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カテゴリ:私信( 739 )

ウズベキスタンへ行ってきます

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明日から5日間ウズベキスタン旅行へ行ってきます。
彼の国への憧れは大学生の頃にみたこの展覧会からでした。この眼であの青をみれるのが楽しみです。それでは、また週末にお目にかかれたら。

by wavesll | 2019-07-01 22:08 | 私信 | Comments(0)

初々しい発色のモナリザ

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by wavesll | 2019-06-29 07:06 | 私信 | Comments(0)

己のコンプレックスを認識し、少しでもマシな自由を目指す 100分de名著『河合隼雄SP』、『生きがいについて』、『エチカ』を視て

ここ数日、録りためていたEテレの100分de名著を立て続けに見ていて。

『河合隼雄スペシャル』神谷美恵子『生きがいについて』、そしてスピノザ『エチカ』の回をみて。最後の『エチカ』はゲストの國分巧一郎さんの著書『中動態の世界』についての副読本にもなってくれました。

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さて、河合隼雄はユング心理学を学び実践的な心療治療を行った人物で、西洋人と日本人の心のありようの違いに関心を寄せた人でもありました。

ユング心理学の重要な観点の一つに心を痛めた人を救うには「How」でなく「Why」を掘り下げていくことが必要という考えがあります。物理的・科学的、あるいは病理的な解決法の提案ではなく、「何故、どうして」を突き詰めていくこと。それによって精神の調和を取り戻せるという考え方。

そして心の柔らかいところに「コンプレックス」というものがあって。ユング心理学ではコンプレックスを無意識の中にある複合結節心理というような捉え方をします。何かに苛立ち、引っ掛かりがあるとき、それは意識できるものでなく無意識のコンプレックスによって引き起こされていることがある、と。

そして人は自分のコンプレックスを意識することから自己防衛するために、外部にそれを投影することがあります。つまりいらだってムカつく相手の特徴こそが、自らのコンプレックスであるかもしれない、ということ。そして逆にそのムカつく事象が自分の問題であると認識し引き戻せれば、コンプレックスを解消することができると河合は述べます。

また河合は夢に出てくるイメージは、個人の無意識や普遍的な無意識(集合無意識)が表れることがある、と。特にアニマ(男性の中の女性)やアニムス(女性の中の男性)やグレートマザー(太母)や影(自分の中の受け入れたくない側面)を例示して語ります。

この後、番組は一種の普遍的無意識の反映としてか、昔話・神話から日本人の中空的な精神構造・無の円環構造へ話が進んで行くのですが、このコンプレックスとアニマの話がいやに刺さって。

私自身がムカついている、あるいはとらわれているモノはなんだろう?と考えたときに、「普通」であったり「筋力・仕事力といった分かりやすい男性性」にあって。これは大学時代からこっちどうにもしょうもないものとして自分が社会の辺境で過ごしているというのもあったというか、集団の中での立場に置いてストレートど真ん中にいれなかったというトラウマがあったり、あるいは「面白い」に関してのディスコミュニケーションがあったからだと思って。

そうしたことからの「普通・まとも」への憎悪にも似た感情、あるいは「お前らまるで面白くないじゃないか」といういじけは、同時に「分かりやすく立派な男性像」へのコンプレックスなのではないか。そんな感想を番組をみて得ていて。

そして、私自身は自分を仕事人でなく趣味人であると想っていて、いわゆる「生きがい」という言葉にも一種のコンプレックスの裾野が触れていたのですが、神谷美恵子『生きがいについて』の回では「生きがいブーム」をもたらした本書では「生きがい」は単なる労働というより「生存理由」とでもいうようなより深く広い思想だと知って。

神谷さんはこの本をハンセン病の療養所での職務の中から着想し、生の歓びが尋常でなく損なわれた状態でも、生きがいというものは種を土の中に宿していて、「待つ」ことによって、芽吹くことがあると。たとえ愛する人を失って身を切られるような思いになっても、そんなにも人を愛せたことは輝かしく、悲しみは一つの視点からは豊かであると。

そして生きがいを考え抜くことは、宗教以前の精神的宗教へ辿り着くというか、自然から、そして体験から結晶化した叡智の輝かしさ。何かを愛し、自己中心的な思考から抜け出すことで、生存理由はさらに輝いていくと。苦しみから生まれる喜びについて語られます。

私自身が生きがいを今まで何に感じたか思いを馳せ「世界を理解することかな」と想っていたところに神谷さんがハンセン病の患者さんの詩をひき「理解するでなく味わうことが大事」と言っていて、やっぱり身体的な智は重要だよなと。その意味で例えば麻薬の快楽で「生きがい感」が更新されてしまうのは非常に貧しい行為であろう、などとも考えました。

そして最後に大いに力を与えてくれた書がスピノザの『エチカ』。

最初に語られるスピノザの「汎神論」、すなわち宇宙全体、自然そのものが神であり、全ての事物に神が在るという思想は、非常に共感する思想で(アインシュタインも共感したそうです)。これは話せる人物が現れたぞと。

先の「生きがい」ともリンクするように想えたのは、スピノザは「善悪」というものを「力=活動能力が増大するか、減少するか」と定義していて。喜びを与えて活動能力を増やしてくれるものは善、その逆に悲しみで活動能力を減らすものは悪、と。そして本性にのっとって活動能力を発揮したいという衝動を欲望と言い、欲望に対してフラットな立場であるのも、非常にプラグマティックなように感じて。

人々は個々人で本性が異なり、あるがままに本性からの活動ができていれば自由、そうでなく外部から行動を強制されることを不自由とスピノザは定義し、人は完全に自由になることは出来ないが、自分が何によって動かされているのか、今持っているのはどのような感情なのかを認識することなどで、少しでも自由な度合いを増していくことが大切だと説きます。

そして真理というものは体感するもので、誰かから説得されるものではない、自分がレベルアップして認識を体験するものだと。ここら辺は『生きがいについて』の「待つ」にも通じるなと想いました。番組中では伊集院が「小津安二郎の映画を40を超えて”そうだったのか!”と気付く」という例を出していましたが、私も経験を重ねてゴダールの『気狂いピエロ』が得心がいったので、気持ちが少しわかったり。

自分が自分であるための力、場を意識しながら、活動能力を伸ばしていく喜び、そして時に待つことも大事。これを鬱だったり絶望していない平常時の姿勢、そして苦難にあるときは『生きがいについて』の姿勢を想いだして。そしてより自由であるためには、コンプレックスをも認識しながら、”自分はなぜこのような思いに駆られているのか”を客観する努めをする。そしてそれには身体的な智が重要である。この3人は同じゴールに様々な道筋で辿り着こうとしているのではないか、そんな視聴体験となりました。

by wavesll | 2019-06-27 21:52 | 私信 | Comments(0)

自分の生活の歴史に、湖面のような音楽を

Laura Mvula: NPR Music Tiny Desk Concert


令和に変わってまずしたのは食器洗い。でインスタントコーヒーを飲んで。

平成の最後の日は、夕に退位の儀式をみて。夜はDOMMUNEでΦononのLiveをみていました。

Twitterから漏れ聞く「TVがどれもつまらない」の声。特にNHKへの批判。硬質な知性を失っては、情報の重みも失うなと思います。

元号という制度は一つの家系がその国の時間/歴史を統べる制度。

本当に大切なのは、メディアであったり、あるいは社会の支配する「流れ」でなく、自分自身の生活で。彼らの影響力の重力にただ落とされるのではなく、スイングバイする、意識し選択する、そして自分の暮らしを見失わないことが大切なのだなぁと、想います。

けれども、とはいえ始まった令和の時代。徳仁今上天皇陛下には、私(/世代)の時代を象徴する人ではないかなと実は感じていて。その始まりにLaura Mvulaの、静謐な、そして声調の捻りの持つBitter Sweetな歌を。みな自分の歴史をそれぞれ生きていて、狂乱のPushでなく惹き込まれる湖面のような音が、この日にはあう気がしました。

by wavesll | 2019-05-01 08:09 | 私信 | Comments(0)

BAD COMMUNICATION



以前のことでトラウマとなっているのは、躁鬱で傍若無人に暴れた際人間関係が破綻したことで、その象徴として「もう二度と会うことはないだろう」と言われたことがありました。
その時正直“会いたいと思うほど愛せる魅力を君はみせていたつもりなのか?”と思ってしまって“嗚呼俺は人でなしなのだな”と己に呆れたことがありました。魅力をみせる努力しない人っているものだと思うと共に、自分は”友達づきあい”に求めすぎなのだと感じます。

ンな事みな要求してない、というか向こうからしたら私なんかはToo Muchなのだろうと。最低限の礼儀がありゃ友人関係の維持には何の問題もないということでしょう。それじゃつまらない、となると羅の螺旋に入る(苦笑)

自分は他人に話したいネタが多いタイプで、自分ばっかり話すのも悪いと一時期友人に「何か面白いことあった?」とあいさつ代わりに聴いていたのですが、これが不評でw今見返すと鬼のような”What's up?”だなとは思いますw「面白いこと」の程度にはよりますが、鉄板レベルだとそうそう人生で産まれるものでもないですしね。

そもそもこのBlogを立ち上げる時も”どうせやるなら毎日更新したいけれど、自分でネタをつくっていたら毎日更新は難しいから、そうだ羅列型ニュースをやろう”と個人ニュースサイトとして始めたのでした。

その後羅列型ニュース更新は止め、自分で主に画くエントリが増えましたが、それでも藝に対するレポートが多く、取材して書くという点では広い意味で鴎庵はニュースサイトだなぁと想っています。ほぼ日刊更新で完全に内から出てくるものだけで書き続けるのは少なくとも私には難しい。

となると「取材(という名の遊興)」を行う訳ですが、ここで友人との齟齬が起きてくる。そりゃ未だ一人やもめの私と子供ができ、下手したら家のローンも払っている友人とでは遊びの話題、特に頻度が合うという訳にもいかない。

そんな訳で話しかけるPushを止め、Webに綴り反響営業を待つPullへと軸を移したのでした。

「面白い」にも色んな観点がありますが、私の場合は趣味と実益を兼ねるというか、自分自身に藝や學びのカリキュラムを組んで、それを論述するというのが基本で。これも家庭を持つと自分のきままなわがままを通せない場面も多いと思います。

逆に夫婦・子ども・あるいは「働き」なんかは私から見たら完全独自コンテンツであって、メディア的なものより第一運動純度の高い面白さがそこにあるとおもいます。オーガニックというか。それを成せることへの憧憬は私も勿論あります。”俺は煩悩だけなんじゃないか”と。

冒頭の古い友人への想いもそうなのですが、私は面白さを求めてどこか破綻していたのだなと想うし、逆に言えばこのあいだ描いた居たかった場と縁・出発というエントリで書いたようなTwitterという書くことで存在する安全基地のお陰で、自分の欠落へ目を向ける力を得れたのかもしれないなと思います。

B'zの「Pleasure '91 -人生の快楽-」に「勝手知ったる少ない仲間と敵だ味方だと騒いでる 止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない」なんて詞がありますが、お互い道が離れていったときに「Love Phantom」とように「2人で1人になれちゃうことを気持ちいいと思ううちに 少しのズレも許せないセコい人間になってたよ」では不味いということでしょうね。それぞれの道から遠くへ交信を送るくらい、異なることへの真摯さが必要なのだなぁと今朝想いました。

by wavesll | 2019-04-21 09:10 | 私信 | Comments(0)

居たかった場と縁・出発

種田は誰かに批判されるのが怖いんだ!!大好きな大好きな音楽でさ!!でも褒められてもけなされても、評価されてはじめて価値がでるんじゃん!?-浅野いにお『ソラニン』

Twitterをやって良かったと思うのは、自分が方向性が同じだとか思ったり感性を憧れる人たちの中で自分の呟きに評価の実力差を突き付けられたこと。

私は大学時代、かなりWebに物を書くことに嵌まって。mixiなんかも猛烈な勢いで書いたのですが、私からみると浅い趣味にみえた友人たちの方が仲間内で“いいね”を得ていることに、というか自分がまるでいいねやコメントを得れないことにいらだちと失望を覚えていました。

今思えばそれは自分のサークル内でのキャラもあったというか、変人として自分で自分をネタにするような人間で、そしてサークル運営で他者の世話し気遣いをみせるわけでも競技で格好いい姿をみせるわけでもない自分は、いわばWebの場で「何を言うか」の前に実生活での「誰が言ったか」のレイヤーで評価を得られる人間ではなかったのでしょう。言葉より行動が大事で。もっと言えば他者にとっては「話をされる」より「聴く/訊く」方が喜ばれるというのも後に知りました。

それでも、その昔は「俺は内輪ウケはやらずに一般でも通じるネタをやるんだ」というつもりでした。けれど、今TwitterのTimeLineに安住している処から見返すと、自分はムラ的な狭いネタ人間なのではないかと想います。確かに「人間関係の話題による内輪ウケ」はしないけれども「狭いコンテンツの話題による“わかってる”クラスタ内での一種の内輪ウケ」ではないかと。

そしてこんな私でも受け入れてくれるニッチがあることをTwitterで知れて。いいねやリプライもされるし、自分が好きな音楽や美術の話題が“変わってる”とされない、寧ろ私が浅い人間になる世界。これは私にとってはオアシスといえました。

けれど、私自身が浅い存在になることと、自分より遥かに深く面白い、それこそ島宇宙の蛸壺を越えて一般にも通じる面白ネタを書ける人と同じ空間に載ることになりました。そこには嫉妬も感じることがあったのも白状しなければなりません。

しかし、これがなければ”何処か別の世界へ行けば俺は認められ輝けるはずだ”とか恥ずかしい妄想を抱えたままでした。

この自分が等身大での勝負というか、やりたい場で他己評価を知ることで、一つ地に足がついたというか、現実を見据えて、何か筆の向上、開けたコミュニケーションに謙虚に向き合える、寧ろどんどん邪念が取れ素直に澄んでいく気がします。

そして、もう長年といってもいい付き合いのあるフォロワーさんもいて。WebとRealというけれど、この二つは繋がっている部分もあるのだろうなぁと。虚心坦懐に縁を大事にしていければいいなと今は思います。

by wavesll | 2019-04-15 22:27 | 私信 | Comments(0)

怒りによって身体性を会得する噺ー自分よりロックな人をみて


第三シーズンが始まったEテレの人間ってナンだ!?超AI入門。その第2シーズンで語られるのは言語レイヤーと身体的体験という二階建ての知覚の話。

AIが文章の意味を理解しているのかという問いにジョン・サールの「中国語の部屋」という思考実験での回答があります。

ある作業員の仕事は外から入ってくる中国語の文字列をマニュアルに沿って変換して送り返す、例えば感情的な単語には感情的な単語を返す。こうすると何も言葉の意味を理解していなくてもやりとりが成立する、つまり意味が分かっているとみなされてしまうけれど、実際には意味が分かっていない。
このようなことがAIの文章作成にはあります。言語ゲームのみで具体的な身体性の血が通っていない。

ここからは私個人の論ですが、では身体性とは何か。それは扁桃体がもたらす快・不快による感情的経験による裏付けなのではないかと。

私は受験勉強を結構やった人間で、現代文なんかを解くのはどちらかと言えば得意だったのですが、大学時代にどうにも自分が空気が読めない突拍子のない人間なのだと気づかされて。

これは色々な要素もあったと思うのですが、言語レイヤーをやりすぎて実体験のリアルな情感を積まな過ぎたのもあるかもしれません。

個人的にはそれが一番顕著に表れるのは例えば映画や小説、漫画を読んだ時にどんな展開になっても”そうなんだな”とか理解しようとするんですよね。”これはリアリティがない”とかのジャッジをしないというか、”まーそんなこともあるんじゃない”なんて想ってしまう。

私自身が拘る部分が他者が拘る部分とまるで違うというか、自分がどうでもいいと思う部分を周りは重視して、変人にみられたり。で、それも笑って流していたけれど、ヘドロが溜まってきて暴発したりもしました。

私は快・楽こそ最も重要なことかと想っていましたが、ヒトとの折衝などによって起きる「不快」を見つめることで人生の輪郭と言うかリアリティの重みを知ることが出来るのかもしれないなんて近頃想っていました。

怒り、怒りが実は身体性の根源にあるとすればヒトは何に怒るのか。よくそれは「当たり前が侵害されたら怒る」なんていうけれど。

イカ天でベンジーが「君たちの持ち味は何でしょう」と問われ「正義」と応える場面は有名ですが、ロックの魅力は不良の正義にあります。正義感というのは怒りの一種でしょう。自分の内側から湧き出る感性に従う、その結果社会のルールと衝突しても、ファンはロックンローラーの正義に熱狂する。それを顕す破壊的なディストーションギターでの暴力衝動、これがロックの核の一つでしょう。

故にロックは常に矛盾するというか、一つの指針で割りきれるものではない。結局そのロックンローラーを教祖とした宗教で、法治でなく人治。言ってみれば全て程度問題で、ロック人がよしとすれば良くなりこりゃダメだとなれば悪しきものとなる。ここに私は言語ゲームの原理主義でなく身体性の「塩梅」をみるのです。ロックはイデオロギーではない。

そしてロックな人は多くの場合一般人より自由にいかれてみえる。けれど心中のルールに従っていて、彼らの中での塩梅がある。全て自由にやってよくも狂ってさえいれば良くもない。

大学時代の自分なんかはここを読み間違っていて、あまりにも自分の常識から逸脱した先輩と遊ぶ内にとことん破滅的にやろうとしたら可愛がってくれてた先輩に「もう友達じゃない」と言われたりもしました。つまりロックは原理主義でなく身体性の「いい塩梅」を模索しろという、己の正義の枠を実行するのがロックであると。

倫理基準が外(例えば社会)でなく己にあるから、他人の言葉でなく自分の言葉、借り物でなく実際に臓腑から出た言葉でないと響かない。また易々と他人を信じず自分で確かめないとおいそれと言葉にしない。社会の普通に迎合しない。己の精神に従う。つまり、ロックンローラーを本気でやってる人とはスムーズなコミュニケーションは成り立たない。

それ故にロックンローラーの中にはコミュ障にみえる人がいる。けれどそれは彼らが真摯にコミュニケーションを取ろうとしている故である。ベタ、普通、通常、一般なリアクションでスムーズに楽しない。ちゃらくやらない。無論これはロックンローラーの一部の人の話です。

そこへ行くと自分はサンプリング文化的であり、特にこの十年は正義よりも新しい刺激を求めているようにも思えて。メディア漬けでもある。今振り替えるとロックロック言ってたのにロック的な在り様でなかった。今、自分よりもよりエモーショナルに生きてロック概念を体現している人に触れてそう思います。

「ロックかと想っていたが、ロックではなかった」と認めること、真情を述べることはロック的ではあるけれども。ROCKに対する幻想が散ったことで逆にROCKな身体性が発生しているのかもしれません。ロックというアティチュードが形骸化しイノベーティヴでもなくなりダサくなり老害化している時代遅れ、なんて散々な状態な昨今ですが、だからこそ忌憚なく素直に推察を述べることが出来る土壌が自分の内部・外部に起きている、そんな気がしています。

少なくとも今回、ロックは原理主義じゃない、寧ろ真逆というところに辿り着けました。なのにロック原理主義みたいな偽のファンタジー言論がワナビーと形成されたのが、ロックが力を失った理由かもしれません。

骨格だけ残ることで身体の真情としてのロックの血肉化が漸くじりじりと始まっている。そんな平成の終わりは個人的には20世紀の終わりと言える気もしました。

by wavesll | 2019-04-06 04:03 | 私信 | Comments(0)

令和に寄せて

(R)espect your(I)ndependent (P)lace. ECD 2015/07/17_国会前

令和、命令の令にみえる感もある。と同時にレイワの響きはしゅっとして。梅の花の季節を選んだというのは桜が持つ死のイメージより、これから芽吹く季節という意思を込めたという点で悪くはない。みためだけでなく地力という幹を太く出来れば善い花が咲くかもしれない。

中国古典を原典にせず万葉集から抜き出したけれども初春にトーハクでも展示された王羲之の蘭亭序を孫引くという多重の国際性と自国性を持たせていてバランスを考えたのだと想。

逆にこのしゅっとしてる感が平成の次に来るさらなるヴァーチャル時代感があるというか、2020もこのラインなのかなとも。今さらプロレス的ど根性再びも違うかもだが、実直さを意志しないとどんどん上辺だけなっていきそうな恐れも感じて。芯・塊・體が大事やも。

こうした物言いは難癖だと厭がられるかもしれないが、寧ろこれは難陳的な態度で伝統的なスタンスと言える。

発表された夜、令嬢の様なこの雅な音にはアントニオ・ロウレイロの『リーヴリ』が似合うと想いながらも、命令に対してはECDの『言うこと聞かせる番だ俺達が』の気概を持ちたい。卯月、平成のアディショナルタイムが始まった。

by wavesll | 2019-04-02 02:42 | 私信 | Comments(0)

3月11日に想。

辺境に游ぐから、土を支える人々を敬う。平らかに和やかなことの真善美がなければ、危うい線を攻める猶予も生まれない。端に生きる者としての矜持と願いだ。
by wavesll | 2019-03-11 21:36 | 私信 | Comments(0)

松田の早咲き桜とつるし雛 and 曽我梅林の枝垂梅

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松田の河津桜と曽我梅林をみてきました。かぐわしかった。つるし雛もあって。江戸の花見は梅だそうで。浮世絵のような光景でした。

by wavesll | 2019-03-03 04:09 | 私信 | Comments(0)