友達と汐留で広告展をみたあと、新宿で
『グミ・チョコレート・パイン』を観た。
大槻ケンヂの小説を原作として
ケラリーノ・サンドロヴィッチが監督をした作品なのだが、『世界の中心で愛を叫ぶ』のダークサイドといった出来栄えで、身もだえしてしまった。
クラスの連中はくだらなくて、低級で、話す価値も無いとバカにしながらも、自分では何一つ先に進めずに歯がゆく不安な中高生の頃の俺がいたw俺は最近中二病をぶりかえしているからその分さらに心をえぐられた。
その後横浜で社会人の諸先輩方と飲んだのだが、いいとこなしだった。悪酔いした。なんか根本的なスタンスの違いを感じてしまった。
自分、そして自分と気のあう奴だけが特別で、他はクズだなんて、中高生の頃はみんな想っていて、でも外部者には認められなくて、結局誰も特別でない人間なんだと悟っていくのだと俺は想っていたのだけれども、俺は間違っていたのかもしれない。
最初から最後まで屈折も何もなく、他人に認められない趣味も何もなく、ある意味まっすぐに成長する人もいるのかもしれないと想ってしまった。あるいは屈折を消化しきれる人。そういう人は、普通に大学生を終えたら、普通に社会人をやって、普通に家庭を築いて行くんだろう。それを目指しているんだから、当然なんだろう。
俺はよく「最近面白いことあった?」と人に聞くことが多いのだが、普通、これにまともに返す人は少ない。たいてい「ないですね」と答えてくる。かくいう俺も、中高生の頃並みに今の毎日が面白いかといったらなかなか危ういところだ。そしてこれからも気を抜くとすぐに日常はつまらなくなってしまうのではないかと危惧を抱いている。周りがそうだから。
でも俺はわざわざつまらない日常を生きるために今まで生きてきたわけではないから、少なくとも「俺は今の状況を望んで、楽しめる」といえるようには努力したいとは想う。そのためにはなんでもしたい。これも含め最近の俺の言動は完全に青臭いかもしれないが、じゃあ他に何かあるのかと考えても何も無いからしょうがない。
世の中の平均からしたら俺は違ってるのかもしれないが、その世の中でいう「普通」というのを俺は望んでないから、俺は間違ってていいや。やぶれかぶれで捨て身でいこう。どうせ失うものもないし。
電気グルーヴ 『少年ヤング』