死が遠くなった今XXXTentacion『?』を聴いて

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米国のラッパー、XXXTentacionが銃で襲われ僅か20才で生涯を閉じたニュースをきっかけにSpotifyで彼のアルバムを聴いていました。

素晴らしかった。Lil Peepもそうでしたが、まるでニルヴァーナを聴くような感傷に襲われる感覚。特に今年出た最新作『?』はグロウルとクリーンな聲の使い分けとトラックもTRAPからも少し遊離していくような未知への冒険の序章を感じて、まさにこれからさらにどんどん良くなっていく予感がするだけに未来が圧殺されたことが残念です。

死が近い、生と性の懊悩の衝動はその昔はRockが持っていた領域だったのが、今はHiphop、それもグランジを聴くような世代が担うのかと想うとJOJOとDIOの血が融けたジョルノ・ジョバァーナをみるような感覚があると共に、そうした優れたアーティストを訃報によって知ることが増えたのは私自身が若年の頃の死を近くに感じる初期衝動の軋轢から離れた地点に来たのかもしれないと感じます。

音楽の世界は死にまつわる話が非常に多くて。今年もAviciiの自殺のニュースもありましたが、特に米国は銃による自殺・他殺が多発して。死に触発されて燃え尽きるように生きているようにも傍目からはみえます。

そして日本も他殺は少なくても自殺は1977年から2017年までずっと毎年2万人を超えていて、一時期は毎年3万人を超えていて。311の死者・行方不明者が約1万8000人ですから、40年間毎年東日本大震災が起きているようなもの。日本社会は戦争状態と言えるかもしれません。

隣国・韓国も激烈な競争社会で、自殺率は日本を大きく上回る中でプロダクトを出し続けている。こうなってくると国家として他者に抜きんでようとするには激烈に無理を効かせて死を発生させないといけないのだろうか…なんて気にすらなります。それは見栄の為に殺す・死ぬのと何が違うのかと。

私自身、一時期本当に辛かった頃は”最悪でも死ぬだけだ”とか思っていたのですが”最悪でも死ぬだけ”と想わざるを得ない時ってかなり最悪の時だと、今そこから距離を置いて感じます。

そしてそこから離れて”普通に安定”になると、希死念慮、或いは激烈な恨みを持たざるを得ない人への無理解が生じてくるもの。普通に考えたら人を殺したり自殺するなんて合理的な選択には思えませんが、今の日本には自殺を選択する人や”死んでもいいからあいつを殺したい”と想っている人や、中には新幹線殺傷犯のように無差別に殺してやりたいと実行してしまう人もいます。

それを”稀なバグ”として、それで殺される人も切り捨てているのが日本社会であって、或いは高校で銃乱射しても銃規制しない米国社会で在ったり、イスラム原理派などのテロルを制圧するだけで根本的な省察は為さない国際社会なのかもしれません。

そんな“無自覚な普通の人々”に死に近い生を藝術により伝えてくれたのがカート・コバーンでありXXXTentacionだったのだなと。彼の素行の悪さは端的に酷いものもあったそうですが、呻くような"彼ら"の叫びに対して、温かいスープを与えられる社会ならば、苛烈なShowが自然消滅する様な社会になっていくならば、それは円満なのではないか。そんなことを感じながら『?』を聴きました。

# by wavesll | 2018-06-21 07:04 | Sound Gem | Trackback | Comments(0)

Shangaan Electro X 関東・栃木イチゴでFun Fun Fantasy 第140回酒と小皿と音楽婚礼

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紀行・街歩き番組が全盛を迎えているTV番組界。最近BSの中でも辺境と言えるBS12等をチェックすることを覚えまして離島酒場で森脇健司が何でもない島を歩いたりするのを再放送で観たり。これはBS朝日ですが異郷の駅前食堂でのヒロシのリアル孤独のグルメなハードボイルドさが面白くて。

そして何気に愉しみにしているのがBS11の世界の国境を歩いてみたら。無銘俳優がガチで世界の国境を歩くというコンセプト一発勝負な番組なのですが、これが中々にフレッシュな魅力があってインタレスティング。

前回も南アフリカとモザンビークの国境を渡って。観光情報も面白いのですが結構社会問題にも触れるんですよ、この番組。中国のアフリカ投資や密猟、そして国境によって故郷から分断された戦闘部族、シャンガーン族に女優さんが会いに行って。

このシャンガーン族、今は定住生活をして、ちょっと観光用な伝統文化を維持したりしているのですが、そこで披露されたガンブーツダンスという、南アフリカの黒人差別の歴史から生まれたダンスが興味深くて、もっと音楽的なところを知りたくてWebで「シャンガーン族」と検索したら、南アフリカ発のカオスなダンスミュージック『シャンガーン・エレクトロ』(NAVERまとめ)という記事が引っかかって。

当該記事から知った”シャンガーン・エレクトロ”の代表作をYoutubeでみつけたのが上にジャケット画像とフルアルバムリンクを乗せた盤です。

これがね、いやいや!すっごい良くて!スットコでいなたい感じはインドネシアのファンコットや南米の電子クンビアにも繋がる感覚がありながらもコロコロっとした、けれど色気のシズル感のあるところがかっこいい!アフリカン・クール.


そしてこの音聴きながら”なーんかスゲー苺ミルクのみてー”と想って近所のローソンで買ってきたのがこちら。
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まさか関東・栃木レモンの仲間が今ローソンで売られているとはwそしてこのイチゴの甘みを音楽と共に味わうと、オラなんかワクワクしてきたぞw楽しいひとときを過ごせるファンタスティックなマリアージュでした◎


cf.



# by wavesll | 2018-06-20 20:52 | La Musique Mariage | Trackback | Comments(0)

SNSの”正しい息苦しさ”に岡田尊司『過敏で傷つきやすい人たち』を読む ー鈍感と過敏は同居し、愛着障害による幸福感の欠如は零百思考をしないことと安全基地をつくることから改善する

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ふかわりょうの「ハイレゾ社会に御用心」というコラムを読んで”ハイレゾに関する基礎知識では間違っているけれど、Twitterがどんどん些細な粗さも許されなくなってきているなぁ”と想う昨今。

個人的には「少しのズレも許せなくなっちゃった」という意味で『LOVE PHANTOM症候群』と名付けているこの現象を考える上で岡田尊司『過敏で傷つきやすい人たち』を読んでみました。

やー!この本は面白い!同著者の『対人距離がわからない』はあまりガツンと来なかったのですが、『過敏で傷つきやすい人たち』の内容は上のような問題意識を持っていたからか、かなりするっと入ってくるものでした。

本書の中で語られるのは過敏性を持っている人は”ネガティヴな認識をしがちな人”よりも生きづらさを感じやすい事。そして遺伝などの生得的要因と強い結びつきがある神経学的過敏性よりも、養育要因や社会的体験、愛着対象との関係が強く影響する心理社会的過敏性が不味い場合の方が生きづらさや幸福度に強い相関を示すという事。

面白いなと想ったのは過敏な人は同時に鈍感な一面(低登録)も持っているという事。それ故ワガママだと認識されたり、人から指摘されることも多く、ネガティヴな認識を持ちやすい傾向がある、と。そしてネガティヴな認知以上に過敏さと強い相関があるのが、全部良いか全部悪いかのどちらかになりやすい両極端な認知(二分法認知)の傾向でした。

過敏性の原因には発達障害や愛着障害も成り得て、不安定な愛着は「他人には何も期待せず関わりを断つ回避型」か「大騒ぎして愛情や関心を得ようとする不安型」をもたらします。そして愛着不安が強い人は幸福度が低くなる傾向がかなり強いそうです。

愛着は単なる心理的現象ではなく自律神経系の働きに密接に結びつく生物的・生理的なもので、愛着が安定した人はストレス耐性が強いのに対し、不安型愛着の人はストレスに対して情緒的反応が過剰になりやすく、家族やパートナーにも愛憎の両方を巻き起こしやすく、ストレスも長引きやすい、と。

一方回避型愛着スタイルの人は一見クールに見えながら、実は気づかないふりをしているだけでストレスホルモンは上昇しており、直接自分がストレス源と関わる立場になるとポッキリ折れてしまうことがあるそうです。

愛着障害はもともとは親から虐待されたりネグレクトされた幼児に使う言葉でしたが、実際には大人になっても引き摺っている人が多く、その人たちを「未解決型愛着スタイル」と言うそうです。

ではどうすればいいのか。本書は過敏な人の適応戦略として

1. 刺激量を減らす
外からの刺激が閾値を超えないようセーブ。頭に出てくる雑念は懸案事項を書き留めることで外部化し抑える。またこのタイプの人と話す人は喋り倒さず沈黙も設ける。

2. 刺激を予測の付くものにする
生活や活動をルーティン化し、予測ができるようになると刺激の苦痛は半減。このタイプの人と付き合う人はサプライズは避ける。

3. 安全限界を超えない
刺激が閾値を超えそうになって、イライラや疲労感、集中力の低下などの兆候を見つけたら限界を超える前に止める。休みの日にぼーっとすることもメンテナンスとして大切。

4. 薬も効果的

5. 不快な刺激やストレス源の人間などを回避する

6. 感覚探究が高く神経システムが安定するために必要な刺激量が大きい人は旅行や芸術、スポーツなども大切に

7. 低登録な人は気が回らなかったり切り替わりが悪いと言われる人もいるが、寧ろ運鈍根は信用を得ることも。また過敏さと鈍感さが同居している人の過集中は天才的な閃きを生むことも。

8. 低登録の人は大きな刺激でないと感応できないので、スイッチが入りやすいように刺激強め、行動や質問と組み合わせてメッセージを送る

等が挙げられていました。(過敏な人たちは多様であり、これら等から自分に合うメソッドを自分で選び出すことが大事。)

本書はさらに進んで、過敏性を克服するために

1. 肯定的認知エクササイズで幸福と社会適応を高める

・感謝するエクササイズで、得ることが出来ている快楽に馴れっこにならないようにする
・「奇跡が起きて何でもできる力を得たとしたら、あなたはどうなりたいですか」という希望のエクササイズをする
・親切にするエクササイズはオキシトシンを分泌させる

2. 二分法的認知の克服エクササイズ

・良いところ探しのエクササイズ
・許しのエクササイズ
・第三者の視点を持つメタ認知のエクササイズ
・自分が相手と入れ替わるエクササイズ

・マインドフルネスの三分間呼吸法
背を伸ばし座って目を閉じ、1分目は自分の心の状態を感じ、2分目は呼吸を意識し、3分目は足先から膝、腿、尻、腹、背中、腕、肩、首、顔、頭の感覚に目を向けボディ・スキャニング。

・ひたすらポジティヴであればいいのではなく批判的な目も持たないと危険

・行動目標は小さなゴールの成功体験を積み重ねる
・主体的な関与が苦痛を減らす

3. 安全基地を強化する

・一日中ぴったりとくっついていられ、安全で、心地よい存在で、自分の反応に応えてくれる存在=安全基地をつくる

・ケアが必要な人の問題を解決する時は、その人をケアする人の大変さを受け止めたり本人の状況の理解を援けたりすることが効果的。

・愛着は相互のものであり、不快な相手は逆に自分のことを不快に感じていることも。相手を責める前に自分を客観視することが肝要。

・相手を全否定することは人間関係を破壊する。つい気を許して口にする否定的な口癖も積み重なれば相手を安全基地ではなくさせてしまう。

・人が健康に生きていくには依存と自立両方が必要

・安全基地になれない人からは、心理的、物理的に距離を取る

・恋愛や家庭でなく、仕事や趣味が安全基地になることも

という過敏性の本の愛着障害の克服に安全基地が大事だということを記し本書は終わるのですが、ここまで読んで冒頭のSNSの「少しのズレも許せない症候群」に関して、寧ろSNSを安全基地としている人が多いことの裏返しなのかもしれない、なんて思いました。

明け方書いたエントリで「左の人は無自覚な右の人を受け止め諭す度量がないと現実は変わらない」と書きましたが、寧ろSNSでのエコーチェンバーが安全基地としての機能を果たしているとすれば、無理に意見を異にする人と交わろうとするよりもクラスタで固まることが精神を安寧させるのではと。そういった意味でブロックやミュートを駆使するのは現実的改善かもしれませんね。

その上で、他者、それも「当たり前」が異なる人と語り合おうとする人は、クソリプの応酬だと拒絶されぬ工夫、例えば「Yes~but~」法などを使うことが、鬱憤晴らしに終わらない実効力を持つのではないかと改めて記してこの記事を終わります。

# by wavesll | 2018-06-19 19:15 | 書評 | Trackback | Comments(0)

愛国ソング批難騒動から想う「当たり前」が違う相手との実効性のあるコミュニケーション

を聴いて。

最初は”ううぇえ…こういう話は聴いてて靄りそうだし、聴かないでおこうか”と考えたのですが、きちんと聞いてみると一面的な批判ではなく、真っ当な考察がなされて、また論客の一人が結構右だったりして左過ぎない構成になっていて聴けました。

個人的には「HINOMARU」も「ガイコクジンノトモダチ」も「NIPPON」も彼らの楽曲の中では凡曲に感じるのですが、それに対して「軍歌だ」「排外主義だ」と声高に批判されるのはどうにもTwitterも息苦しくなったものだなぁと。

無法図な批判が表現の自由からのバックラッシュが起こすという点も番組では触れられていて、やはり良くモノを考えている人の考察は深いと想ったので当ラジオ番組を聴かれるのをお薦め致します。番組の中でも「『HINOMARU』は軍歌ではない」と先ず語られていて、その上で歌詞の出来の悪さが語られていたりします。

ゆずの二人についても中高生の時にオールナイトニッポンSUPERで浜辺から公開放送してリスナーに「全体ここにくんな!いやク〇ニ!」とか言ってバカ騒ぎしていた二人を知っている身からすると、今の二人にはとても”正しい事”が求められているんだなぁと。

“もう彼らは少年少女が気持ちを重ねる若手な立場と言うより、或いは音楽好きの若者から「あいつら大したことないのに売れやがって」というルサンチマンを浴びる大メジャーな存在なんだなぁ、「栄光の架橋」あたりからその流れに一気になったのかなぁ、二人もおっさんの年だものなぁ、お互い年取ったなぁ”なんて思ったり。

番組の中でも『「右でもなく左でもなく」は無自覚なウヨクのテンプレ』『無思想を表明することの暴力性』が語られていましたが、確かに右の方がマジョリティな分、自分のポジションに無自覚な処はあると感じます。「何を言ってるの?これは”普通”でしょ?」と。

逆に「『右でも左でもなく』というのは右」と言われるということは、是々非々で語るのは右が多く、左は聴く耳を持たない印象があるのではと。これは左の人は普段右の世界に合わせなければならない状況の中で、異議を常に発する立場な構造が前提にあると想います。左の人は「『当たり前』が通じない世界」に怒りを感じざるを得ない。

人間激昂する時は何にかといえば「当たり前」が為されない時であって、「当たり前」が違う人同士で語ることの難しさを改めて感じた一件でした。

現状で出来るとしたら、無自覚な右派は自分が語っていることがどのポジションにあるかを自覚する事、そして左派はバックラッシュの藪蛇を生み出す言葉狩りの触発よりもアイメッセージ等を使っての他者への諭しがコレクトなのではないかと。意識を高くあろうとする側こそ度量がいるなと。

以前に知り合いから聴いたのは、選挙で、特に地方での選挙に於いては「どんなに相手が馬鹿だと想っても、馬鹿だなと見下げた瞬間に票は消えていく」ということ。革新派よりも保守派の方が清濁併せ呑む余裕があるというか、左派の方が原理主義的に感じることがあります。

Webではその狭量さが可視化されやすいのが残念な反発を招いている気がして。

現実世界ではマジョリティの保守派や腐敗した政治家が無自覚にデリカシーのない横暴を行っていて。逆に左派は多様性や弱者への優しい眼差しがあるのに、古くは新聞などのメディア、今だとWebでのエコーチェンバーで塊で提示される故に左派がマジョリティ的にプレゼンテーションされ、逆説的に”保守”がオルタナティヴな本音の選択肢として一つの土着になってしまった流れが、『ゴーマニズム宣言』以降の流れだと。

実効性のある戦いを左派がするために、濁りや愚かさを感情的打破ではなく深い言葉、叡智も駆使しながらやってほしいななんて先般の知事選のバウトをみても想う処です。

# by wavesll | 2018-06-19 02:10 | 小ネタ | Trackback | Comments(0)

向井秀徳アコースティック&エレクトリック Live @ 鹿児島焼酎フェス 爽やかな逢魔ヶ時の騒

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鹿児島焼酎&ミュージックフェスへやってきました。御目当てはThis is 向井秀徳!!!!!!!

最高の出音!テレキャスター弾き語り「はあとぶれいく」ではじまり、「Sentimental Girl's Violent Joke」「TATOOあり」「ZEGEN VS UNDERCOVER」で魅せる!ヤバイさらにヤバイ、バリヤバイ!

ここから「約束」”6月につくった曲”として歌われた「Amayadori」の”水溶性の青色”や「6本の狂ったハガネの振動」の”誰かが散らしたゲボだらけ”というキラーフレーズに痺れて。アコギの音もいい。

クドカン作詞で”あなたがいない天国は地獄”と歌う「天国」から実話を唄ったという「KARASU」、そして「SAKANA」を唄っての本日のクライマックスはジミヘンの「星条旗よ永遠なれ」並みに歪んだギターが衝撃的で静と動が美しかった「赤とんぼ」。この人は本当に肚が座り精神が一本貫かれている。本当にかっこ良かった。

そこから「Water Front」で〆て、アンコールは初共演だという高田漣さんとの「夏の幽霊」。「バーカウンターはそこらじゅうにあります」という酒条件で焼酎を飲み飲み、野武士のような、野伏のような風体に心燻らせながら弾かれた素晴らしいライヴでした。乾杯!

# by wavesll | 2018-06-18 03:56 | Sound Gem | Trackback | Comments(0)

G. F. Handel: Messiah HWV 56 X 水道水 第139回酒と小皿と音楽婚礼

G. F. Handel: Messiah HWV 56 (fantastic performance)

W杯が開幕し、スペインXポルトガルやアイスランドXアルゼンチンのような好ゲームが連日続きますね。

そんな中でTwitterで流れてきて興味深く読んだのがこの記事。
五百蔵容さんは、日本代表の歴史的達成段階という縦軸を画こうとされている方で、レジーさんのインタビューも非常に読み易く拝見しました。

そして、そのインタビューの中から零れ落ちたのが、日本代表を取り巻くメディアと観衆の関係性。

・誰でも情報が得られるので詳しい人はどんどん詳しくなる
・興味ない人は全く興味を示さない
・詳しい人たちが仲間内でこもる
・知識の差が拡大する
・マジョリティーは「知識のない層」

によって、知っている人の間では常道の話も一旦外部に出ると全く共通認識を持たれなくなるという構図は、インターネットによって島宇宙的クラスタ化が進んだ現在は様々な分野にみられることだと想います。

そこで五百蔵さんはその間を繋ぐ「階段」をつくろうとしている、まだ解はみつかっていないけれど、とおしゃっていました。

自分の中では階段の一段目になるのはTVかなぁと想います。継続して開かれる「場」が大事だと。

例えば先日のスペインXポルトガルのような試合は、全くの素人がみても大変面白くて。これはクラブワールドカップでもそうなのですが、強豪の攻撃には点が決まりそうな危険な香りがするのがたまらなくて。

そうして素人に喚起された興味を、「読み解く」ところまで持っていくことを五百蔵さんはされたいのだなと。そしてそれは単発ではなく習慣化する学びの営みなのではないかと想うのです。

自分にとっては趣味の音楽の世界を拡げてくれる映像番組はDOMMUNEと題名のない音楽会で。

まさに一段目を踏み出すというか、ロック一辺倒だった私にビートミュージックやクラシックの世界を開いて行ってくれたのはこの番組でした。

勿論、五百蔵さんに言わせれば「良い時に良さが分かる」レベルでは足りなくて「読解」まで行って十分という話だとは想うので、まだ「ハマる時が時々ある」レベルな自分は達成できていないのですが、両番組を機にクラブイベントやクラシックのコンサートに足を運ぶようになった自分からすると、門戸を開き続けるって大事だなぁと想います。そして前述のように今はどんどん検索で勝手に掘り進めて行けますしね。

そんな題名のない音楽会で今週演奏されたのがヘンデルの『メサイア』。

「ハーレルヤ、ハーレルヤ、ハレルーヤ、ハレルーヤ、ハレールヤー」という超有名な楽曲で、番組では当該部のみ披露されたのですが、今の時代はYoutubeで2hを越える本編丸ごとすぐにアクセスすることができました。

で、大好きな楽曲になってしまいました。近年歌劇なんかお好きになってきたのですが、それでもやっぱりまだクラシックは途中で集中が途切れて緩くなってしまうことも多い中、この楽曲は前編に渡り面白味があって、大変愉しませてくれました。

そしてそれを聴くときに口に含んでいたのが水道水。いや、水道水に最近嵌っているものでw

普通に家(横浜)の水道水も美味しいし、この時期だと駅とか外の水道水も冷たすぎずそこまでぬるくもなく適温で。なんか都市のサヴァイヴ感も込で愉しんでいるのですw

水をたしなみながらオラトリオを聴くと意識も澄明となってきて、聖性が音楽から湧きいずる感覚を味わえて。Youtubeの音源ながら無上の歓びを感じます。

コンサートで生で聴いてみたいなぁと想うのと、音質の良い盤を買いたいなと想うのですが、みなさんは長尺のクラシックの楽曲はどう聞かれているのかちょっと気になります。ディスクを取り換える時にコンセントレーションが途切れないのか。

そう考えるとBluray等の高容量のディスクで愉しんだ方がいいのかも。AmazonをみるとDVDは出ているけれど廃盤で大変な高額。そう考えるとハイレゾ音源などをDLして聴く環境を整えるのもありかもしれないなどと考えた次第でした。



# by wavesll | 2018-06-17 13:35 | La Musique Mariage | Trackback | Comments(0)

内海信彦 「INNERSCAPE SERIES 宇宙山水屏風」展 @ FEI ART MUSEUM YOKOHAMA

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横浜・鶴屋町のFEI ART MUSEUM YOKOHAMAにて内海信彦 「INNERSCAPE SERIES 宇宙山水屏風」展をみてきました。

深海の山水画、天の気が金色からあふれていて。

風景画が抽象化を経て自然の本質へ究まるのはプーキシン展Cornelia Thomsen展でも感じたことですが、アブストラクトな表現がいかなるものからエンコードされたものか想像を巡らすのは自然というCHAOSから理を読み解いてきた進化から生まれる習慣かもしれませんね。

書道は線を観るにあらず、その線が描かれた筆と身体の流れをみるのだ、といいますが、この画も筆の身体性を立体的に想像すると脳の新たな部位が触発される気がしました。

天海の航空写真のような輝きに見惚れた験となりました。

# by wavesll | 2018-06-17 03:16 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)

Cornelia Thomsen展@加島美術

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東ベルリンに育った彼女は抽象画のない世界に生きてきて、いま描いている此のストライプの作品群は海からインスピレーションを得たもので、最初は横縞だったけれども縦にしてしっくりきたのだとか。

壁にはご本人のサインも描かれていて。非常に可愛らしい仕草の方だったそうです。

2階では和室に絵画が掛けられて。抽象的な直線画が品の良い落ち着いた室内に非常に良くマッチしていました。

部屋に飾りたくなる画。”おぉ、これはいい”と想ったものは90万ほど。ギャラリーでは夢想が拡がりますね。

展示は明日迄とのこと。素敵な個展でした。

# by wavesll | 2018-06-16 00:46 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)

臥薪嘗胆で燈す小さな狼煙



人生において挫折を味わい心砕かれた後、逆に自分の出来なさを自分で嗤うことで過剰にトライブに溶け込もうとした結果、最初はショウマンシップとして上手く行った時期もありながらも”自分だけが消耗している”という恨みと肥大した承認欲求からパフォーマンスが過剰になり自他ともに粗野にプライドを扱うようになって、自暴自棄となり破滅して。

「どうせこの感覚は理解され得ない」とか「俺は今は付き合いでやってるだけで、これは本気でやりたいことでない”仮のこと”だ」いう歪んだ自意識が”普通ではない”とかおかしな誇りを育てたり。

結果としてそのソサエティとの関係性から離れ。しかし社会というのは広く、自分と似た選好の人々と繋がって。結果として、ショウマンとしても自分は中途半端な実力しかないことを気づかされて。本気になったって自分より上には上なんか幾らでもいて。

そして同時に人から評価を得ようと想ったら”しゃべること”より”傾聴すること”がより力を持つことも実感せざるを得なく、”普通のことを普通に営み続ける”ことのハイパフォーマンスさも認めざるを得なくなります。馬鹿にしていた認識を変えざるを得なくなった。

そもそも単純に力が足りていなかった。そして自分の無能力を笑いに変えても一方で腕力を上げて魅せる努力をしなければただ自分の存在は軽くなっていくだけだったと。端的に言えば人生を舐めていたと。

自分の力の圧倒的な足りなさと向き合うことから本質的な戦いが始まるのだと漸く肚が座ってきました。

まぶしい若葉の燃料が切れつつ、そして無根拠な自信も失われざるを得ない、心だって素直なだけではいられなくなっている。

無力さの認識というあきらめの先の闘いという点で人生が次のコーナーへ差し掛かって来た時に、ただ謙虚なだけでなく戦略と、批判的な視点という盾と、そしてダガーを研ぐ営為、”魔法でなく技術と体力を長じさせ営み続けることへの努め”を。泥を啜ったって格好が悪かったって僅かでもぶんどって。すれっからしですから本当に致命的なこと以外は軽んじながら、それでも今の雌伏が後にそれなりの果実を結ぶことを期して。

そして今の自分が在れるのは周りの人たちの御蔭。人は宝だと心の底から想います。敬意と感謝を周りの人々に持って、ここからやっていこう、そう想っています。

# by wavesll | 2018-06-15 07:27 | 私信 | Trackback | Comments(0)

松平不昧展at三井記念美術館にて大井戸茶碗 喜左衛門井戸をみた

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三井記念美術館に没後200年 大名茶人 松平不昧ーお殿様の審美眼ー展をみてきました。

松江藩松平家第七代藩主でありながら茶人としても名高い松平不昧、彼のコレクションを存分に楽しめる展示が開かれているのです。

先ず目に飛び込んでくるのが金縁が美しい重文≪油滴天目≫。そこからゴゴっとした存在感が印象的な≪信楽水指 銘 三夕≫や、タイのスワンカロークでつくられた≪宋胡録九角香合≫、螺鈿細工が美しく付属の小刀なども技ありな≪楼閣人物螺鈿十角硯箱≫、富士の文様に黒線が入った≪唐物肩衝茶入 富士山肩衝≫、そして梅の花の文様が幾つも咲いた国宝 ≪玳玻盞 梅花天目≫、さらには不昧が石州流茶道で立ち返ることを志した千利休作の≪竹茶杓 ヤハラ道怡≫が。

そして…次の間では愈々御目当て、国宝 ≪大井戸茶碗 喜左衛門井戸≫!!!

井戸茶碗とは16世紀頃に朝鮮半島から渡来した高麗茶碗と呼ばれる茶碗の一種で、彼の地では日曜雑器だったものが日本の茶人が見初め、中でもこの茶碗は「天下第一の名碗」 と呼ばれる逸品。

朝鮮から渡ってきたこの茶碗はぐわっとした存在感に、まるで大物の遺跡をみるような迫力と神性が内から湧いていました。土のスケール感、高台の梅花皮がまさに井戸のように石が積まれた凝縮感。素晴らしい。何でもないとされてきた器に美しさの究みを見出だした数百年前の此の国の人々の目利き、美の哲学の結晶とも感じました。

広間へ出るとそこには掛け軸と茶器が。

≪青井戸茶碗 銘 朝かほ≫も派手でない土の美があって。≪斗々屋茶碗 銘 広島≫の渋色に青錆。重文の≪堅手茶碗 銘 長崎≫のひしゃげた感じも現代的感性。これも重文≪本阿弥光悦作 赤楽兎文香合≫はウサギが描かれた可愛らしい逸品。可愛いと言えば翡翠にクリーム色がちょこんとのった≪交趾大亀香合≫や、ダイヤカットな≪白呉須台牛香合≫に、礎を模した≪伊賀伽藍石香合≫も良かった。

光悦の孫の本阿弥光甫作≪信楽芋頭水指≫も良かったし、≪丹波耳付茶入 銘 生野≫のアブストラクトな魅力。雪舟筆≪一円相≫のシンプルで宇宙的な真円。また不昧は筆も好くて、松平不昧の絶筆≪遺偈≫の喫茶喫飯というコトバに骨頂をみて。松平不昧筆≪一行書「明歴々露堂々」≫と≪一行書「独座大雄峯」≫の力強い筆致も良かった。

そして不昧筆≪書「喝」≫一字の迫力。それと共に茶室に展示されていた≪伊羅保茶碗 千種伊羅保≫が浜と波が一碗に込められたような作品で素晴らしかった。

松平不昧筆≪茶の湯の本意≫に書いてあった「時代に合わせてブラッシュアップすべし」「下手でもOK」には唸らされて。千利休の教えが書かれた松平不昧筆≪三百ヶ条≫や、不昧の大いなる業績である、各地の名物の品録≪古今名物類聚≫と彼の蒐集物が記された≪雲州蔵帳 貴重品目録≫も。

松平不昧≪茶杓 銘 残雪・残花≫の文字のかっこよさ。小林如泥≪桐茶箱≫の雪の字。松平不昧と妻より子合作≪桐茶箱 春の月≫の品の良さ。

松平不昧の力強い筆運びに狩野伊川院栄信の亀の画が格好いい≪福禄寿亀図≫や豆腐で世の中を例えた松平不昧筆≪豆腐自画賛≫、そして花柄のデザインがとっても嬉しい松平不昧≪書「春月」≫も良かった。

最後の展示室も素晴らしく、表から裏へ菊の柄が入った長岡空斎≪楽山焼 色絵菊図茶碗≫、金に螺鈿の原羊遊斎≪片輪車蒔絵棗≫や黒に金が輝く原羊遊斎≪蝶蒔絵大棗≫、黒に菊が透明に浮かび上がる初代小島漆壺斎≪やみ菊棗≫、シンプルでエレガントなデザインの初代小島漆壺斎≪桐蒔絵茶桶≫、「福」の字の意匠がまたいい初代小島漆壺斎≪福寿棗≫、蓋の凹みがまた現代的な初代小島漆壺斎≪竹中次≫も良かった。

さらに原羊遊斎作/狩野伊川院栄信下絵≪椿蒔絵香合≫・≪かまきり蒔絵香合≫・≪きりぎりす蒔絵香合≫の金と螺鈿の意匠が黒に映えて楽しく、狩野伊川院栄信画≪張庫形牛香合≫の木の赤茶に牛が浮かぶ様や≪古染付張甲牛香合≫、黒に薄っすらと桃が浮遊する原羊遊斎≪桃蒔絵細棗≫も素敵だったし、≪片輪車蒔絵香合≫も良く、玉川又徹作/蓋絵・酒井抱一画≪桐茶箱 水月≫も素晴らしかった。不昧を通して利休と抱一が繋がるとは。

そしてそんな不昧が創った≪薩摩竹水指 銘 山川≫も内側が黒に塗られ紅葉が映える独創的なデザインが好いし、最後に見た松平不昧≪竹筒花入 銘 心の花≫は”花は要らず、打水だけで好い”という領域へ。不昧は茶を通じて空へ到達したのかと心が震わされました。

みごとな茶の道、素晴らしい趣味をみせて貰えて、しみじみとした機微のある展覧会でした。

# by wavesll | 2018-06-13 21:24 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)