2018年 05月 16日 ( 1 )

レコメンドはセレンディピティを破壊するか

最近日々が充実しているというか、5月に入ってからこっち遊興を盛んに行っていて。

そんな中でも特に個人的には嬉しかったのがカザフスタン民族音楽コンサート@東京都立中央図書館太尾堤緑道のヨコハマビエンナーレ'89の彫刻遺産群。というのもこれは私自身が足で稼いでみつけたモノゴトだからです。

カザフスタン・コンサートは元々はTwitterで広尾の図書館でカザフスタン展をやっているのをみて先月訪ねた際に館内のポスターで知ったもので、太尾町の緑道は偶々初めて訪ねた時に見付けたもの。

今、自分のWeb巡回のほとんどはTwitterを通してに為ってしまっていて。自分自身でフォローした方々が発信してくれる情報だから基本的に自分好みの情報が集まってくるのですが、段々換気が必要になるというか空気に新規さがなくなって来る感覚があって。

特に素晴らしい景色とかを先にWebでみて興味を惹かれてその地に行ったりすると、何だか”答え合わせ”をしてしまっているような気になることがあります。

"先に概念を知ること"が世界から神秘性を失わせることはあるのかもしれません。例えば私は幸運にも暈(ハロ)環水平アークをその概念を知る前に体験し大いに驚いたのですが、もし既知の現象だったとしたらあんなにも自然の驚異を感じてはいなかったと想います。先に知識を得ることで、フレッシュな驚きが損なわれてしまう。

自分で編んだ居心地のいい濃い情報網よりも、寧ろ街中でエンカウントする広告の方が”既知でない”。或いは自分の足でみつけたモノゴトの方がWeb定期巡回路よりも”自分とって特別な情報”となるのは、生身で五感を駆使した方が”自分事”になりやすいからかもしれません。

ただ、Webが未知感のある情報を届けてくれないかというとこれは勿論違って。

例えばYoutubeのお薦め動画はなかなか馬鹿にならなくて。過去の閲覧記録からのお薦めで私が好きそうな未知の音楽をYoutubeで発見する事が結構あります。Webがセレンディピティを破壊するのではなく、Webメディアのフィリタリングを通して紹介されたモノゴトに”手垢がついた”と感じてしまう、というのが論点なのかもしれません。新しい血を入れ続けることが肝要なのかも。

兼好法師は「レアモノを有難がるのは情弱だ」と言っていましたが、自分が関わる度合いが高い経験ほど充実感・特別感は増していくもの。Webには生の第一次データの発信も大量にありますから、メディアの選別を経ない野良データに当たって行ったら、効率は悪くなるかもしれないけれど、Web体験とセレンディピティがより両立できるのかもしれない。そんな事を想いました。

追記
上に書いた話は、私がメディア漬け人間だからこその感慨なのかもしれません。多くの方々にとっては”そりゃ自分でやった方が遣り甲斐あるだろ”かとw

私はWebにモノを書き始めた時に”内輪受けだけは嫌だ”と強く想っていました。私を個人的に知らない人にも価値があるものを書きたいと。

その流れでメディア一般にオーソライズされていることについて書くことが多かったように思えます。上に書いた”自分が関わる度合いが高い経験ほど充実感・特別感は増していく”というのは逆に言えば他者から見ると”ンなこと他人には関係のないことだ”となるでしょう。

実際、鴎庵の記事別アクセス数は取り上げる題材にかなり左右され、今月でいうとオザケンのライヴ感想レポが一番集めていて。カザフコンサートや太尾町の彫刻はニュースネタとしては客観的には確かにコアなさざれ石で、私自身の筆力の足りなさ故に惹きつけられてないのは精進しないとなと想います。

その上で今の自分がより”野生の物事”感に惹かれるのは、Twitterによって自分の関心による情報収集の濃さに満たされたからともいえると想います。自分の好きな味だけを思う存分食べられた故に次の段階へ行けるようになったと。

何か物を書く上で必要なのは廣く情報を得るだけでなく、寧ろ情報を絞ること、時に情報を断つことで己の密度を高めて内から湧き出す声に耳を澄ますことだと感じていて。ネタがマイナーでも逆にメジャーでも奥い語りが出来たら独自性のある記事が書けるだろうと。

今新しい心持ちを持てているのは鱈腹情報摂取できた結果で、Twitterに感謝しながら次の展開を張っていけたらと今は想う処です。

cf.
13年前の個人ニュースサイトをメインとしてやってた頃の記事。昔の方が堅い記事書いてたなぁ、今は緩いw



by wavesll | 2018-05-16 04:01 | 小噺 | Trackback | Comments(0)