいうにも、実現不可能なきれいごとをいってはいけないと思う。実現可能なきれいごとを言うべきだ。
OBは現状を普通知らない。情報の非対称性が存在する。だが、逆に言えば、現状をきちんと把握して、できることと理想の間にあるステップの対害対原因をきちんときれいにいえれば、それはもはやコンサルティングといっていいのではないかと思う。
だからOB発言はコンサルティングの側面を持っていると思う。
次に、岡本太郎じゃないが、芸術は爆発だ。歓喜と憎悪のリビドーの怨念がうずまいてこそ観客の感情を揺り動かすんじゃないか?感情のエネルギーが必要だ。
そしてサークルでのOB発言はいい燃料になると思う。人が怒鳴るのが許される場ってのはなかなかないと思う。
もっといえば、全てが終わったら全部が笑い話のネタになる。
だから、俺はサークルのOB発言はあったほうがいいんじゃないかと思う。
もうコンセでなくすことになってるのかもしれないけれども、駄目なコンセはやりなおせばいいんじゃないか?再考を期待したい。
まぁ俺も大学に5年も通う老害だから、老害らしくほんとは嫌だけど小言を書いてみた。