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ルバイヤート 絶対への諦念と生の彩

c0002171_18454127.jpgオマル ハイヤーム (著), ‘Umar Khayyam (原著), 岡田 恵美子 (翻訳) のルバーイヤートの文庫本を地元の古本屋で見つけ、さらっと読んで今白ワインを飲みながら軽く酔って感想を書いています。

このペルシャの、生前は天文学者として知られた詩人が残した四行詩集について私は、『酒を飲め、現世を楽しめ』というメッセージくらいしかしらず、快楽的な生を肯定するエピクロス的な、放蕩といってもいいような詩集なのかなと思っていました。

しかし、科学者として、学識を深めていくうちに、ハイヤームはイスラム教の教理に対して疑義を抱くようになり、かといって科学が真理のすべてを明らかにしてくれるわけでもなく、生には意味などない、永遠に続く魂などなく、全ては土に返され、自分が生まれてきたことも死ぬことも、後の世には何の意味もなさないという、寂寞とした思いに駆られていることがその言葉から伝わります。人生は苦しいことばかりだと。

そこで神への陶酔の疑義を、酒や美しい人への陶酔で埋め、幻である人生のただこの一瞬、今、現世を楽しもうという一種諦念からの生への意思を詩に認めていたのだと思いました。

わが心よ、神秘の謎を解くことはお前にできず、
すぐれた知者の境地に至ることもできはしない。
盃に酒をみたし、この世を天国にするがよい、
あの世で天国に行けるかどうかわからないのだから。


彼の一種科学的な、現世を楽しもう。悲しいものは飲まずに、酒を飲もうという意思は、神という存在が希薄になった現代に生きる人々の心に響くと思います。ただ、解説によると、酒を飲むというのはただ単に享楽に溺れるのではなく、人事を尽くしたのち、天命を待つ間酒で楽しくなろうじゃないかという意味だそうです。

翻訳の岡田さんは、詩をイランの文学者サーデク・ヘダーヤトの著作に倣い、8グループに分け、その頭にイランに関する前文を書いています。
イランの人々の思想や生活。詩がとても人気があったり、砂漠に遠足に行ったり、壺を見た時に『この取っ手は美女の腕でできている』と思うような人が土にかえりそれが壺になり、土になり、生命が生まれるといった感覚が書かれていて、興味深かったです。

末尾の解説で、四行詩の原文の際のリズムについて解説がありましたが、原文と音のアルファベット表記、そして日本語訳という構成にしていればより詩を楽しめるかなとは思いました。

しかし、人のできることは永遠でなく、いつか消え去る。だからこそ、今の生を彩ろうというハイヤームのメッセージは十分に伝わり、訳も平易で読みやすかったので、大変面白い本でした。この調子で『王書』など他のペルシャ文学にも手を広げていきたいなと思いました。
by wavesll | 2013-04-26 18:34 | 書評 | Trackback | Comments(0)

凍りのくじら

数年前に購入したのだけれども導入部だけ読んで放ってしまっていた。
辻村美月の『凍りのくじら』を2年ぶりに読み返し、2週間くらいかかったかな、今夜読み終わりました。

こう書くと読みづらい本なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、全然そんなことなく、平易な文章で書かれていて読もうと思えば2晩あれば読めるくらいの本でした。

ドラえもんの道具を表題とした10章とプロローグ・エピローグからなる小説で、作者さんの藤子不二雄への信頼が伝わってきました。

主人公の理帆子は周りの人間とさっと上手くやれるけれど、どこか馬鹿にしていて、自分の場所はここじゃない、きちんと生きれていないという思いを抱きながら日々を過ごす『少し・不在』な女子高生。

そんな彼女が人生に目覚めるある出来事を描いた話なのですが、結構読むのが辛かった。

と、いうのも理帆子の元カレとして登場する若尾という大学生の『少し・腐敗』の腐りっぷりが、読んでる私自身にも重ねられて、女子の目から見たら俺なんてこんなもんだよなーと身につまされながら読んでいたから(苦笑

この二人に共通しているのは、未だ主体的に人生に関わって何事かを成し遂げたことがない、社会の中で生きていない点。自分は愚民とは違うと思っていて本当の意味で人を愛していない、子供な点だと思います。
その幼さから、ある事件が起きるのですが、その事件に関わる郁也という10歳の男の子との関わりが、理帆子を変えていきます。

自分より幼い郁也のことを思いやることで、理帆子は精神的に成長していく、一方で若尾はいつまでたっても自分のテリトリーから出ずに、成熟も成長もしていかず、責任のない立場で腐敗が進行していく。

大人になる・成長するっていうのは責任を持っていくということなんだなぁと改めて思いました。そして理帆子は初めて自分以外の人に対して責任をもって行動したからこそのラストだったんだなぁと思いました。

あのラストはドラえもんが未来へ帰る話をモチーフにしたのかもしれませんね。

Amazonの他の書評だと結構主人公に対する批判は多いけれども、この話は大人になりきってしまった人よりも未だ子供と大人の間にある人が読むべきものなんじゃないかなという感想を大人になりきれない私は持ちました。

あと、母親の夫と娘へのラブレターには涙腺が緩みそうになりました。
by wavesll | 2013-04-04 00:31 | 書評 | Trackback | Comments(0)

金閣寺読了

昨年末からちょびちょび読んできて、ようやく読み終わった三島の『金閣寺』、途中経過の時も書いたが、豊饒な表現に酔いしれた。美についての懊悩、人生の挫折と破滅への運命的なまでの堕ち方。その暗い耀きに共感してしまう私はアラサーの中二だな。破滅を起こしたのちに生きようと思う身勝手さも人間の業としてリアルだ。本当に面白かった。

吃りにより世界に置き去りにされる感覚はコミュニケーション力に劣る人には己の事のように思えると思う。異性に対する苦手さから『人生』を進めていないと考え更に拗らせるのも若者の一典型だと感じた。アウトサイダーの持つ重力は適正な距離を保ちながら描写され人間の一つの真実を画いていた。

悪友の柏木のキャラもいい。賢しく世を渡り悪の道を主人公に示す彼が悟ったように語る美の論はなんとなく得心が言った。美は虫歯のように四六時中頭を悩ませるが、それを切り捨ててみるとなんでこんなものに頭を悩まされていたんだろうと感じるものであり、しかしいくら悩まされたとしても、それに耐えていくことこそが社会における解だという。

それに対し、主人公は最後は押し流されるかのように美を切り捨ててしまう。

それまで憧れ、憎み、圧倒され時に落胆した金閣の美が舞い狂う。その絢爛な幻との対決に彼は勝利したのか?南仙和尚が猫を殺したように美を灰塵に帰したのだろうか。彼に待っているのは重い未来。しかし小説は最高潮で終る。それまでの生の重みが爆発し解放された状態で終るのが蛇足なく美しい。

しかしある意味で自分のことのようにこの『金閣寺』を読んだ私にとって一番知りたいのは、爆発の後の人生は、出涸らしだったのかどうかという事だ。物語では描かれない、その後の生に興味があった。

この小説は現実に起きた金閣寺放火焼失事件を基にしている。

金閣寺の放火犯人である林承賢は、7年の刑期の間に統合失調症と結核を悪化させ、病院で病死している。結局狂った人間は狂ったまま死んでいくのかもしれない。彼の人生のクライマックスはまさしく金閣寺放火の瞬間だったのかもしれない。

しかし三島の描いた青年の今後の人生は現実とは異なった経過を見せそうだなと、最後に示された生の意志から感じた。その人生において彼は幸せを掴めるかはわからない。むしろ不幸な一生を送ることになったかもしれないが、生は続く。無様でも生きていくという結末を三島が書いたことが、私は嬉しかった。

確かに、主人公は物語の中で自分から見ても他人から見ても平凡な人から外れ、異常者としてみられながら今後の生を生きることになるだろう。実際、人の道を踏み外してしまったのかもしれない。普通の幸せとは全く別の所に幸福を求めた彼の行動は、社会的に見れば狂っているだろう。 この小説は、世間でまっとうに『人生』を送っている人には響かないかもしれない。

しかし彼の行為は彼の人生からしたら必然であり、その後その負の影響を受けながらも生を生きていくにしても、彼の人生を丸ごとかけてみた幻は、その認識は決して平凡な人生では味わえなかったものなのだろうと、三島の名文から感じられた。人生や社会における狂人には狂人にしかみられない特別な景色がある。それを普通の人に伝達する筆力を、『金閣寺』から感じた。

そしてそれは、私が小説に求めるものそのものだった。
by wavesll | 2013-01-28 02:46 | 書評 | Trackback | Comments(0)

金閣寺を読む 1

Vivaldi - Four Seasons (Winter)
この年になって初めて三島を読んでいる。

読むのは個人的なバブル時代に買った新潮文庫の金ぴかのカバーのもの。
モノとして奇抜で物欲がくすぐられたので購入したが、内容も素晴らしい。

実はまだ読み途中なのだが途中なりに感想を書いてみたい。

まず感じるのが表現の流麗さ。
一般の話言葉ではみかけない単語がスパンコールのように鏤められていて、1ページ1ページがフレンチを食べているかのような心持になる。古典の品格を思う存分味わえる。

三島の端正な文章はしかし、艶めかしい。

私は漱石が好きなのだが、あの一種水墨画や水彩画のような読書体験と比べると、三島のそれは油絵だ。音楽で言えば漱石はビートルズで三島はストーンズ、毒がある。

上で艶めかしいと書いたが、セクシャルなモティーフやシーンも描かれているのだが、それ以外にも、暗がりで輝く快楽が描かれている。

主人公の少年は吃音をコンプレックスにしていて自分の精神世界にどっぷりと浸かっているタイプ。この、自分が言いたいことを言えないうちに世界は次へ行ってしまうというキャラクター造形は、結構共感を呼ぶ人には呼びそうだ。そんな彼がほぼ崇拝と言っても良いくらい囚われるのが金閣寺の美だ。

美を愛する、美を求めるというのは、ともすると美に淫する。そこには依存性の快楽がある。欲望が高次へ向かえば明るい楽しみだけでは終わらなくなる。主人公の言葉を借りれば、『美ということだけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである』。

彼は悪にも目覚めていく。権力と暴力を行使すること、嘘をつきとおすことに悦びを見出していく。これを中高生のときに読んでいたら、色々開発されて人格形成にも影響しただろうな。

こうした暗黒の輝きや、人生の状況が彼の中での金閣の美をさらに際立たせていく。物語の結末は知っているのだが、煌めく表現と主人公であるどもりの僧がいかにしてその結末に至ったかが楽しみだ。

金閣寺読了
by wavesll | 2012-12-15 06:45 | 書評 | Trackback | Comments(0)

言技術 西尾維新『ネコソギラジカル』

DJ Krush 『Kemuri』


西尾維新の『ネコソギラジカル』3部作を読んだ。このラノベは戯言シリーズの完結編で、ジョーカー級のそれ一枚で状況をひっくり返せるような異能を有する人外の間で、何の能力も持たないが「戯言」で問題を解決してしまう「ぼく」が活躍する話だ。

最初はライトノベル特有の空気というか、「いちいち赤を『紅』と書くセンス」とかギャルゲーノリに戸惑ったが、読み終わってみるとかなり面白かった。突き刺さるシーンも多く、非常に面白かったのでほかの戯言シリーズも読んでみようかなという気になった。

またこの主人公が面倒なやつなんだw

「まじどーでもいいことをやたらめったら難しく考えてるうちに周りがどんどん話を進めてありえない方向に話が外れていくなーとか自分の能力のなさをふがいなく感じているのとは裏腹に物語中で最大の功労者のポジションを与えられている。」

みたいな感じに一気呵成にストーリーが展開していくから文体にスピード感があって軽い。『バトルロワイアル』を読んだときみたいに「よくわかる異常性」を感じさせる本だった。

その後現東証会長で、元東芝社長の西室さんの講演を聞いた。西室さんは大学で全塾自治委員会委員長を務め、カナダに交換留学に行った後、東芝では語学力を買われてアメリカで広報や販売の仕事を任され、技術系以外では稀という東芝社長になった島耕作を地で行く方だ。

西岡さんは悩める若者に
「色々なポストで下らない仕事を回されたとしてもそれに正面から取り組まなければならない。その仕事の価値は自分だけでは決められない。与えられた仕事を真面目にやることが大事だ。チャンスが無いようでも、最初から『これやっても駄目だ』ではなく単純な作業でも他人より上手くやるようすることが大事で、その積み重ねが自信になる」
「好奇心を持って未知のものに挑み続けることが大事だ」
とおっしゃっていた。さすが実力のある人の言葉は重いな。

まーでも「戯言遣いのぼく」の活躍を読んでいると、口先三寸でも結構問題解決って出来てしまうんだなーとか想うけどねw言葉の力も実力のうちか。西室さんも日本人に足りないのは前向きなコミュニケーション力だって言ってたしな。言葉は大事だな。

俺はよくしゃべるほうで、しかも荒唐無稽の領域に属することを言うほうだから、かなり言葉で苦労している。誰も俺が言うことを本気にしないからなwwwwwwwww

だからその分なるだけ俺は自分の言葉に肉づけをするようにしている。いうならば「諺を地でいく」というか、自分が実際にやったことを素材に、切ったり張ったりして俺なりの「戯言」を構成するようにはしているつもりなんだけどそこらへんの効果もどーなんだろーな。まぁリアルに演技とか嘘とか織り交ぜてるから、どうにも俺の書く文章は自分で読んでてもバッタもんぽいんだよなぁ。まぁこれはいずれ時間が解決してくれることを祈ろう。

まぁ、オオカミ少年の俺が言うのもなんだけど、本当に大事なものは言葉では表せないと想うよ。 現したいものと現れるものの間には差が生じる。


小田和正 『言葉にできない』


だからせめて限りなく近い表現ぐらいはしたいものだ。


by wavesll | 2007-12-19 09:17 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)

リチャード・バック『イリュージョン』 救世主入門テキストを読む

奥田民生 『愛のために』


「鴎」という名前を考えたときに思い浮かべたことはたくさんあった。カゴメトマトジュースに似ているとか、森鴎外もあったな。もちろんその中にはかもめのジョナサン・リヴィングストンの姿もあった。

自分自身をくびきから解放して限界突破する物語だ。この話は「カモメ」に関してある一定のイメージを世の中に広げて、俺も間接的に影響を受けていたんだけど、この夏の松山旅行で実際に『かもめのジョナサン』を読んでみて、改めて俺は勇気付けられた。

でもこの本を翻訳した五木寛之さんは後書きでこの物語にどこか「汚れることを許さない危うさ」を指摘している。確かにジョナサンは大したカモメで、どんどん高みに昇っていくけれども、どっかその生き方には遊びというか、バッファがない気がする。人生の正解は一つだけではないはずだ。

松山旅行ではもうひとつ小説を読んだ。『かもめのジョナサン』の作者のリチャード・バックさんが書いた『イリュージョン』だ。

この主人公は、世界の救世主となる能力を持っているんだけど、自分の人生を最優先してるから、気が向いたときにしか他人を救わない。だけどその分みていて辛いところがひとつもない。

『かもめのジョナサン』には女カモメは母親しか出てこないし、食事シーンも少ないけれど、『イリュージョン』では売春婦も出てくるし、主役達は美味そうにメシを喰う。俺はジョナサンも好きだけど、ドンも大好きなんだ。できれば彼らのようになりたい。

そこでここではドンがリチャードに見せた『救世主入門テキスト』を紹介しよう。


『救世主入門~三歩先を行く精神が心がけるべきこと』

三歩先を見る能力を常に活用せよ、
さもなくば、常に三歩後を歩むことになる。

このページを見れば、忘れていたことに気づく
身辺で起こっているのが真実ではないことを

そのことについて考えよ、

どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が引き起こして身を投じた混乱の渦がある。何故そんな事をしたのか、理由が何であったか、思い出そう。
君達はいつか恐ろしい死を遂げる。
それもまた忘れないように。

君にふりかかること全ては訓練として役に立つ。
真実を心にとめておけば、君はそれをもっと楽しむことができる。

しかし、自分の死に際しては厳粛に取り組まなければならない。
三歩先を歩くことのできない保守的な生き物達は、ギロチンに首を突っ込んだまま笑う君のことを理解できないだろう。
君は狂人と呼ばれる。


学習は、すでに知られていることを見つけ出すこと。
行為は、学習の証明。
教育とは、被教育者に、君らに教育者と同じ程度のことを知っているのだと気づかせること。

君達はもちろん学習者であり実行者であり教育者であって、いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、生涯を通しての義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないよいうことそれ一つだけである。

他人や、他の事情に忠実であることは、不可能なばかりでなく、偽者の救世主であることの証明となる。

最も単純な疑問が最も深い意味を持っている。
君はどこで生まれどこで何をしようとしているのか?
たまには、そうしたことを考えるといい。
答えはひとつでないことがわかる。

一番自分が知りたいことを君は最もうまく教えることができるだろう。


君の行為や表現が世に公表されたとしても決して恥じてはならない。
例え公表されたものが真実ではないとしても、恥じるのでなく、生きるのだ。

友人には、千年付き合ってわかってもらうよりも、初対面の一分のほうがよくわかってもらえるだろう。

責任を回避する一番の方法は「私はすでに責任を果たした」と言うことだ。


人生は終生、君の中にいる何種類もの生き物によって導かれている。
君がある方向へ一歩を踏み出すのは、その中の学習意欲旺盛な一匹によるものである。
好奇心、それが君自身だ。
遊び心いっぱいの精神的な生きもの、それがほんものの自己だ。

起こり得る未来、それから顔を背けるな、

君達にはいつでも選択が任されている。
別の未来、そして別の過去を選ぶのも、いつだって自由だ。


いかなる種類や程度のものであっても、困難は君達に何かを与える。
君達は、言うなれば、困難さを捜しているのである。
人が苦難をもとめるのは、自分のためになるからである。


君の家族をつなぐ絆は血ではない。
おたがいの人生に対する尊敬と喜びだ。
一個の家族が一つ屋根の下で成長しあうことはほとんどない。


限界、常にそれが問題である。
君達自身の限界について議論せよ。
きっとそれが君の限界だ。


イマジン、想像せよ
宇宙は美しく完璧であると、預言者イザヤは君達より少し宇宙を魅力的なものだと想像している。


雲は知ってはいない、なぜ、この方向にこのスピードで動いていくのかを知らない。
雲が感じ取っているのは刺激である…これから向かうのはこっちのほうだというように。
だが空は全ての雲の背後にある理由やパターンを知っている。
君達にもそのことがわかるだろう。
地平線の向こう側が見える程の高みに立った時には。


ある願望が君の中に生まれる。
その時、君にはそれを実現させるパワーが与えられる。
しかしながら、それなりの努力はしなければならないだろう。


世界はドリルであり、そこでおこなわれているのは計算である。
それは真実ではない。
しかし、もし君が望むならそこに真実を書き込むことができる。
また意味のないこと。嘘など何でも書き込むことが出来る。
そして、もちろん、破り捨てるのも自由だ。


原罪を設定することで、自分の中の預言者イザヤを限定してはならない。


小説の登場人物になろうとしたことはなかっただろうか?
もしそういう経験があるならば君達にもわかるかも知れない。
時として、虚構の中の人物の方が、心臓の鼓動を持つ人間よりも強く、真実を語ることを。


良心とは尺度である。
君が自分のエゴにどれだけ忠実であるか
それを決定する尺度に他ならない。


君達全ての者に告げる。
君達が遭遇する事件は全て君達自らが招き寄せたものである。
その事件をどう処理するかを決めるのはもちろん君達であって神ではない。


君達が自己に忠実に話す時、そこに過去や未来は関わりなく、真実が永遠に光り輝く。

自己に忠実に話す、それのみが真実を話すために必要なことだ。


自分の使命が果たされたかどうかは簡単に分かる。
生きていれば、使命は終わっていない。


自由に生きるためには退屈と戦う必要がある。
退屈を殺し灰にしてしまうか、退屈に殺されて家具になるか、激しく根気のいる戦いとなるだろう。


さよならの時にうろたえてはいけない。
別れは再びめぐり逢う前になくてはならないものだから。

友達同士であれば、ある時間を経て、いくつかの人生を巡った後に必ずやってくるものだ。


無知のしるしは不正や悲劇を心の底から信じていることだ。
毛虫が終末と思う、その形態を救世主は蝶と名付けた。


このテキスト程無責任な本はない。
この本にかかれていることを信じないほうがいい。
書かれていることは全て逆の意味かもしれないから。



どーよ、高田純次も裸足で逃げ出すようなテキトーっぷりだろwwwwwww
でも浪漫あるよな。俺は結構好きなんだ。


米米クラブ 『浪漫飛行』
by wavesll | 2007-11-06 00:43 | 書評 | Trackback | Comments(0)

Columbus in Standalonecomplex 『コロンブス航海記』

Bump of Chicken 『Sailing day』


ここ数日『コロンブス航海記』を読んでいた。Cristóbal Colónの記した航海記をBartolome de Las Casas神父が要約したものだ。

コロンブスの航海は色々なことを教えてくれる。人生において自分のなすべきことをどのようになすべきかを教えてくれる。

彼は当時かなりの先端科学だったトスカネリの地球球体説に基づいて、東回りでなく西回りで香辛料の国インドと黄金の国ジパングに行こうとしたんだ。

当時の船乗りの多くは地球は平らで、世界の果てから海の水が滝のように宇宙に落ちていくと想っていた。だから航海が進むうちにだんだん不安が広がって、反乱が起きそうな不穏な空気が流れ始めたんだ。

そこでコロンブスは航海図に実際より短い距離を書き込んで、余り進んでないように船員に想わせたんだ。うまいよな。

コロンブスがインド人だと想ったのはカリブの島々の人々だった。彼はインドにキリスト教を広めてスペインの植民地にしようと考えていたのだけれども、実にうまいやりかたでやったんだ。

それは、とにかく向こうの人々に優しくして、自分たちが悪い人間ではないと想わせることだった。向こうからもらえるもの以外は何も奪わず、向こうが与えようとしたときも必ずこちらのものとの交換にしたんだ。

まず心を掴んで懐柔することから支配を始めることは冒険を続ける上でも非常に上手い戦略だった。それにカリブの人々は白人のことを天からの使いだと想ったから、何でもくれたんだ。

彼の第一の航海はこうして大成功のうちに終わった。

しかし、第二の航海で再びカリブに訪れると、島に残しておいた船乗り達は皆殺しにされていた。
それは、欲深い部下達は先住民に金を採らせるために過酷な労働を強いたり、女を犯したりしまくったからだ。先住民は「この人たちは天からの使いではなくて、我々以下の醜い人間だ」と想ったのかもしれない。幻想は崩れ、温厚な人々の心に憎しみが芽生えたんだ。

また、コロンブスにとっても誤算だったのは、彼が想っていたほどカリブには黄金は埋まっていなかったことだ。そのため、一緒に乗ってきたスペイン人達の欲を満足させるものではなったんだ。

またコロンブスを含め彼らは「自分たちの科学とキリスト教の理論は最高だ」という自尊心に溢れていたから、極めて無邪気に先住民の文化を軽視し、破壊したんだ。ここら辺はラス・カサス神父の著書に詳しい。

またコロンブスに目をかけていたイサベラ女王も死んでしまい、後ろ盾を失ったコロンブスは結局「総督」の地位も奪われ、死んだ。

あまりに最先端過ぎて誰も理解できないけれど自分が信じていることをやりきるためには、細心の注意と論理と、パトロンへの利益も用意した上で事を運ばなくてはならない。ゴールまでどんな手を使ってでもたどり着くように努力しなければならない。

またコロンブスと船乗りの部下、王様、女王、貴族、商人、先住民、それぞれがそれぞれの意思で生きている。そんな複雑な独立体の集合の嵐を沈没せずに渡りきるには、とにかく「その時やるべきことをやりきり続けること」が大事なのだろう。

しかし、真の問題はゴールした後、旅が終わった後だ。普通の日常、植民地の経営は幻想を打ち砕く。それはコロンブスにとっても、先住民にとっても。相手への幻想が砕かれたはずだ。

『あいのり』でできたカップルって、そりゃ旅をしてるうちは楽しくてロマンチックな気分になるだろうけれども、それが「日常」に戻って安定しても、幻想って続いているのかな?

この世で最も難しいことは、普通の日々で普通のことにいかに心をときめかせるかという問題だと想うんだ。


エレファントカシマシ 『普通の日々』


でももし退屈な普通が嫌で嫌で、でもジタバタぐらいしかできないんだったら、ジタバタしようぜwwwwwwジタバタすれば風くらいなら集められるかもしれないぜ。


はっぴぃえんど 『風をあつめて』
by wavesll | 2007-10-31 23:22 | 書評 | Trackback(3) | Comments(0)

暴走するピノッキオ

東京事変 『ピノキオ』


コッローディの『ピノッキオ』を読んだ。大変に面白い話だった。
操り人形であるピノッキオはとんでもないワルガキで、誘惑にすぐ負けてしまうし、自分がやりたいことしかしない。大人や上の人間のアドバイスには耳を貸そうとしない。

その結果痛い目にあって、そのたびに反省はするのだけれども、のどもと過ぎればなんとやらですぐ楽なほうへ楽なほうへ走ってしまう。

女神様の元で学校に通って、いよいよ明日人間の子どもにしてもらえるというときに、悪友の言葉に誘われて勉強せずに遊んで暮らせる「おもちゃの国」に行ってしまう。

そこで5ヶ月遊びほうけるうちにピノッキオにはでかい耳が生え、しっぽが生え、ロバになってしまう。「おもちゃの国」につれてきた悪い大人にサーカスに売り渡されてしまう。

でも失敗の度に、優しい大人たちに助けられ、ピノッキオはひとつづつ物事を体感して学んで、最後には化け物鮫の腹の中に閉じ込められたゼペットじいさんを助け出し、ついに人間の子どもになれるんだ。

人間は、人間として生まれてくるのではない。最初は自分では何も出来ない人形として生まれてくる。大人の言うことに従って、操られるようにしないと失敗してしまう。
そこで学習や訓練をサボっていると、動物に堕ちて肉体労働しかできなくなってしまうんだ。

ただ漫然と過ごしていると、いつまでたっても成長できない。

耳が痛い奴、いるんじゃないか?wwwww
俺も痛い。俺はとんでもない嘘つきだからwww嘘ついて今までかなりの痛い目にあってきたwwwww

K社の最終面接で「選考が進んでる企業は?」と聞かれ、もう落ちてるのに「D社です」と答え、ビルからの帰り道で良心の呵責にさいなまれて会場に戻って「ごめんなさい。散々信頼を大切にすると言っておきながらこの場面で嘘をついてしまいました」と謝って、結局内定取れないような人間だからwwwwww俺はwwwwwwww

後、これは特に俺は悪くないと思うのだが、世間の連中は権威のある奴の話しか基本的に聞かない。

だから一応俺は周りに合わせるために「自分の理論を自分で実践してから」俺が思う本当のことをいうようにしている。

周りの環境、後輩や先輩やいわゆる「大人とガキ」に合わせて学んで変わったんだ。

とはいえだ。俺はもうそろそろ他人の作った動く歩道に乗っかるだけでなく、自分の船で荒波に出かけねばならない。

そんなときに読みたいのが『ロビンソン・クルーソー』だ。
大地主の家に生まれたロビンソンは、親父さんの言うことに従っていれば普通に幸せな人生を送ることが出来た。

でもロビンソンは向こう見ずだから、なんども冒険の航海に出て、ついには無人島に一人きりになってしまう。

そこでロビンソンは「あぁ、親父のいうことに、父なる神のいうことに従っていればこんな苦難には遭わなかったのに!」と嘆きながら、すべてを自給自足のDIY精神で20数年間に上る無人島生活を切り抜ける。

ロビンソンは確かに死ぬほど後悔している。しかし、それとは裏腹にロビンソンの暮らしはめちゃくちゃ刺激的で楽しそうなんだ。いっつも他人の手を借りているところの労働を内部化して、ギリギリガガンガンとやってると全身がみなぎってくる感じがひしひしと感じられるんだ。

俺も大学時代一回ぶっ飛ばされたけど、なんとか這い上ってきた気がする。
たぶん、まともにやるより面白い人間になった気がする。
この際、また鼻伸ばして天狗になって社会でももう一回ぐらいぶっ飛ばされたほうがいいかもしれんなとちょっと思っちまってるんだw

THE YELLOW MONKEY 『楽園』



cf. 暴走ピノキオ
by wavesll | 2007-10-09 17:38 | 書評 | Trackback | Comments(0)

『ギルガメシュ叙事詩』 彼が成し遂げることは全て風に過ぎない

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古典を読もうと思い立ちB.C.2000年以前に紡がれたメソポタミア文明の名著『ギルガメシュ叙事詩』を読みました。

ウルクの王であるギルガメシュの活躍を描いたこの本、アッシリアのニネヴェやヒッタイトのボアズキョイで見つかった粘土板に楔形文字で描かれていた物語ということで途中で平気に「以下30行欠損」とか何度も出てくるツワモノでしたが、逆にメタ的にも読書を楽しめました。

予想してたとおり面白かった。まるで『JAM』『世界の終わり』を聴くような感触でした。

古代メソポタミアは西欧世界の原型の一つなのだなと強く感じました。後に旧約聖書で『ノアの箱舟』として継承される洪水伝説や、生と死をめぐる冒険、蛇によって盗まれる永遠の命など、メソポタミア文化圏の端っこにあったイスラエルへの影響が容易に想像できる要素が多々ありました。

余談ですが暴君であったギルガメシュはウルクで結婚した夫婦の初夜の前に奥さんの処女を必ず食っていたそうです。これがかの深夜番組のネーミングの元なのでしょう。

僕が最も心を引かれたのはこの物語が白と黒の2大主人公制を採用している点でした。
乙木さんが説明しているように、『HUNTER X HUNTER』や『デスノート』、『コードギアス』など白黒2大主人公を採用する物語はゼロ年代の潮流です。その元祖が『ギルガメシュ叙事詩』といえると思いました。

簡単なあらすじ。

知と権力の王ギルガメシュに対抗するために神に作られた野人エンキドゥは、ギルガメシュに送られた聖娼によって人間らしさを得る(ここらへんが文明ってのは邪なものなんだということを現していて良い)。

ウルクに来てギルガメシュと殴りあった後、彼らの間には友情が芽生え、共に西の森の怪物フンババ(フワワ)を退治しに行く(ここら辺は『もののけ姫』にもつながる神殺しの話)。

その結果見事凱旋し、ギルガメシュは女神から夫にならないかと誘惑されるが神になることを断り、怒った女神によって送り込まれた天牛をエンキドゥと共に殺害。しかしそれによってエンキドゥは神の怒りにふれ衰弱死させられてしまう。

最愛の友であったエンキドゥの死に衝撃を受けたギルガメシュは、死の恐怖から逃れるため大洪水を生き延びた賢人ウトナピシュティムに会うため東の冥界へ旅立つ。

ウトナピシュティムから死は誰にも逃れえぬことも予見することも出来ない神の暴力的なまでの絶対だと諭されるが、最後に若返りの草を受け取る。しかし持って帰る途中で草を蛇に食われてしまう(その結果蛇は脱皮する。)。


この物語を動かすエンジンがギルガメシュとエンキドゥの2人です。彼らの友情と冒険が、メソポタミア人にとっての「死を前にした人間の生の問題」をあぶり出します。

英雄的人生観、永生希求、現世的享楽主義、神への奉仕による人生観が示されるけれど、叙事詩はそのどれも絶対の正解とはしません。全ては相対化されます。彼(=人間)が成し遂げることは全て風に過ぎない。ギルガメシュは全てを探求しようとしたその軌跡だけが残るのだという、ボールをこちらに放りっ放しの終わり方をするあたりも『HUNTER X HUNTER』に似てるなと思いました。

興味をもたれたヒトは一回読んでみるといいと思います。日本語訳があるので楔形文字が読めなくとも問題ないっす(^^)
by wavesll | 2007-06-20 03:18 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)

『人文地理学 -その主題と課題-』感想

杉浦章介 松原彰子 武山政直 高木勇夫 著 『人文地理学―その主題と課題』を読みました。

人文地理学とは、経済地理学や社会地理学など、事物と表象からなる地理的世界の中における人間を研究する学問で、この本はそのイントロダクション的な内容になっています。

なぜ地理学の本を読んだか、と問われたとき、読んでいて感じたことから理由を述べると、より現実に近い学問だからです。たとえば経済理論を考えたとき、需要や供給、生産物や投資といた変数に、時間と空間という変数のベクトルが加えられることにより、より立体的でリアルな理論を構築することができます。

また「環境」というものを学ぶ際には地理学は避けては通れないだろうなと思い、図書館でこの本を借りました。

この本では、序章の人文地理学史に始まり、自然科学、社会科学、政治学、哲学などとリンクした、人文地理のさまざまな側面を知ることが出来ます。

中でも僕が一番心引かれたのは、アメリカにおける柳田邦夫のような人物である、J.B.ジャクソンの景観論でした。

彼は「常景(venacular landscape)」という言葉で普通の人々にとっての日常的な実感や、生活を表したり、多様な景観の中に潜む「景観のイデア」を示唆したりしていました。

彼の著作『景観を読む(Reading the Landscape)』から伺える彼の景観に対する問題意識は、景観とは社会的な生活の場であり、象徴であるということです。
景観を知るにはそこに棲む人々の生活を知らなければならないし、社会も景観の一部であるので、景観を変えるには社会変革をせねばならない、と彼は述べています。

また、本書の中で示される地球のトランスナショナル化やグローバル都市という概念は、人口減少の時代に突入した日本が生き残る道も示唆しています。つまり、労働力と消費市場を海外に求め、「日本にかかわる人々」を増大していくという道です。
また、そのためには日本は世界に通じるプロフェッショナルな知的サービスが行える人材を集め、日本全体をグローバル都市にしていく必要があります。その土壌整備に人文地理学が貢献できる領域は広いと思います。

また、新たな地理領域であるサイバースペースを考えたとき、ウェブの世界の水先案内人の端くれである身としてはいつか、『教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』のような「歴史」の供述とともに、「空間」的にネットの世界を図示したいと思います。それは例えば、mixiGraphのような関係性から作られた地図になるかもしれません。

「人間のいる風景」を研究する学問である人文地理。これからますます面白くなっていくだろうな。この本を読んでそう思いました。
by wavesll | 2006-04-26 06:39 | 書評 | Trackback | Comments(0)