カテゴリ:書評( 71 )

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第5章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章
c0002171_234140.jpg

フランスが抱える、民主主義の苦悩とは?

吉田徹:北海道大学教授
「例えばフランス人というのは4人に1人が遡れば移民系の国だとされています。そういった多様な国を1つフランスという大きなパッケージに纏め、色んな人がパリという非常に小さい街の中で肩を押し合いへし合い生きていく。

その中に色んな摩擦が生まれ、その摩擦をどういう風に解消していくのか。その象徴的な空間が地下鉄でもあるかもしれません」

どこまで多様性を受け容れられるのか?今、あのフランスが揺れている

ルペン
「移民の受け入れは市民を危険にさらす。テロリストが隠れているのだから…」

度重なるテロへの恐怖 アフリカや中東からやって来る難民たち 歴史的な混迷の時代を迎えたフランスに、今押し寄せる新たな波とは…

ルゴフ
「我々の歴史の中にはどの文明にもあるように闇のページと栄光のページがある…」

ギリュイ
「欧米の民主主義の大きな問題は人々と真剣に向き合わなかったことにあるのです…」

生きるため、切実な欲望を抱えやってくる人々に、フランス建国の理念はどこまで耐えることが出来るのか…?揺れるフランスで、世界の知性たちと考え、民主主義の今をみる。

第5章 内なる敵 外なる敵

吉田
「かつては向こうの左岸とこちらの右岸、革新と保守ですね。或いは労働者とブルジョアっていうのが対立でその間をセーヌ川が隔てた。ところが今、時代が推移してパリの郊外とパリの内部で新しい分断性に移り変わってきている」

パリ市街を分かつように流れるセーヌ川。北側が右岸、南側が左岸だ。一本の川を挟んでそれぞれの文化を育んできた。ブランドショップが立ち並び、買い物客で賑わう右岸。学生たちが集い、カフェで語らう左岸。

右岸はお金を使い、左岸は頭を使う、という言葉もあったほど。異なる思想がせめぎ合うことでバランスが生まれていた。古き良きフランスは、いづこへ。


マルセル・ゴーシェ:政治哲学者 / 編集者

瀕死の民主主義?国境なき経済圏の病とは…

ゴーシェ
「グローバリゼーションは貿易だけでなく”人間の行き来”にも関係するのです」

人間の行き来

ゴーシェ
「英EU離脱の余波は大きく、移民問題は極めて慎重な問題となり抗議の声が高まっています。欧州連合のおかげで人々は国家権力は大したことはできないと感じています。しかし同時に欧州連合も何もできないとも思っているのです」

吉田
「なぜ機能しなくなったのでしょう?」

ゴーシェ
「それが今ヨーロッパの一人一人に問われる最大の問題だと思います。とても難しい問題です」

欧州最大の問題

クリストフ・ギリュイ:都市地理学者

国民の分裂?グローバル都市と地域の二極化

ギリュイ
「今日のフランスでは移民問題はとてもデリケートな問題です。私たちフランスは多文化共存モデルを穏やかに築けるだろう、世界で一番賢いのだから…

アメリカやイギリスとは異なるタイプの多文化共存モデルの確立を想像していました。しかし現実は違いました」

多文化共存のワナ?

ギリュイ
「残念ながら≪共和国同化主義モデル≫と呼ばれるモデルは消え去ったのです。なぜか?多文化共存社会では他人と交わろうとしないからです。つまり同化しないのです。

他人は敵のままである…とまで言いませんが、距離を置くのです。これはフランスの至る所で見られます。これがフランスや欧州で見られる現実…アイデンティティの緊張関係の根本です」

フランスの苦悩は、都市の周縁部から噴き出している

吉田
「パリの郊外よりバンリューと呼ばれているところなのですけれども、基本的にパリで働いている人たちでもパリ市内に住むだけの余裕とか所得がない人が住んでいる場所になる。

いわゆる移民系と呼ばれている人たちが多い。ここが市役所なんですけれども自由・平等・博愛って言葉が掲げられているけれども空虚になんとなく文字が見えるのが哀しいですね」

パリの少年「ニーハオ!」

吉田「僕たちは日本人だよ」

パリの少年「あー日本のテレビだ フランス!」

吉田「君はフランスが好きなんだね?」

パリの少年「好きだよ」

吉田「フランスを誇りに思っているんだね。大人になったら何になりたい?」

パリの少年「営業マン」

吉田「なんで?」

パリの少年「大好きな職業だからだよ」

吉田「君は?」

パリの少年B「スポーツ関係で働きたい」
パリの少年C「僕はケバブ屋で働きたい…冗談だよ、ほんとはパン屋だよw」

経済や文化の違いから生み出される、移民たちをめぐる問題。溝を深めていく分断の現実の中、その流れにあらがう人の証言だ

ナディア・レマドナ:コミュニティー支援活動家
「私はパリ郊外で暮らしています。2005年 郊外で最初の暴動が起こってから私は個人的に救済をするようになりました。暴力はひどくなり 緊張が高まっています。

改善の兆候はまったく見られません。年を追って郊外にいる若者たちは誰のことも信用しなくなっています」

今から12年前の秋、パリ郊外で起きた移民たちによる暴動事件。北アフリカ出身の若者たちが警官に追われ、変電所に逃げ込み、死傷したことがきっかけだった。

人々は警察に反発。失業・差別・将来への不安など積もり積もった不満が爆発。暴動はフランス全土へと拡大していった。


レマドナ
「フランスはとても変わりました。実際、何が変わったかというとこの過激化です。若者たちはかつてのフランス…私や私の両親たちが愛していたフランスを知らないのです。

多くの移民労働者を受け入れたこと。多くの人々が外国から来ていること…それはフランス人自らが受け入れたことを忘れてはいけません」

私たちが愛したフランス

吉田
「我々は郊外に住んでいる貧しい移民系のフランス人だから、むしろ差別されているんだ、という風に彼らは感じてしまう可能性はあるわけです。

そうすると移民とか郊外は怖いんだという目線がつくられていくことになって結局分断がひどいものになっていく」

社会から受け入れられない、その怒りが争いを生み、居場所がない、その不安が悲しみを生む。愛されたい欲望が空回りし、生まれる、捩じれ。

ドミニク・レニエ:政治学者
パリ政治学院で教職、政治改革基金ゼネラル・ディレクター

忘れられた理念 自由を奪いあう 自己と他者

吉田
「「自由 平等 博愛」のスローガンがフランスの街のどこに行っても見えました。この精神はどう変わっていくのでしょう?まだ残る場所はあるのでしょうか?」

レニエ
「重要な問題ですね。「自由 平等 博愛」の精神は存続し続ける可能性はあるでしょう。フランス革命からとても大切にされてきたものですから。

しかし20年前からこの3つの理念への信念の衰退 精神の薄弱化が見られます。

今日 目にすることが多くなったのは国内のコミュニティーでの分断の感情、分裂…同じフランスの中でも外国人のように感じる分断さえあるのです。

実際、それを目の当たりにしたのがシャルリー・エブドで起きた悲劇です。フランスでフランス人がジャーナリストを殺害した…それも彼らの気にくわない内容を出版したから。

メディアが出版すべきだと信じたことを出版する自由を認めなかったのです。ある種の”基本的価値観”が分断されたことを感じました」

基本的価値観

シンシア・フルーリー:精神分析学者
社会の深層にある心理を分析 パリ・アメリカ大学でも教鞭をとる

社会の危機を回避する道は?他者を排除する人々…

フルーリー
「ルネ・ジラールの重要な研究論文においてはっきり説明していますが政治共同体とは通常”二つの動き”によって成立していると言います

一つ目の動きは”外部の敵”と呼ばれるものでもう一つは戦うべき”内部の要素”が必要となるのです」

「外なる敵」と「内なる敵」

フルーリー
「多くの場合、外部の敵としての恐怖の対象はテロリストに集中します。そして内部の敵としての対象は公然と非難されている人たち…失業者、難民、移民なのです。

社会はこのように成り立っているのです。惨憺たる状況です。」

他者への不信が、本来 敵になるはずのない敵を次々と生み出していく。フランス人が失いつつある、基本的価値観とは…?


欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第6章 第7・最終章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて

cf.
欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章
 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章

『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて
by wavesll | 2017-05-31 21:15 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第3・4章

欲望の資本主義 世界の景色が変わる時 第1・2章
c0002171_2328376.jpg

第3章 パクス・アメリカーナの終焉…?

元大手銀行重役ピーター・ラールが語るアメリカの今、トランプに託した思惑

ラール
「彼は頭がよく かなりのやり手です。トランプの着眼点は良かった。何が本当の原因なのか言及したのは彼だけでした。それが彼の特長です。

アメリカ国民は世界のために負担を担ってきました。しかし今や世界は変わったのです。帝国は衰退するものです。≪パクス・アメリカーナの時代≫は終わりました。

他の国々は自分たちの足で立つのか、他国と協力するのか考えねばなりません。いずれにせよアメリカだけが世界の安全に責任を負いその費用をアメリカ国民の税金で賄う発想はもう終わりです」

"パクス・アメリカーナ"の終焉

ヤシャ・モンク:政治学者
「リベラルな国際秩序はアメリカがリーダーシップを発揮し世界に大きく関与することで成立します。しかしその恩恵は複雑で分かり難いものです。

なぜ国連に大金を拠出しなければならないのか国内にも問題があるのに。その金を国内の問題解決のために回すべきだという方が簡単です。

長期的に見ればそれはアメリカにとって損失となります。政治的な面だけでなくアメリカ国民全体にとっての損失です」

二度の世界大戦を経て世界経済の中心となり、世界の警察官となったアメリカ。しかし常に不安定な要素を抱えていた

外への介入と孤立主義の分裂


ジョナサン・ハイト:社会心理学者
「アメリカはこれまでもしばしば内向きになってきました。

私の曽祖父母4人全員がアメリカにきた1907年当時は移民の大きな波がありました。それが大きな反発を生みアメリカは1920年代に門戸を閉じたのです

人々は人種でなく文化を気にしているのです。急激に文化が変わってしまうのが嫌なのです。

もう一つ見るべきは国民の目的意識です。ソ連と戦っていた時 私たちはアメリカを≪自由世界のリーダー≫と呼んでいました。

ですがいったん冷戦が終わるとそてまでのように≪自由でオープンな国≫であることを必要としなくなりました。我々のアイデンティティでなくなったのです。

そして9.11の後 突然新たな敵かもしれない存在が現れました。”もっと閉じた国にしたほうがいい”多くの人々がそう思うきっかけとなったのです」

新たなる敵の前に再び門戸を閉じようとするアメリカの姿は既にあの時から

ジャッキー・クルバック:Gautier Steel社 CEO
「国防のことを考えても この国で私たちに危害を加えようとする人々から私たちは国民を守らなければなりません。国民を守るだけでなく国を守らなければなりません」

そんなアメリカの本質を見抜いていた人物がいる。それは今から200年ほど前に遡る

フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル。トクヴィルは19世紀のアメリカに渡り、民主主義における光と影を考察した


ハイト
「アメリカがイギリスから独立した時、トクヴィル以外にもヨーロッパから何人かやって来ました。その全員が独特のアメリカ人気質について語っています。

アメリカは広大な国で中央政府がなく自分たちで自分たちを統治していたのです。中央集権化されているフランスに比べアメリカ社会の強みの一つは我々は自発的な組織を作るのが得意だということです。

中間共同体、地元の市民組織などですが多くの人が見てきた通り50年ほどでこれらが消えつつあるのです」

アメリカ民主主義の「光」"中間共同体"の存在

ジャン=ピエール・ルゴフ:社会学者 / 作家
「民主主義は個人が所属するコミュニティーからの自由を可能にする要素があります。これは民主主義の良い面です。しかし民主主義には別の面もあります。

トクヴィルが自身の著書の中で説明しています。『アメリカのデモクラシー』では同時に個人が内に閉じこもる傾向も指摘しました。どこにもつながっていない、集団に同化もしていないと考える個人です」

アメリカ民主主義の「影」どこにもつながらない”個人”

ダニエル・コーエン:経済学者
「ハーバードで教鞭をとるアメリカの社会学者ロバート・パットナムのすばらしい著書『孤独なボウリング』の中で1960年のはじめから少しずつこのコミュニティーや中間共同体…それは親たちの中間共同体であったりブリッジやボウリングのクラブなのですが、これら全ての共同体という基盤が崩壊したという説明を思い出しました

アメリカの社会基盤が崩壊したからこそ今日彼らは”孤独”だと感じている。トランプの人気はその”孤独”の表現の一つだと思います」

豊かさの中で消費を楽しむことを自由と感じるうちに、いつのまにか大事な繋がりを失っていたのか?帰る場所を失ったことで、抱えることになった孤独と不安

アメリカが恐れるものは自分自身だ 民主主義の乱用、冒険と征服の精神…己の力への思い入れと過剰な誇り、そして若さゆえの性急さなのである -トクヴィル


マルセル・ゴーシェ:政治哲学者 / 編集者
「我々は「暴力的な軍隊」という意味ではもはや争いの中には生きていません。しかし我々は”競争状態”にあります。これこそグローバル世界や我々が生きている個人主義の世界の掟なのです」

吉田徹:北海道大学教授
「誰もが生き延びようとしていますよ」

ゴーシェ
「そういうことです…それでもやっぱり厳しいことですよ。実際、ホッブスの方程式は別の次元で今でも機能していることが分かります」

万人の万人に対する闘争。今から350年以上も前に残された言葉。トマス・ホッブズ

所詮は人間も動物と一緒なのか?教育、文化なき状態、自然状態にあるとき、ヒトは財産や資源をめぐって、争いを続けるという。欲望と欲望のぶつかり合い。

そこで考え出されたのが社会契約であり、それを司る統治者の存在。聖書に登場する海の怪物、リヴァイアサン。ホッブズは人々で出来た鱗を持つ怪物に、国家をなぞらえた。

右手には世俗的権力を顕わす剣を、左手には宗教的権威を顕わす杖を持つ、国家権力の象徴


第4章 アメリカ、未来へのシナリオ

一つの物語が終焉を迎え、強大な力を求めるアメリカは一体どこへ向かおうとしているのか?

モンク
「可能性は3つあると思います。1つはトランプ氏のような独裁的なポピュリストが独立機関を弱体化し裁判所を無視し報道の自由を抑圧することです。」

未来へのシナリオ1
独裁的なポピュリストによる独立機関の弱体化・報道の自由の抑圧


モンク
「2つ目に最も可能性が高いシナリオはトランプに対する抵抗が生まれ独立機関は破壊されずに済むということです。それでも政治システムの規範が崩れます。

トランプ氏が政権を去っても彼のようなポピュリストの人気は落ちません。30年、50年、70年と経つ間に民主主義体制は弱まり、毎回ではないにしろトランプ氏のような大統領が次々と現れるでしょう」

未来へのシナリオ2
独立機関は破壊されないがポピュリストの人気が高まる


モンク
「3つ目は最も希望がある可能性です。多くの若いアメリカ人が今 起きていることを見てこの状況を拒否し民主主義の大切さを再確認することです。

民主主義が脅かされたら何が起きるか?身をもって知り民主主義のために戦うことです。政治に積極的に関わり憲法の大切さを思い出すことです

これが最も希望のあるシナリオです」

未来へのシナリオ3
民主主義の大切さを再確認し民主主義のために戦う


マルクス・ガブリエル:哲学者
「”アメリカ・ファースト”には国民がトランプを弾劾しうるという意味も含まれます。もし彼らがトランプを弾劾したらそれは民主主義が独裁政治に勝つ貴重な瞬間だと言えるでしょう。

この特異な個性による危機を実際にアメリカ人が回避することができたならその時アメリカの優れた民主主義制度を証明したことになり みな感心するでしょう。

今 私たちが目撃しているのはどこに向かっているか不明な船です。ドナルド・トランプと現在のアメリカの行政機関との対立。そしてチェックアンドバランスのシステム。

これが私たちが今 現在目撃していることであり民主主義の制度に対する極端なストレステストです」

極端なストレステスト?

ホッブズはこうも言っている
財産、名声、支配への欲望が争いの元。そしてその先にあるのは戦争だ


ゴーシェ
「このようなグローバル世界においてはなおさら自分たちを守ってくれるプロテクターとなる集団の必要性を感じるのです

また全ての個人が頼れる集団がないことの大きな不安を感じているのです」

グローバル世界からの経済の波。それはそもそも民主主義の敵なのか?
世界に広がる欲望の資本主義と、国という壁が守る欲望の民主主義。この捻じれの先にあるのは…?

人々の生き残りをかけた争いはヨーロッパでも加速度を増し複雑化していた。開かれた国境、解放される人々の欲望と感情

フランスが抱える 民主主義のもう一つの闇 それは…


欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第5章 第6章 第7・最終章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて

cf.
欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章
 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章
by wavesll | 2017-05-31 20:22 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章

c0002171_23271461.jpg
かつて、ある人が言った。この世は「万人の万人に対する闘争」だと…

それは様々な欲望がせめぎ合う世界。


トランプ
「偉大なアメリカを再び!」

混乱するアメリカ、

ルペン
「フランス共和国 万歳!」

分断が深まるフランス、テロの恐怖が追い打ちをかける。

急速に変わりゆく世界で人々の理性が失われようとしているのか…?繰り広げられる、争い。


ハイト
「ただ全てを破壊したかっただけなのだ」

コーエン
「未来への強迫観念だ」

混沌と不安の中で今、何が起きている?

世界の様々な分野の知性たちに問いかける、民主主義の今。これから。

ゴーシェ
「民主主義は人類による文明の最高の形態です」

ガブリエル
「民主主義は真実を得る方法でもなければうそつきの政府を暴く方法でもないのです」

様々な想いが錯綜する、生き残りをかけた欲望の物語。

第1章 フランスの誤算…?

200年以上前、革命を経て共和国となったフランス。

ナビゲーター、吉田徹:北海道大学教授
比較政治・ヨーロッパ政治 著書『感情の政治学』

「この4月と5月にフランス大統領選ありますけどかつてないほど昏迷状態。フランスの政治、社会、民主主義そのものが大きく動揺していることの表れでもある」

フランス共和国のシンボル、共和国広場。
中央には自由、平等、博愛を顕わすマリアンヌ像が佇む。

テロの犠牲者への献花、祈り、集会など人々が集い、語らう場所。


吉田
「民主主義と広場というのは切っても切り離せない関係にある。ある広場では賛成の集会をしていてある広場では反対の集会をやっている。色んなポリフォニーなんて言ってもいいのですけれど色んな声が聴こえてくる、それがフランス民主主義の特徴。

二つの大きな力がいつもせめぎ合っているというのが大きな民主主義のダイナミズムになっている」

そのフランスのバランスが崩れようとしている。

マリーヌ・ルペン候補:極右政党 国民戦線
「イスラム原理主義者に怯えるのはもうごめんだ。
女性の権利を制限し女性の体をベールで覆う こんなことはフランスでは許されない」

エマニュエル・マクロン候補:無所属
「国民戦線は嫌悪や恐怖など人々の感情につけいっている。これは博愛のための戦いだ!」

ジャン=リュック・メランション候補:急進左派 左派党
「もし他の3人の候補を選んだら君たちは血を吐くことになるだろう。貧困との戦いなのだ」

かつてない、極右人気。対抗する、極左。
右に、左に、大きく揺れる。フランスは今、どこへ向かおうとしているのか?


マルセル・ゴーシェ:政治哲学者 / 編集者
フランス社会科学高等研究院教授 学術誌『Le Debat』の編集長

瀕死の民主主義?国境なき経済圏の病とは…

吉田
「最初の質問です。危機的状況にある民主主義の現在をどう考えますか?」

ゴーシェ
「生か死かの瀬戸際です。この民主主義の危機は…それはグローバリゼーションと密接な関係にあると思います」

民主主義の危機=グローバリゼーション?

ゴーシェ
「民主主義についてフランス人に聞けば80%が"機能していない"と答えます。大きな数字です。
政治体制が重要な問題に対処できないと多くの人が感じている…我々が今直面している状況です。

フランスの欧州との関わり…これは非常にデリケートな問題です。フランスは欧州プロジェクトの提唱国でしたが今やコントロール不能となってしまいました。

グローバリゼーションはヨーロッパの世界における相対的権力を喪失させました。国民の中にも大きな不安を搔き立てました。

グローバリゼーションは社会の中にも分裂を引き起こしてしまったのです。グローバリゼーションは経済的な分裂をもたらしました。利益を得て順風満帆な勝者と気分の悪い思いをしている国民と…

繫栄する大都市のすぐ傍らに瀕死の想いの人々の地域があるのです。」

やはりここにも欲望の資本主義が関係しているのか…?

クリストフ・ギリュイ:都市地理学者
社会的階級の変遷をデータで解析 仏大統領選のアドバイスも行う

国民の分裂?グローバル都市と地域の二極化

ギリュイ
「フランス、ヨーロッパ、アメリカも今、特殊な時代に生きています。≪中産階級の消滅≫です。
現在、世界中の至る所に表れている現象です。」

≪中産階級の消滅≫…?

ギリュイ
「地理的なデータ解析でその傾向を読み取ることが出来ます…
フランスの地図です。大都市やグローバル化された都市が示されています。」

グローバル化された都市。ここには国民の40%に相当する高所得者たちが多く住んでいるという。その他の地域、フランスの周縁部ともいえる、中小の都市、農業地帯に国民の60%が住む

ギリュイ
「これらの地域で生活している層が今日の大衆層…下層階級なのです。
昨日までの経済モデルに同化し中産階級だった人が今や経済活動に重要ではない地域にいるのです。歴史上なかった現象です。」

フランスの周縁部、それはこの国の分断を象徴する場所。

パリ市内からクルマで2時間ほど、アミアン(Amiens)。近年、工場の閉鎖が相次ぎ、この家電メーカーも海外に移転することが決まった。

より安く、より効率的に。海外へと労働力を求めた結果だ


住民A
「この工場のために頑張って来たのにとても失望しています。父も母もここで働いていたんです。ですから、とても強い愛着があります。私が2歳の時にこの工場で撮った写真も大切にとってありますよ。

民主主義が正しく機能しているとはとても言えませんよ。みんな迷っているんです。右にも左にも失望していますからね。だから国民戦線が何かしてくれるのではと思うのではないでしょうか」

住民B
「全てが高い!でも給料は安い。給料が上がらないんだよ。いつも何かしら支払わなければならないんだ」

住民C
「ずっと前から大統領選には何も期待してないよ」

取材陣
「誰に投票しますか?」

住民C
「そういうことは言わないよ。僕が右か左か、どこに投票するかなんて。
でも言えるのは僕は労働者の息子だということ…つまり僕の両親が労働者だったという意味さ」

信ずるものはなんなのか?未来への地図を見失った、フランスの労働者たち

ギリュイ
「アミアンやピカルディ地方は≪フランスの周縁≫で工業地帯です。実際、文化的に随分前から国民戦線が支持されてきました。」

ルペン
「EUのせいで失業者や貧困の問題がかつてないほど深刻になっている」

ギリュイ
「国民戦線は≪中流階級の消滅≫の政党です。まず労働者、被雇用者、そして農業従事者…世界経済のグローバリゼーションと最も競い合うことになった人々が支持母体です。

自らの生活水準の低下を目の当たりにしてきた階層です。その始まりは30年前…人々の生活の変化に関係しているのです。偶然のなり行きではありません。

民主主義の問題はマリーヌ・ルペンの選挙以前からの問題です。今日、下層階級の人々が政治的に組み込まれていないことが問題なのです。

既に民主主義はありません。
民主主義の危機は明日でなく、今そこにあるのです」

ジャン=ピエール・ルゴフ:社会学者 / 作家
フランス国立科学研究センター研究員。人々の価値観の変遷を鋭く分析

ポピュリズム隆盛の仕組みは…混沌から秩序へ?

ルゴフ
「現在のフランスに何を見るべきか?統治する者と統治される者の間の溝…それは数年前から徐々に深まっていきました。

今、人々は自分たちがどんな世界にいるのか?分からなくなってしまったように思います。彼らの目にこの世界は広大なカオス状態に映っているのです」

広大なカオス状態

ルゴフ
「フランスを始め、現代の多くの国の社会と国民は数年前からある問題に直面しています。それは≪無理のある選択肢≫の問題です」

≪無理のある選択肢≫

ルゴフ
「どこに向かっているのか分からないがとにかく前へ進めというのがひとつの選択肢。現在のポピュリズムの隆盛もこの"前に進め"という主張の流れにあります。

もう一方は"やっぱり以前の方がよかった。後ろへ引き返すべきだ"という選択肢です。」

前へ進め
引き返したい


ルゴフ
「全ての問題はこの二択に集約されます。過去への「ノスタルジー的な回帰」と近代主義の「前方への脱出」と…。≪無理のある選択肢≫からどう抜け出すか?」

時代の勝者と、敗者との分断。この病は、あの大国でも起きていた。

第2章 アメリカの憂鬱

フランス革命より一足先に独立戦争を経て、合衆国となったアメリカ。歴史を切断するかのような、強硬な主張

ドナルド・トランプ
「戦争を避けるために必要ならば戦い勝利するために十分な装備が必要だ。」
「メキシコの壁は建築する。心配する必要はない!」

次々と繰り出される指令に、世界中が翻弄される
自由と平等を礎としたはずの国、民主主義の壮大な実験を試みた大国が、揺れている


ダニエル・コーエン:経済学者
文明批評でも活躍する経済学者 フランス政府経済諮問委員

経済格差への抗議?庶民にとって民主主義とは

コーエン
「フランスの大統領選やトランプの当選、イギリスのEU離脱など…ポピュリズムが台頭しています。
それは庶民が社会の中に自分たちの"居場所"を見つけられない表れなのです。」

自分の"居場所"がない

コーエン
「トランプの場合は白人で、マイノリティーでもない。白人でも大学に入っていない…つまり学歴のない人々がトランプ支持者の3分の2にあたります。

別の統計で"未来に希望はあるか"と聞かれ…"ノー"と答える人の3分の2がトランプに投票するとあります。

社会から置き去りにされた感情を持つ庶民…彼らの抗議投票がとても重大だということが分かります」

ペンシルバニア州 ジョンズタウン(Johnstown)
置き去りにされた、思いを抱え、産業の転換に苦しむ町。かつて鉄鋼や石炭によってアメリカの成長を支えた面影は、もうない。この土地の人々が投じた一票が、アメリカの未来を大きく変えた


ジャッキー・クルバック:Gautier Steel社 CEO
「はっきり分かっていることは仕事が何より大事だということです。だからこそトランプ大統領があんなに支持されたのです。それが彼の明確なメッセージだったのです。

大事なのは経済、仕事。アメリカをかつての姿に戻すことです。

私たちが目の当たりにしてきたのは失業の輸出です。中国はアメリカに失業を輸出しています。ヨーロッパの工場も南米も…世界中が失業を輸出しています。

貿易協定を守らせず、国境の監視を怠ったことでアメリカを苦しめるダンピングが起きています。トランプ政権になってやっとダンピングにブレーキがかけられました」

選挙期間中にトランプ氏はこの町を訪ね、直接市民たちの声を聴いて回ったという

クルバック
「彼は必要を感じたら直接国民と触れ合い手を差し伸べる人です。だからこそツイッターのアカウントを使い直接国民に話しかけているのです。

レーガン大統領は"偉大なコミュニケーター"と言われていました。時が過ぎればトランプ大統領は"偉大なモチベーター"と呼ばれるようになるでしょう。

彼にはポジティブなメッセージがあります。それはアメリカン・スピリットにパワーを与えるのです。

感情を抑えてほしいと思う時もありますが、私たちのような労働者と話している限りでは彼のメッセージは心に響くのです」

取材陣
「あなたはどの政党を支持しましたか?」

ジョンズタウンの住民A
「トランプよ、共和党。彼なら大統領が務まると思ったし、実際務まっているわ。自分の仕事がちゃんとできる人に大統領になってほしかったの。

もっと雇用が生まれて、経済がもっともっと良くなるといいわ。みんなが幸せになるようにね」

取材陣
「民主主義はキチンと機能していますか?」

ジョンズタウンの住民A
「さぁ…どう思う?」

ジョンズタウンの住民B
「…機能しているとは思うけれどもがいているかな」

ジョンズタウンの住民C
「私はトランプが約束を守るとは思えません。でも彼はさまざまな約束で人々を説得しました。人々はトランプを信じたがっています。それはこの地域をよくしたいからです。

ここは良い街だし以前の活気を取り戻せたらいいなとは思います。でも結局は空約束ばかりです。

アメリカは今、世界の笑い者になっていますか?」

一方、忘れられた工業地域の中に復活の手がかりを掴んだ街も。

オハイオ州 クリーブランド(Cleveland)
かつて自動車産業と鉄鋼業で栄えた街は、今、ヘルスケア産業を柱に変貌を遂げようとしている
学歴、人種を問わず、現地雇用を生み出し、国内での生産を続ける医療機器メーカーがある


藤田浩之:QED社 CEO
「平均を取ることに意味のない社会ですね。儲ける人間は何百億何千億と儲ける。で、本当にお金を儲けることが出来ない人は年間数十万、ですよね。

でもアメリカの良心というのは出来る者が援助を必要としている人たちに対して援助を差し伸べていく。そういう文化、がきちっとある。

少しでも余裕のある人たちが、やっぱり社会にどれだけ還元できるかというのを常に考えるというのしかないと思う」

取材陣
「今の政権に対してどう思いますか?」

藤田
「これはかなり沢山の方、アメリカの国民が想っていると思うのですけれど、内向きというか。アメリカというのは民主主義の国家であって、これは世界の国々がモデルとする国ですよね。そんなプライドをアメリカは持たないといけない。

アメリカがそれを失って、もう"規制をもっと増やして移民を減らせ"とそういう風ならそれはアメリカじゃないですね」

誇りを失おうとしているのか、国も、人も。しかし、誇りだけでも生きていくことはできない

ジョナサン・ハイト:社会心理学者
ニューヨーク大学教授 人々の政治行動の背後にある心理を分析

痛みから怒りへ…民主主義の破壊衝動とは?

ハイト
「私が目にした最高の分析での指摘はこうです。『人々はすべてを焼き尽くしたかったのだ』…
彼らはトランプが欠点だらけでも構わなかったのです。ただ全てを破壊したかっただけなのです。

アメリカ中部には新しい呼び名があります。≪フライ・オーバー・カントリー(飛び越す地域)≫です。アメリカの迷惑な部分であり…NYやロサンゼルスの非常時間を長くしている部分でもあります。NYやロサンゼルスに住んでいる人が中部に行きたい理由は全くありません。

こんな状況ですから「エリート層が失敗した、自分勝手だ、庶民を軽視している…」そうした感覚が大きくなっています。それが怒りを生むのです。

フラストレーションや単純に全てを焼き払ってしまいたいという欲求を生むのです。アメリカのポピュリズムではこの点が重要です。」

全てを焼き尽くしたい、破壊したい

ヤシャ・モンク:政治学者
ハーバード大学講師 専門は政治理論 新アメリカ政治改革プログラム研究員

民主主義の倦怠期 独裁を待望する時代とは?

モンク
「問題は二つです。一つは人々がかつてのように民主主義に対して熱意を持っていないことです。

独裁的な民主主義を人々は以前より容認するようになっています。これには選挙や国会の制約を受けない指導者やさらには軍の支配など…過激な意見まで含まれています。

もう一つの問題は民主主義の基本的な規範を大切にしない大統領をえらんだということです。

これは非常に危険な事です。なぜなら民主主義に必要なのは憲法や法律だけはないからです。民主主義を大切にしそのルールを守る政治家と人々が必要なのです」

民主主義のルール…?
そもそも民主主義とはなんなのだろう?


モンク
「民主主義ってなんだか分かる?」

子どもたち
「道徳的な…」

若者
「みんなが協力し大多数の人々の合意で結論を出すシステムです。特定のグループの権利を侵害することなしにね。

現在はそうような状況にないと思います。トランプは一般投票では勝っていないし、女性や同性愛者や他のマイノリティーの権利を侵害しています」

女性たち
「民主主義というのは国民が力を持っていることで国民が納得し真実をメディアが伝えることです」

「フランス人は自分の意見を言うことを怖がりません。それぞれが思っていることを口に出して言うことができる国です。アイディアを提案したり選出されたり。私たちがもっている大きな幸運です。歴史ある、すばらしい国です」

お年寄り
「自由に考えられること、好きな宗教を信じることができること…これだけでも十分じゃないか」

民主主義、それは古代ギリシャに遡る。Democracyの語源はDemokratia。Demos(民衆)Kratia(支配)、まさに民衆による支配そのものだ。

一人の王が支配する王政。少数が支配する貴族政とは異なる政治体制。民衆がすべて主権者であるという理念。理念でも、制度でもあるデモクラシー。


リチャード・J・サミュエルズ:政治学者
アメリカMIT教授・国際研究センター所長 専門は政治経済・安全保障

必要悪としての民主主義 欲望の争い… 守るべきルールとは?

サミュエルズ
「民主主義は最悪の政治形態である…ただし これまで試されてきた全ての政治形態を除けば。これには一理あります。」

元イギリス首相、チャーチルの言葉だ。

サミュエルズ
「礼節のある対話と受け入れられた規範のもとで行われる「政治的競争」…それが民主主義です。

国民一人一人がリーダーを選び、リーダーに公共政策に対する責任を問える仕組みです。一人または特定のグループに権力が集中しすぎないようにするためのプロセスです。

そのために必要なのは法律です。法による支配と権利の保障が必要です。特に集会、言論、信仰、報道の自由…少数意見の保護は不可欠です。

これらが揃い、なおかつ大衆の信頼があれば民主主義がうまく機能していると言えます」

民主主義は法による支配と権利の保障

ギリュイ
「民主主義とはまず権力を持たない人に権力を与えることです。投票とは経済的にも文化的にも顧みられない人が…投票において富裕層や重宝されている人たちと平等になることです」

民主主義とは権利の平等

マルクス・ガブリエル:哲学者
ドイツ・ボン大学教授に29歳で就任。現代哲学の新たな地平を切り開く

民主主義の倫理、他者への想像力とは?

ガブリエル
「民主主義とは"共同体の倫理"の実践です」

民主主義とは倫理の実践

ガブリエル
「つまり民主主義とは"声なき声を尊重する"制度なのです。

もしあなたが多数派側で同時に権力があれば、あなたほど力を持っていない人間に対してあなたほは責任を持つということです。力がある者はそれほど力のない者を支配して戦争を始めようとしてはいけないのです。

力ある者は策の向こう側はどんな気分か?常に考えながら治めなくてはなりません。」

民主主義は少数派の気持ちを考えること

ハイト
「問題は1776年と87年の建国のために集まった建国の父たちが民主主義を実は好んでいなかったということです。"民主主義は2番目に悪い政府の形だ"と言うプラトンの言葉を彼らは読んでいたのです。民衆や大衆により決められる民主主義は必ず独裁政治になると思い込んでいたのです」

民主主義→独裁政治?

ハイト
「私の専門は倫理心理学です。我々の「論理的思考」が感情や激情によっていかに左右されるかを研究しています。人は怒っていたり熱くなっていたり嫌悪や恐れを感じている時…とても悪い判断をするでしょう。

今アメリカはとても熱くなっています。ヨーロッパもそうです。ですから人々は簡単に扇動政治家に惹かれてしまうのです。これがポピュリズムの台頭の根幹です」

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第3・4章 第5章 第6章 第7・最終章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて


cf.
欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章
 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章

『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて
by wavesll | 2017-05-31 19:50 | 書評 | Trackback | Comments(0)

梅棹忠夫『知的生産の技術』読書ノート

c0002171_201763.jpg

梅棹忠夫『知的生産の技術』を読みました。

昨晩の外山滋比古『思考の整理学』読書ノートから間髪入れずに読んだため、その共通点(というか『思考の整理学』の種本がこれではないかw)と相違点が良く分かりました。

以下、心残点と感想を。

はじめに

学校は情報を教え過ぎる癖に知識の獲得の仕方は教えない。技術論が大事。もっといえば情報の時代の今日(1969年)コンピューターのプログラムの書き方が個人的な基礎技能になる日が早く来るかもしれない。

インターネット時代を予見したマクルーハン『メディア論』、シンギュラリティの時代にどう生きるかを示唆した『思考の整理学』に続き、ここにも未来視が。時の試練を越えるものには未来の価値観が含まれているのかもしれません。

本書はハウツー本ではないと書かれていますが、結構実際的なHow toが書かれていました。

野帖

メレジュコーフスキィ『神々の復活』ではレオナルド・ダ・ヴィンチは手帳に何でも書き込むとあった。わたしも手帳に「発見」を書いた。「発見の手帳」をつけると「二重発見」をチェックできるし、発見達の相互連関をみつけることができる。

野帖(フィールド・ノート)としてカードを開発して情報を整理した。カードはコンピューターに似ている。どちらも「忘却の装置」である。資料の整理は規格化が肝心で、体系的な管理システム構築により「時間」の捻出というより生活の「秩序と静けさ」がつくれる。


ここら辺のカード式情報管理法は「思考の整理学」にも書いてあったし、詳細なファイリング法も描いてありましたが、今はEvernote等で代用できる気がします。実際、BlogやTwitterを情報管理のツールとして有用で。

そこら辺のアプリ論は『知的生産の技術』の各章を、現代の視点から(シゴタノ!)に詳しいです。

とはいえ、電気を必要としないシステムってかなり強靭だとも思いました。

読書技術

i. 本ははじめからおわりまで読む。これが「よんだ」。一部だけ読んだものは「みた」。

ii. 読んだ日付や基本情報などの「読書の履歴書」をつくる

iii. 一気に読む

iv. 傍線を引く

v. 読書ノートをつくる。その際に一旦一気に読んだ後、つん読して、もう一度短時間で読む「読書二遍」が有効。

vi. 「その本の著者にとって大事な所」と「自分にとって面白い所」の二重の文脈で読む

vii. 読書にとって大事なのは著者の思想を正確に理解する事もあるが、それによって自分の思想を開発し、育成すること。それが創造的読書。

vii. 本は何かを「いうために読む」のでなく「いわないために読む」。引用するのが多いことは、それだけ他人の言説に頼っていて、自分の想像に関わる部分が少ないこと


読書技術についてかかれた部分が本書で一番有用でした。特に読書ノートを作る際に、自分と著者の間で化学反応した「自分の文脈」を大事にするというのはキュレーションサイトが色褪せたイマに非常に有効な提案だなと想いました。

文章の書き方

i. ローマ字で日本語を書くと日本語の分かち書きが身に付き、日本語理解が深まった

ii. 手紙の形式の周知の必要性

iii. 日記は、時間が立つと「他人」になる「自分」との文通で、魂の記録だけでなく宮廷貴族の昔から自分の為の業務報告もある。

iv. 原稿の書き方は、きちんとしたルールを訓練しないといけない。

v. 行動家は文章嫌いなきらいはあるが、文章は才能より訓練。文芸的な文章よりもビジネス的な文章の方が必要とされる場合は大きく、わかりやすさが大切。国語教育の設計しなおしが必要。


文学と異なる実際的な文章メソッドの話は山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 に詳しいです。

この『知的生産の技術』は『思考の整理術』だけでなく、『伝わる・揺さぶる!文章を書く』や斎藤孝『三色ボールペンで読む日本語』の父となった大樹に感じて。その樹形図の流れを視ることで、これから私たちの世代がいかに古典を現代へ転置していくかについても興味深く読むことができました。
by wavesll | 2017-05-30 21:39 | 書評 | Trackback | Comments(0)

外山滋比古『思考の整理学』読書ノート

c0002171_1153552.png

外山滋比古『思考の整理学』を読みました。心に残った處を列記していければなと。

1. グライダー人間と飛行機人間

本や教師に引っ張ってもらって飛ぶグライダー人間は自分で考えてテーマを創れない。不格好でも自力で飛翔する飛行機人間となれないと、コンピューターに仕事を奪われる。

伝統芸能では師匠が教えてくれない秘術を盗み取ろうともがく内に門人はいつのまにか自分で新しい知識を習得する力を持つ。惜しげなく教えるのが決して賢明ではない。


これは耳の痛い話で。私自身も職場で「君は自分で課題をみつけられない」と言われる人間で。大学の頃ESSで「考えさせるスタンス」の人材教育に反感を持ったりもして。借り物でないオリジナルな知見を拓いていく術を知りたくてこの本を手に取ったところもありました。

2. 朝飯前

朝起きた時が一番頭が働く。また朝は夜より楽天的になれる。朝飯を抜いてブランチにすれば"朝飯前"を長くとれるし、昼寝して起きれば夕食までにもう一度"朝飯前"をつくれる。

これわかるなー。頭がはっきり働くだけでなく音楽を聴くにも一日で一番よく音を愉しめるのは朝一番に聴いたときに感じます。それにしても朝飯前を長時間X2でつくるとは中々にハードコアだw

3. 見つめる鍋は煮えない

自分でテーマを掴むにはインプットしたものを寝かせて発酵させる必要がある。そして寝かせて時間をかける時に"今か今か"と意識しすぎてはいけない。寧ろ意識を他の問題に飛ばしたりして、無意識に持っていくのが吉。中国の欧陽脩は良い考えの生まれやすい状況を馬上、枕上、厠上といっている。

これも良く分かる。自分も読書が一番進むのは電車内だったり、旅の帰りの新幹線の夜間の車内で一番想念が湧く気がするし、アイディアに詰まったとき逍遥すると解が湧いてくることが結構あります。

4. 情報のメタ化=整理・抽象化が重要

一次情報を昇華させることで普遍的な真実へ。これは仕事でも非常に大切な事ですね。俯瞰の必要性というか。

5. 書き留めると忘れられる

ノートをとって、寝かせることで、時の中でふるいにかけられ整理される。また、人間もそうだが情報も周囲との関係性で活きたり腐ったりするから、ベストな場所で醗酵させるといい。

そもそも昔は博覧強記が優秀な知とされたが、PCが発達した今、創造的人間として活躍するためには頭の中を整理し自由な思考スペースをつくるのが重要。その為には書き留めることが忘却を活かしてくれる。


これもBlogやってると凄く肚に落ちることで。書くことで脳から外部ストレージに情報を移せるというか。その上でも忘れないことは時の試練に耐えたものだと分かるという話もその通りだなと想いました。

6. とにかく書いてみる

論文、報告書、レポート等を書く際に「もっと想を練らなくては」としていたらいつまでたっても書けない。寧ろ書くことで筋道が整備されることがある。書きだしたら一字一句を遂行するより一気呵成に一旦終わりまで書き上げるといい。

書くと纏まるのはその通りで。頭の中では大長編の大作でも、案外書き出してみるとサクッと短かったり。これは「不安を感じる時は書き出すと案外大したことない量だ」という話とも繋がる気がします。

7. タイトルは短く、テーマはワンセンテンスで

これはWebのSEOとは相反するかもしれないけれど、膨らむ余地のある題名は味があっていいですね。

8. アイディアは褒められて伸びる

アイディアの想念はすぐ潰えてしまうから、ネガティヴなことを指摘する相手には(たとえ知的能力が高い相手でも)アイディアを話さない方がいい。逆に自分から相手に水を差すこともせず、ピグマリオン効果を狙うのが吉。みえすいたお世辞でも価値がある。


相手は話題に出しても価値を理解できる場合は稀。批判的意見を出すのが相手の為と想う人間も多いし、そういった相手に意気を折られるなら関わらない方がいいし、逆に相手が求めてない情報を押し付けることは相手の為でなく自分の為という意識も持つといいと思います。

9. しゃべることでアイディアが発展する場合

知的会話がアイディアを発達させることがある。なるべく縁の薄いことをしている人が集まって談笑するとセレンディピティの触媒作用が起きる。声に出すとアイディアが発展する。近親交配だと弱体化するから、異なる分野の混血が新領域を切り拓く。逆にとっておきの思考はしゃべることで内圧を下げない方がいい。

旅先での旅人の間での会話がケミストリーを起こすのは此れ故か。異分野のフュージョンというとベビメタなんかもそうですよね。また喋ることでベントされてしまうのも実体験あります。

10. 本やメディアを通じた「第二次的現実」でなく生の「第一次的現実」の知恵を大切に

学生は本をベースにした知恵しかないが、社会で働く上ではメディアでなく実体験の第一次的現実から知恵を抽出させる術が大切となる。飛行機型人間は汗の匂いのする思考が大事。ことわざは第一次的現実の知恵ともいえる。

今夜、岩合さんのプロフェッショナル仕事の流儀をみて。最近、スローな番組や雑味のある気の抜けた写真に私は魅力を感じます。岩合さんの写真は鮮やかだけれど、自然みがあって。うま味を煮詰めた情報にだけ触れていると現実の淡々とした味を生き抜けない気がするのです。TVドキュメンタリーも味濃いのだろうけど。

時間をかけ、ともすれば平板な生の状態から凝縮しないと自らの手で「旨み」を創れない。一方で「旨み」を味わう側では誰かが既に煮詰めているものを食べた方が刺激的。メディアと第一次的現実双方を上手く連携することが必要で。読書やメディアで学ぶだけでなく、現実の実体験から抽象化により身体を持った知見を得る重要さはものの見事にハラオチしました。変な話だけど筋トレとかいいのかも。

それにしてもここら辺の話はマクルーハン『メディア論』にも通じる未来視だなぁ。

11. 3種類の知的活動

I. 既知のことを再認する(A)
II. 未知のことを理解する(B)
III. 全く新しい世界に挑戦する(C)

読書に於いてBの域に行くには解釈が必要で、Cの域へ行くには何度も体当たりする必要がある。A読みからBC読みへ行くには文芸作品を解釈しながら読むことが有意義。漢文の素読なんかもCにいい。


確かに既知を再認するだけのAの読書と違い、学術書なんか読むと脳がフル回転してぐったり疲れる感があります。逆に自己啓発本やビジネス本なんかは「そうそう、自分もそう」と想うのが好い、なんて話も聴いたことがあります。

12. コンピューター

最高のグライダーであるコンピューターの前では従来のヒトの仕事は奪われてしまう。
人間らしく生きていくことは人間にしかできないという点ですぐれて創造的、独創的。コンピューターが現れてこれからの人間の変化、"機械的"・"人間的"概念の再規定が求められる。


シンギュラリティが現実化している昨今、この先見はまさに今取り組むべきイシューだと頷きました。

前に「マンガはあまりにも演技がはっきりしすぎていてそれに浸かると現実のヒトの表情に鈍感になる」や「ロックンローラーの詩に触れていていると普段合う人の言葉が淡すぎるように感じる」等と書きましたが、"人為"でなく"自然"に目を向けることで寧ろ抽象的な旨みを生み出せる飛行機人間になると本書を読んで再認しました。

思考のフレームワークとして、時の淘汰を加速させるために忘却を促すというものは目から鱗で。こうして書いたからきっと次の本へすぐに進めると想いましたw

と、いうことで梅棹忠夫『知的生産の技術』を読みましたw!

梅棹先生のこの本は外山先生も参考になさったと想う位に似通う所がありました。

その上で『思考の整理学』のオリジナルな点も分かって。特に『「忘却」が「整理」である』という点を掘り下げたところが大きかったのだなぁと。

『身体的な思考』を取り上げたのも慧眼だったと思います。朝飯前が脳が働くことに加え、最後の辺りで出てくる「第二次的現実」が氾濫する現在に、寧ろ身体的・ことわざ的な知が思考に実体を与えるという話はインターネットとヴァーチャルリアリティーが日常化した今こそ読まれるべき指摘だなと想いました。

ちなみに余談ですが、漫画界の未来視・士郎正宗の『攻殻機動隊』を日本で実写化するとしたら『科捜研の女』のキャストでやって欲しいです。ってかハリウッドのビッグバジェットに勝つにはこれしかない。沢口靖子って素子っぽいし。

cf.
[書評] そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア)(極東ブログ)

by wavesll | 2017-05-30 00:02 | 書評 | Trackback | Comments(0)

M. マクルーハン『メディア論』 内容でなく表現形態こそがメディアをメディア足らしめている

Yukihiro Takahashi & METAFIVE / split spirit (Vimeo)
c0002171_14502424.jpg
マーシャル・マクルーハン『メディア論 人間の拡張の諸相』を読みました。

彼は"メディア"を通り一遍な見方ではなく、"人間の拡張としての環境媒体"と捉えます。彼のメディア観はこのWeb時代に於いて益々先見の明を感じるというか、
「われわれはその中枢神経組織自体を地球規模で拡張してしまっていて、わが地球にかんするかぎり、空間も時間もなくなってしまった」
という端書きをはじめとして、士郎正宗『攻殻機動隊』1巻を読んだ時のような未来視のヴィジョンを感じました。

とは言え、文中で出てくる言葉の定義が不明瞭な所も。のっけから「外爆発」、「内爆発」って何?となったし、マクルーハンの提唱した「HOTなメディア」「COOLなメディア」というのも、「TVがCOOLで映画がHOTなのの違いは高精細かどうかだけ?」とか今の視点で見るとちょっとはてなとなったり。しかしこの粗いながらもフロンティアを滑走する感覚はまさにクールな面白味がありました。

中でも面白かったのは"メディアはメッセージである"というアイデア。
これはメディアをメディア足らしめている力の源泉は、その"内容"でなく"表現形態"であるという話。

テレビの内容は映画であり、映画の内容は小説であり、小説の内容は書き言葉であり、書き言葉の内容は話し言葉である、メディアをメディア足らしめているのは内容ではないと。

その中で、例えば本は一人によって書かれた個人対個人の告白という形態ですが、新聞は記事群のモザイク状の集合体で"公の集団意識への参加"を発生させる形態である。そして新聞を新聞足らしめている源はその"コンテンツ"ではなく、"モザイク状の表現形式"と"配送やキオスクでの販売によって毎日みんなが読んでいるという環境 / システム"にある。と。

私がこの考えに非常に得心が言ったのは、"WebのCGMサーヴィス"なんかは正にそうだと想ったからです。TwitterをTwitter足らしめている、InstagramをInstagram足らしめている、FacebookをFacebook足らしめているのは"そこに書かれている内容"ではなく、"そのプラットフォームがどんな形態を持っているか"であり"どれだけの人が参加しているか"だと。これを1964年に上梓したマクルーハンの先見の明に舌を巻いてしまいました。

メディアを"人間の拡張"と唱え、ヒトは"拡張した己自身に自惚れる"と唱えたマクルーハン。彼のメディア論が面白いのは"どんな五感が使われているかによっての分類"にもあると思います。

彼は"そもそも西洋文明が発達したのは表音文字であるアルファベットがあったからだ"と説きます。そこに於いて音(聴覚)と文字(視覚)と"言葉の意味"が峻別され、そのディバイドから文明が形づくられていったと。

先ほどの"メディアは形態である"に通じる話ですが、私も昔「マンガは視覚と意味のメディア、音楽は聴覚と時間のメディア、アニメは視覚・聴覚・時間・意味のメディア」とか文学部の文化論の講義に潜ったとき思ったものでした。確かに西洋文明は"何かを分割すること、その分業"によって形づくられてきた印象があります。

マクルーハンは文字文化は分化を推し進めてきた一方、オートメーション・電気は統合を推進すると述べています。光の速さで地球が狭くなり、Global Villageが生まれる、と。そこでは五感が統合された、参加が促されるCoolなメディア環境があるだろうと。

まさに今インターネットによって"国際的な世間"が生まれつつあります。そしてそれに伴う軋轢も生じ、Brexitやトランプ大統領誕生、欧州での極右政党の躍進が起きている。そんなグローバル化へのバックラッシュの中で"マクルーハンならばどんな未来を視るだろう"とも想うし、単純にスマホやVRゴーグルについての彼の見解を聴いてみたいです。

マクルーハンは我々の技術が環境になることによって心身自体も影響を多大に受ける、そして芸術家のみがその中で平衡感覚を失わず「パンチを逸らす」術を提示する、と説きました。そんなVisionが今世界のどこかで生まれているのかもしれません。我々がゆく未来は、今萌芽している。その蠢きに五感を澄ませたい、そう想いました。

目次

ペーパーパック版への序文

第一部
はしがき
1 メディアはメッセージである
2 熱いメディアと冷たいメディア
3 加熱されたメディアの逆転
4 メカ好き  感覚麻痺を起こしたナルキッソス
5 雑種のエネルギー  危険な関係
6 転換子としてのメディア
7 挑戦と崩壊  創造性の報復

第二部
8 話されることば  悪の華?
9 書かれたことば  耳には目を
10 報道と紙のルート
11 数   群衆のプロフィール
12 衣服  皮膚の拡張
13 住宅  新しい外観と新しい展望
14 貨幣  貧乏人のクレジット・カード
15 時計  時のかおり
16 印刷  それをどう捉えるか
17 漫画 『マッド』――テレビへの気違いじみた控えの間
18 印刷されたことば  ナショナリズムの設計主
19 車輪、自転車、飛行機
20 写真   壁のない売春宿
21 新聞   ニュース漏洩による政治
22 自動車  機械の花嫁
23 広告   お隣りに負けずに大騒ぎ
24 ゲーム  人間の拡張
25 電信   社会のホルモン
26 タイプライター 鉄のきまぐれの時代へ
27 電話   咆哮する金管か、チリンとなる象徴か
28 蓄音機  国民の肺を縮ませた玩具
29 映画   リールの世界
30 ラジオ  部族の太鼓
31 テレビ  臆病な巨人
32 兵器   図像の戦い
33 オートメーション 生き方の学習

訳者あとがき
メディア研究者のための参考文献

cf.
マクルーハンと「メディア論」をソーシャル時代に改めて考えてみる (新聞紙学的)

by wavesll | 2017-05-19 19:47 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる

c0002171_13211266.jpg三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う

ETV、100分de名著で取り上げられた三木清『人生論ノート』視聴記も、今回がラスト。

執筆直前に妻を亡くした三木、戦争直前、死が近い時代に三木は希望についても説きました。最終回は死と希望について三木が伝えたかったことを読み解きます。

死について

近頃私は死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。年齢のせいであろう。以前はあんなに死の恐怖について考えまた書いた私ではあるが。

この数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。そして私はどんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来ることを目撃した。


昭和14年、三木はこの時41才。2年前に妻を亡くし親類や友人を立て続けに見送った頃。この一節には死から目を背けず死の恐怖に惑わされずに生きたいという三木の想いが込められていた。

死について考えることが無意味であるなどと私はいおうとしているのではない。死は観念である。

誰もが生きている間には自分の死を経験することができない。死を経験したときには死んでいるから人はいない。だから我々が死について考える時は"観念"として考える他はない。

ただ実際には難しく、死は人生に入り込み、生の直下に死はある。

死の恐怖が薄らいだのはなぜか?→確率の問題。生きていて死んだ人に会える確率はゼロだが、死ねば会えるかもしれないと考えたから。"そうあって欲しい"という要請からこの考え方に三木は到達。

同時に後に残す者たちに三木はこう言っている。

執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるから死ねるということである。

「執着するものがあるから死ねる」というのは"人間はそんなに立派に死ななくてもいい、執着するものがあって死んでもいい"。潔く死ぬのが美しいという時代に、悔いを残して死んでもいいという勇気のメッセージ。

私に真に愛するものがあるならそのことが私の永生を約束する。
想いを残した人がいるということは死後自分が還っていくべき所を持っている。

折に触れて思い出してもらえればその時自分は永生を約束されている→この根拠は自分自身が妻を忘れていないという愛からではないか。

妻の死の一年後、その一周忌に追悼文集を編集し、「幼きものの為に」という自身の文章も載せた。

やさしい言葉をかけたこともほとんどなかったが今彼女に先立たれてみると私はやはり彼女を愛していたのだということをしみじみと感じるのである。

彼女の存命中に彼女に対して誇り得るような仕事のできなかったことは遺憾である。

私が何か立派な著述をすることを願って多くのものをそのために犠牲にして顧みなかった彼女のために私は今後、私に残された生涯において能う限りの仕事をしたいものだ。

そしてそれを土産にして、待たせたね、と云って彼女の後を追うことにしたいと思う。


『人生論ノート』が刊行された翌年、三木は徴用されフィリピンで従軍する。そこでの戦争体験は彼の哲学を大いに変貌させるはずだった。しかし帰国した三木に言論発表の場はなく、娘と疎開する。

そして昭和20年3月、逃亡犯だった友人を匿ったという嫌疑で逮捕される。敗戦後も釈放されることなく、9月、獄死する。

もし私が彼等と再会することができるーこれは私の最大の希望であるーとすればそれは私の死に於いてのほか不可能であろう。

共産党員だった友人を匿えば身の危険が伴うのは分かり切っていたが、人間として三木は友達が助けをもとたときに救わないはずはなかった。

敗戦後も釈放されず毛布に付いた疥癬にやられ独房で一人死んだ三木。「三木は死ななくてもよい命を落とした」。

三木は戦争に往った数少ない哲学者。その経験を生かした書作を残せたはずだった。

三木は人間の生命と歴史における過去を重ね合わせ、その意味についてこう述べている。

過去は何よりもまず死せるものとして絶対的なものである。この絶対的なものはただ絶対的な死であるか、それとも絶対的な生命であるか。

死せるものは今生きているもののように生長することもなければ老衰することもない。そこで屍者の生命が信ぜられるならば、それは絶対的な生命でなければならぬ。

この絶対的な生命は真理にほかならない。


死=過去(歴史)と同等に考える歴史観を三木は持っていた。"死"が絶対的であるがゆえに"過去"もまた絶対的である。

過去を自分の都合のいいように利用し解釈する危険性を指摘している。"歴史修正主義"を三木は厳しく指摘している。

歴史を改ざんしようとすることは歴史を尊重していないこと。人間の"死"を尊重することは"歴史"を尊重することでもある。

雑誌「文学界」における最後の連載は「希望について」だった。

希望について

人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。

偶然の物が必然の必然の物が偶然の意味をもっている故に人生は運命なのである。希望は運命の如きものである。人生は運命であるように人生は希望である。

運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。


戦時下にあっても三木は最後まで絶望することなく人生論を書いた。

三木は個人、個性が失われつつあった時代に自分とは何か人間とは何かを問い続けた哲学者。そして最後まで人間の可能性を信じていた人だった。

もし一切が保証されていたら希望すらありえない。希望こそが生命の形成力である。

絶望することは簡単で、絶望しない人生を選んだのが三木の生き方。

「私は未来への良き希望を失うことができなかった」

国家全体が戦争へ向かって言論弾圧しても考えることを止めない、"言ってもしょうがない"にならない。精神のオートマティズムに巻き込まれると抜け出すのは至難の業。

三木がこれを書いた時代と現代は通じる感覚がある。しかしそういう時代に生きているからといって絶望する必要もないし生きている意味はないわけではない。

三木清は終生理想主義者だった。理想だけが現実を変える力があると三木は書作を通じて語りかけている。
by wavesll | 2017-04-27 15:30 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う

c0002171_11145499.jpg三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの

に続き、100分de名著 三木清『人生論ノート』視聴記。解説は岸見一郎氏です。

哲学者三木清は『人生論ノート』の中で私たち人間は虚無の中に生きるのだと説いた。
海のような広大な世界で、人間は自らを形成して生きてゆくのだ。第三回は虚無や孤独と向き合うことで"人間とは何か"を考える。

虚無について
"虚無"は"ニヒリズム"ではなく、"人間の条件"。
虚無だからこそ我々は生きていく価値があると三木は考えた。

どんな方法でも良い、自己を集中しようとすればするほど私は自己が何かの上に浮いているように感じる。いったい何の上にであろうか。虚無の上にというのほかない。

自己は虚無の中の一つの点である。この点は限りなく縮小されることができる。
しかしそれはどんなに小さくなっても自己がその中に浮き上がっている虚無と一つのものではない。

生命は虚無でなく虚無はむしろ人間の条件である。

けれどもこの条件は恰も一つの波、一つの泡沫でさえもが海というものを離れて考えられないようにそれなしには人間が考えられぬものである。


虚無を大海に例えるなら私たち人間は一つの泡のようなものでしかない。しかし如何に小さな存在であっても海がなければ泡も存在しない。

つまり海は泡が存在するための条件であり、虚無は人間が存在するための条件なのだ。

さらにとてつもなく広大な世界で生きるために、人間には形成力が必要である。

生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。

そもそも何もないことを押さえて、"無いからつくっていく”。これは前回の虚栄の話に通じる。

泡のような人間という存在、海があまりに広大過ぎて生きていくことに絶望するような徒労感・無意味感に襲われる。

しかし我々は"存在する"という事実から逃れられない。だったら何とかして虚無を掻き集めて自分自身で生きていく"意味"を作っていかないといけない。だから虚無からの形成力という話になる。

人生は形成である
"虚無"を”世界”や”宇宙”に置き換えてもいい。たとえ無意味に見える人生であっても誰かによって決められるわけじゃない。自分で形成して行くしかない。

しかし社会が変容したことによって現代人の自己形成は難しくなったと三木は述べる。

昔は生まれてから死ぬまでに出逢う人間は百人ほどで、限定された社会。しかし今は無限定な社会にヒトは住んでいる。顔も名前もわからない人たちとの関係。

ヒトは"私とあなたの間"に人間を作る。しかし現代は個性を形づくる関係が無数にある。

結果人間は無限定なアノニム(匿名)な存在になる。多くの人と繋がっているのに人は孤立していってしまう。

虚無との向き合い方を三木はこう説く。

今日の人間の最大の問題はかように形のない物から如何にして形を作るかということである。

三木は虚無から何かを形づくる力を構想力と名付けた。そして構想力の為には混合の弁証法が必要だと説いた。

弁証法とは本来、矛盾や対立を統一するやりかた。しかし三木は矛盾や対立を抱え込んだまま混合させるやり方を提示する。

その為には秩序が必要となる。様々な要素の配列や組み合わせを適切に位置付ける。それにより人間は虚無から脱出できる、と。

混合の弁証法:異質な考えを排除せず、すべて受け入れていこうという考え方。

秩序について
どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。
(略)
秩序は生命あらしめる原理である。そこにはつねに温かさがなければならぬ。


秩序とは上から押し付けたり機械的に切り捨てるものではない。秩序には温かさが必要。

さらに三木は国歌の秩序もどうあるべきかも考察した。

第二次世界大戦が始まった頃、三木は近衛文麿を中心とした研究会のブレーンとなり政治の世界に足を踏み入れる。日中戦争をなんとか終結させられないか、時代を生きる哲学者として三木は積極的に国策研究に関わった。

しかし戦争は泥沼化。昭和15年「昭和研究会」は解散。敢えて体制に加担しファシズムや軍国主義に抗してきた三木にとっては大きな挫折だった。

その翌年に三木は『秩序について』を書き上げる。

外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。人格とは秩序である。自由というものも秩序である。

外的秩序という言葉で三木は国家の秩序を考察する。為政者は自分に都合の良い秩序を強制しようとするが、心の秩序に合わないものは真の秩序とは言えない。

三木は形成の思想から日中戦争を傍観することをせず政治に関わった。

三木は上からの押し付けでは真の秩序はできないと説いた。が、軍部の独走を止める事は出来なかった。

三木は色んな価値を認めるという意味の"価値多元主義"の危うさに気づく。現代の例でいうと「ヘイトスピーチも言論の自由である」と言われれば誰も止められない。

土台になるべき価値を認めなければならない。その「価値体系」の大切さ。

混合の弁証法の話も含め、"価値体系"と"価値多元"は別なのか?→すべての価値を受け容れるのは危険。

人間存在の尊厳を大切にすることを土台としていられれば、多様な価値を内包できる。しかしそれがないと人間は無秩序なアナーキー(虚無主義)に陥る。

何も価値観がないところに新しく強力な価値観を植え付けることは簡単。子供たちに特定の価値観を植え付けることは容易。批判能力がないから。

秩序の根源には「人間の尊厳」を認めるという価値体系が必要

虚無を認識しながら自分で価値観を形成していかないといけないと対で理解していないと容易く扇動されてしまう。「ニヒリズムは独裁主義の温床である」。

一方昭和15年に三木は『孤独について』を発表する。

孤独について

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。

三木は"孤独には美的な誘惑があり、味わいがある"と書き、決して"孤独を乗り越えよ"とは言わなかった。寧ろ"たった一人であることを自覚し、孤独に耐えることは生きる上で大切なことだ"とした。

感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層真理に近い。

感情は多くの場合客観的なもの社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの人格的なものである。

真に主観的な感情は知性的である。孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。


三木は孤独を大切なものと説く。大勢との間に「孤独」という隙間を持てる人は迎合しないことでもある。

「孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ」戦争へ向けてみんなで熱狂していた時代に孤独を説いた三木。孤独のうちにいられることが"強さ"。

知性に属する孤独。知性は煽ることが出来ない、でも感情は煽ることが出来る。

孤独だけが個人の人格、内面の独立を守ることが出来る。不屈の闘志が、この本にはある。

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる
by wavesll | 2017-04-27 15:17 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの

c0002171_10473978.jpg三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か

100分de名著、三木清が太平洋戦争前夜に書いた『人生論ノート』を岸見一郎さんのナビゲートでおくる第二週。今回は虚栄心、怒りと憎しみ、嫉妬についてです。

虚栄心とは

虚栄は人間の存在そのものである。人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。

人間は生きる上で不安や怖れを抱えている。そこから少しでも目を背けるために自分以上の自分を造り出そうとしている。

全ての人間的といわれるパッションはヴァニティ(虚栄)から生れる。

いかにして虚栄をなくすることが出来るのか。創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである。フィクションの実在性を証明する事である。


三木は「虚栄と付き合うには」と三つの方法を提示している。

1. 虚栄を徹底する
仮面をかぶり続けて虚像を演じきる。一生仮面をかぶり続ければそれが本性になる。

伊集院も"芸名である伊集院光としてこうありたい、こう思って欲しいとすることがある、それは嘘を吐くというわけでもない”と述べた。私もハンドルネームでの発言で逆に引っ張られたりします。

パーソン(人間)の語源はペルソナ(仮面)

2. 虚栄心を小出しにする
ささやかな贅沢をする。日常生活で虚栄心を少しづつ満足させる工夫をする。

小出しだと虚栄もボロが出ない。その程度の虚栄ならば徹底できる。

そこそこの虚栄は必要だ

3. 創造によって虚栄を駆逐する
「創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである」

「人生とはフィクションを作ることだ」
人というのは孤独ではいられない。他の人の評価を絶えず気にする。でもそういう気持ちから作られる人生は虚栄。自分の意志で人生を創造していけば虚栄を駆逐できる。

虚栄と言っても全てが駄目ではなく、今ある自分よりもより上を目指す、そのために努力をする、向上心とも言える。

嫉妬について

どのような情念でも天真爛漫に現れる場合、つねに或る美しさをもっている。しかるに嫉妬には天真爛漫ということがない。
(略)
愛は純粋であり得るに反して嫉妬はつねに陰険である。嫉妬こそ(略)悪魔に最もふさわしい属性である。


愛と嫉妬は似ている。術策的で持続的な点において。そのため長続きして人間を苦しめる。愛があるからこそ嫉妬が生まれる。嫉妬がさらに想像力を働かして心を忙しくさせてしまう。

「想像力は魔術的なものである。ひとは自分の想像力で作り出したものに対して嫉妬する」

愛と嫉妬は厳密には区別できない。

嫉妬の対象
1. 自分より高い地位にある人

2. 自分よりも幸福な状態にある人

3. 特殊なものや個性的なものではなく、量的なもの、一般的なもの


つまり嫉妬は平均化を求める傾向がある。

相手を低めようとする。自分を高める建設的な努力をしないで相手を貶めようとするのが平均化。

今もSNS等をみるに日本の社会全体が平均化を求める傾向がある。誰かが幸せになることを許さない、みんな平均化を求めている。

それに対抗するには”個性を認める”こと。自信がないから嫉妬する、他の人のようになりたいと想う。"この自分を認めるということ"から始めるしかない。自分を認めることで他者を認める事が出来る。

自分を変えようとする努力を止めたときに変われている

怒りについて・憎しみについて

世界が人間的に、余りに人間的になったとき必要なのは怒であり、神の怒を知ることである。今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。切に義人を思う。義人とは何かー怒ることを知れる者である。

今日、怒の倫理的意味ほど多く忘れられているものはない。怒はただ避くべきものであるかのように考えられている。しかしながらもし何者かがあらゆる場合に避くべきであるとすればそれは憎しみであって怒ではない。怒はより深いものである。


腹が立った時に内に篭って憎しみつづけるよりもカラっと怒った方がマシだ

社会の利害関係や不正に対して公憤を覚えるのは必要だ。←戦前の空気に対しての想い

怒り:突発的、純粋性・単純性・精神性、目の前にいる人に対して

憎しみ:習慣的で永続的、自然性(反知性的)、目の前にいない人(アノニム)に対して

怒りには目の前の人への怒りの理由がある感情。しかし憎しみには理由がない。元々の理由は分からず、憎しみを持続するために憎むようになる。憎しみは匿名の相手に向けるもの。ヘイトスピーチなど個人でないものへの反知性的なもの。憎しみから抜けるには知性的であれ。

偽善について

偽善者が恐ろしいのは彼が偽善的であるためであるというよりも彼が意識的な人間であるためである。

偽善者が意識しているのは絶えず他人であり社会。彼らは他者の評価や社会的な評判だけを意識して求められた役割だけを果たそうとする。つまり善悪の価値基準を他人に任せて自分で判断しない=精神のオートマティズム

道徳の社会性というが如きことが力説されるようになって以来いかに多くの偽善者が生じたであろうか。

これが発表されたのは昭和16年8月。数か月後の開戦を前に翼賛体制の重苦しい空気が言論界にも立ち込めていた。

今日どれだけの著作家が表現の恐ろしさをほんとに理解しているか。

偽善者は往々にして権力に阿り、他人をも破滅させる。三木のメッセージは言論人への警鐘だったのかもしれない。

"道徳の社会性"とは個人よりも社会が優先される考え方。個人の幸福を唱えてはいけないという時代背景の中でこの言葉が使われている。

もう一つは倫理が上から押し付けられる時勢を念頭に置いている。一人一人が納得し時に疑問、否定をしないといけないのに道徳の押し付けがされる時代は非常に危険。

異を唱えない人たち=”偽善者”
言わなきゃならないことを言わないことを反省し、自己保身でなく言わなければならないことを言う表現者としての責任を決して忘れてはいけない。

言論者・表現者の責任は”〇〇を言った責任”が意識されがちだが、"言わなかったことも「責任」"

三木が戦争前夜の空気の中でこの本を発表した事。表現の仕方を考え詰めて発表したことは貴い。三木は思想を理由に殺された。

思想や信条を理由に殺されることがつい数十年前に日本で起きたことを我々は忘れてはならない。これから同じことが繰り返されぬために言うべきことを言う勇気を持たなければならない。

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる
by wavesll | 2017-04-27 15:02 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か

c0002171_10454236.jpg三木清『人生論ノート』(青空文庫)

好きでよく見ているETV「100分de名著」でアドラー研究者で著名な岸見一郎さんの解説により三木清の『人生論ノート』が取り上げられ、大変滋味深く番組を観ました。

三木清氏自体への説明は
哲学者・三木清が『人生論ノート』に至るまで(NHKテキストView)
三木清 人生論ノート(松岡正剛の千夜千冊)
あたりをご覧になっていただいて、ここでは『人生論ノート』は戦争の不穏な暗い時代に三木が「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれた一般向けの哲学的エッセイとして書いていたとだけ触れておきましょう。

このエントリでは番組で取り上げられた三木の思想と伊集院などの解釈等を記したいと想います。

幸福について

今日の人間は幸福についてほとんど考えない。(中略)幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。

国家総動員法の下、個人が幸福を追求することが許されない時代。

幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ。と三木は説きます。

三木がこれを書いたのは個人より社会を優先しようとするファシズムの下、幸福への要求が抹殺されていた時代。
しかし現代も「自分幸せでーす」みたいなのって言いづらい。同調圧力により個人の幸福が蔑ろにされているという状況は今日にもある。

三木清は逮捕され投獄され、大学を追われ在野の哲学者として『人生論ノート』を書いた。

幸福は徳に反するものでなくむしろ幸福そのものが徳である。
我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。


あの時代、自己犠牲や滅私奉公が徳とされていたので、幸福=徳は危険な思想。しかし自分が幸福であることは"利己主義"ではない。例えば介護について。自分を犠牲にして介護するから徳ではなくそれを全うするから幸福ではなく、自分が幸せでなければ人を幸せにすることすらできない。

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった

三木は成功は"過程"であり、幸福は"存在"であるといっている。「こういう目標を達成出来たら幸せになれる」というのは成功を求めている。しかし何かを達成出来たら幸せになれるのではなく人はもうこの瞬間に幸せであるという考え方。これが「幸福は存在である」というもの。

必ずしも成功と幸福は繋がっているのではなく、幸福とは各人にとって"オリジナルなもの"。
「絵にかいたような幸せ」と「本当の幸せ」は別。

成功は"量的"なものと三木は言う。そして幸福は”質的”なもの
誰もが真似できないオリジナルな幸福を持っている。それを追究すべきで、誰もが求めそうな幸福を追い求めてはいけない。

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。

しかし真の幸福は彼はこれを捨て去らないし捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。

この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。


刹那的な幸福、いつわりの幸福をコートを脱ぐようにためらうことなくいつでも脱ぎすてられる人が本当の幸福なんだと三木は考えている。でもいつわりの幸福は脱ぎすてられるけれども、絶対譲れないものがある。それは”人格・命"である。それが真の幸福。

心筋梗塞で仕事を失い、ベッドの上で逡巡したとき、自分が生きてることが幸福なんだと想えた時に、どんな困難でも耐え抜き生き抜けると岸見さんは想ったという。

"幸福感"と"幸福"は違う。高揚した感じ、情緒的な感じ、感覚的な感じではない。真の幸福は熱狂を醒ますもの。幸福とは"知性"で考えるもの。感性で捉えるものではない。

自分自身の幸福とは何かを考え抜かなければならないし、それを放棄してはいけない。
三木は戦争の末期に投獄され、敗戦しても解放されず、獄死する。しかし彼の言葉は今も活きています。

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる
by wavesll | 2017-04-26 21:10 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)