The Yellow Monkey 『Pearl』
三田で行われた
井筒監督と
金子勝の「夜まで生憲法」というイベントに行ってきた。
結論から言うと、あんまり面白くなかった。特に井筒が。普通の親父だった。金子は少し面白い事いってたが、オヤジどもの青春の貧乏苦労話がウケる時代じゃない。(が、教室を埋めていた連中の中にお年を召した方々が多かったため、教室全体ではウケがよかった)
なんでつまんなかったかというと、井筒と金子の姿勢が反体制過ぎるんだ。いや、俺は
アンチとか、
パンクとかは好きだし、
主流に今駄目だと思われているものが勝つとこを見るのが大好きだが、それだけじゃだめだろう。
朝鮮人や
部落の人々、マイノリティの被差別民は確かにかわいそうだし、彼らにとっての正義がマジョリティの正義とは違うことも分かる。
でも逆に言えばマジョリティにとっての正義は彼らの正義とは違うんだ。
自分たちの主張だけを声高に叫び、相手の言い分を全く聞こうとしなかったら、悲劇が連鎖していくだけだ。
なんで相手がそう想ったのかの根本原因も探って理解して、相手の話のメリットデメリットもわかった上で、「それでも自分にとってゆずれない点がある」とするのが本道だと想う。
自分の意見に夢見心地に熱を上げるのは、もちろん勢いや自信をつけるために必要だが、一方で冷静に現実をみつめることも大事だ。
今年の四大だって、あのジャッジが言っていた「小さい芝居」を「自分たちとは思想が違うから」とハナからはねのけるのではなくて、真剣に有効性を考えて、とりいれるべきところは取り入れた上で、「でもやっぱり自分たちは大きな芝居をしたい」とするのが本道だと想う。
現実を見れば、GPも獲れず、搬入搬出も遅く、技術レベルに関しても低下傾向がここ数年はあるのだから。その現実を受け止めた上で、
夢に向かうべきだと想う。
だから、俺みたいな人として軸がぶれている駄目人間のいうことは、たまになら信じていいけれども、基本的には疑ってかかるべきだと想う。まともなことをまともに頑張っている人間が基本的にはやっぱり一番偉いと想う。
大槻ケンヂと絶望少女たち 『人として軸がぶれている』