Number girl 『I don't know』
『初版グリム童話集』を読みながら三田へ向かった。
『灰かぶり(シンデレラ)』や『ヘンゼルとグレーテル』、『白雪姫』や『赤頭巾』など、人間が主役の話も多いが、『狼と七匹の子ヤギ』や『ねずの木の話』など、人間じゃないものが主役の話も多い。『旅に出たわらと炭とそら豆』なんかわらと炭とそら豆が主役だ。
人間的なキャラも、
魔女や
小人や
悪魔など
超自然的なものが多く、普通の人間でもお姫様や王様だったり、継母にいじめられる子供やとんでもない貧乏人だったり、とにかく「普通の奴」は出てこない。というか、普通の奴は実はとんでもない強欲者として描かれる『漁師とおかみさんの話』というのもある。
たぶん、アートとして面白い人生ってのは、とんでもなく幸福な状況にある奴か、とんでもなく不幸な状況にある奴なんだろう。少なくとも子どもはそういう話じゃないと興味を示さない。
三田から六本木に歩いて、サントリー美術館で開かれている
鳥獣戯画展をみた。
鳥獣戯画として広く知られているウサギやカエルが人間のように楽しく振舞う様子が描かれた絵巻は実は甲巻で、乙巻では動物は普通の動物として描かれ、丙巻では人間も出てくる。そして丁巻では再び人間のような振る舞いを見せる動物と、人間が描かれる。
鳥獣戯画には写本も多く、今オリジナルとされているものも誰が書いたのか諸説あるし、甲乙丙丁で作者も書かれた時期も違うらしい。また写本や模倣品にもそれぞれのオリジナル要素が盛り込まれ、再編集されているものもあるので、鳥獣戯画をめぐる一連の作品群はオリジナルと
シュミラークルの複雑なタペストリーを形作っている。
西洋のデッサンと比べて日本の白描が優れているのはそれ自体でひとつの完成形だからだと想う。西欧絵画の技法だと色が載ってはじめて100%だが、日本画では白地に筆で描かれた世界はそれでひとつの世界として成り立っていると想う。これは
マンガと
アメコミでもそうだし、
ドット絵や
CGの使い方という点でも見受けられる洋の東西の違いだ。東洋では「オリジナル」である現実世界とは別に表象された別のオリジナルの世界が昔から存在していたのではないだろうか。「本当が何か」は
藪の中だ。
それはともかく動物はほんとにいいよな、何やっても「それが自然だから」で済むから。人間は「人間らしい振る舞い」を求められるから、本能のままに全力を出すと周りから非難されてしまう。まぁ動物は非難はしないけど弱肉強食だけどね。
動物の行動になんらかの意味を想像することが出来る思考の柔軟性を普通大人は持たないが、一部の社会では持っている大人もいる。ネイティヴアメリカンの部族は特定の動物を一族の
トーテムとして祀ることでその動物の力を自分も得られると信じていたし、今でもクルマメーカーなんかは動物をモチーフにしてクルマを作っている。(ex.
プジョー=ネコ科、
フェラーリ=跳ね馬科、
ランボルギーニ=猛牛科、
ポルシェ=カエル科)
人間が人間のままでいるのは普通でつまらないと想う。俺は『ドラゴンボール』の世界のように、ブタのような人間やナメック星人の神様がいてもみんな普通の顔している世界の方が面白いと想うんだよな。
でもってそこでできれば
鳥のような振る舞いをしていられれば楽しいだろうなと想うんだ。
I've 『鳥の詩』