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カテゴリ:私信( 738 )

自分の生活の歴史に、湖面のような音楽を

Laura Mvula: NPR Music Tiny Desk Concert


令和に変わってまずしたのは食器洗い。でインスタントコーヒーを飲んで。

平成の最後の日は、夕に退位の儀式をみて。夜はDOMMUNEでΦononのLiveをみていました。

Twitterから漏れ聞く「TVがどれもつまらない」の声。特にNHKへの批判。硬質な知性を失っては、情報の重みも失うなと思います。

元号という制度は一つの家系がその国の時間/歴史を統べる制度。

本当に大切なのは、メディアであったり、あるいは社会の支配する「流れ」でなく、自分自身の生活で。彼らの影響力の重力にただ落とされるのではなく、スイングバイする、意識し選択する、そして自分の暮らしを見失わないことが大切なのだなぁと、想います。

けれども、とはいえ始まった令和の時代。徳仁今上天皇陛下には、私(/世代)の時代を象徴する人ではないかなと実は感じていて。その始まりにLaura Mvulaの、静謐な、そして声調の捻りの持つBitter Sweetな歌を。みな自分の歴史をそれぞれ生きていて、狂乱のPushでなく惹き込まれる湖面のような音が、この日にはあう気がしました。

by wavesll | 2019-05-01 08:09 | 私信 | Comments(0)

BAD COMMUNICATION



以前のことでトラウマとなっているのは、躁鬱で傍若無人に暴れた際人間関係が破綻したことで、その象徴として「もう二度と会うことはないだろう」と言われたことがありました。
その時正直“会いたいと思うほど愛せる魅力を君はみせていたつもりなのか?”と思ってしまって“嗚呼俺は人でなしなのだな”と己に呆れたことがありました。魅力をみせる努力しない人っているものだと思うと共に、自分は”友達づきあい”に求めすぎなのだと感じます。

ンな事みな要求してない、というか向こうからしたら私なんかはToo Muchなのだろうと。最低限の礼儀がありゃ友人関係の維持には何の問題もないということでしょう。それじゃつまらない、となると羅の螺旋に入る(苦笑)

自分は他人に話したいネタが多いタイプで、自分ばっかり話すのも悪いと一時期友人に「何か面白いことあった?」とあいさつ代わりに聴いていたのですが、これが不評でw今見返すと鬼のような”What's up?”だなとは思いますw「面白いこと」の程度にはよりますが、鉄板レベルだとそうそう人生で産まれるものでもないですしね。

そもそもこのBlogを立ち上げる時も”どうせやるなら毎日更新したいけれど、自分でネタをつくっていたら毎日更新は難しいから、そうだ羅列型ニュースをやろう”と個人ニュースサイトとして始めたのでした。

その後羅列型ニュース更新は止め、自分で主に画くエントリが増えましたが、それでも藝に対するレポートが多く、取材して書くという点では広い意味で鴎庵はニュースサイトだなぁと想っています。ほぼ日刊更新で完全に内から出てくるものだけで書き続けるのは少なくとも私には難しい。

となると「取材(という名の遊興)」を行う訳ですが、ここで友人との齟齬が起きてくる。そりゃ未だ一人やもめの私と子供ができ、下手したら家のローンも払っている友人とでは遊びの話題、特に頻度が合うという訳にもいかない。

そんな訳で話しかけるPushを止め、Webに綴り反響営業を待つPullへと軸を移したのでした。

「面白い」にも色んな観点がありますが、私の場合は趣味と実益を兼ねるというか、自分自身に藝や學びのカリキュラムを組んで、それを論述するというのが基本で。これも家庭を持つと自分のきままなわがままを通せない場面も多いと思います。

逆に夫婦・子ども・あるいは「働き」なんかは私から見たら完全独自コンテンツであって、メディア的なものより第一運動純度の高い面白さがそこにあるとおもいます。オーガニックというか。それを成せることへの憧憬は私も勿論あります。”俺は煩悩だけなんじゃないか”と。

冒頭の古い友人への想いもそうなのですが、私は面白さを求めてどこか破綻していたのだなと想うし、逆に言えばこのあいだ描いた居たかった場と縁・出発というエントリで書いたようなTwitterという書くことで存在する安全基地のお陰で、自分の欠落へ目を向ける力を得れたのかもしれないなと思います。

B'zの「Pleasure '91 -人生の快楽-」に「勝手知ったる少ない仲間と敵だ味方だと騒いでる 止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない」なんて詞がありますが、お互い道が離れていったときに「Love Phantom」とように「2人で1人になれちゃうことを気持ちいいと思ううちに 少しのズレも許せないセコい人間になってたよ」では不味いということでしょうね。それぞれの道から遠くへ交信を送るくらい、異なることへの真摯さが必要なのだなぁと今朝想いました。

by wavesll | 2019-04-21 09:10 | 私信 | Comments(0)

居たかった場と縁・出発

種田は誰かに批判されるのが怖いんだ!!大好きな大好きな音楽でさ!!でも褒められてもけなされても、評価されてはじめて価値がでるんじゃん!?-浅野いにお『ソラニン』

Twitterをやって良かったと思うのは、自分が方向性が同じだとか思ったり感性を憧れる人たちの中で自分の呟きに評価の実力差を突き付けられたこと。

私は大学時代、かなりWebに物を書くことに嵌まって。mixiなんかも猛烈な勢いで書いたのですが、私からみると浅い趣味にみえた友人たちの方が仲間内で“いいね”を得ていることに、というか自分がまるでいいねやコメントを得れないことにいらだちと失望を覚えていました。

今思えばそれは自分のサークル内でのキャラもあったというか、変人として自分で自分をネタにするような人間で、そしてサークル運営で他者の世話し気遣いをみせるわけでも競技で格好いい姿をみせるわけでもない自分は、いわばWebの場で「何を言うか」の前に実生活での「誰が言ったか」のレイヤーで評価を得られる人間ではなかったのでしょう。言葉より行動が大事で。もっと言えば他者にとっては「話をされる」より「聴く/訊く」方が喜ばれるというのも後に知りました。

それでも、その昔は「俺は内輪ウケはやらずに一般でも通じるネタをやるんだ」というつもりでした。けれど、今TwitterのTimeLineに安住している処から見返すと、自分はムラ的な狭いネタ人間なのではないかと想います。確かに「人間関係の話題による内輪ウケ」はしないけれども「狭いコンテンツの話題による“わかってる”クラスタ内での一種の内輪ウケ」ではないかと。

そしてこんな私でも受け入れてくれるニッチがあることをTwitterで知れて。いいねやリプライもされるし、自分が好きな音楽や美術の話題が“変わってる”とされない、寧ろ私が浅い人間になる世界。これは私にとってはオアシスといえました。

けれど、私自身が浅い存在になることと、自分より遥かに深く面白い、それこそ島宇宙の蛸壺を越えて一般にも通じる面白ネタを書ける人と同じ空間に載ることになりました。そこには嫉妬も感じることがあったのも白状しなければなりません。

しかし、これがなければ”何処か別の世界へ行けば俺は認められ輝けるはずだ”とか恥ずかしい妄想を抱えたままでした。

この自分が等身大での勝負というか、やりたい場で他己評価を知ることで、一つ地に足がついたというか、現実を見据えて、何か筆の向上、開けたコミュニケーションに謙虚に向き合える、寧ろどんどん邪念が取れ素直に澄んでいく気がします。

そして、もう長年といってもいい付き合いのあるフォロワーさんもいて。WebとRealというけれど、この二つは繋がっている部分もあるのだろうなぁと。虚心坦懐に縁を大事にしていければいいなと今は思います。

by wavesll | 2019-04-15 22:27 | 私信 | Comments(0)

怒りによって身体性を会得する噺ー自分よりロックな人をみて


第三シーズンが始まったEテレの人間ってナンだ!?超AI入門。その第2シーズンで語られるのは言語レイヤーと身体的体験という二階建ての知覚の話。

AIが文章の意味を理解しているのかという問いにジョン・サールの「中国語の部屋」という思考実験での回答があります。

ある作業員の仕事は外から入ってくる中国語の文字列をマニュアルに沿って変換して送り返す、例えば感情的な単語には感情的な単語を返す。こうすると何も言葉の意味を理解していなくてもやりとりが成立する、つまり意味が分かっているとみなされてしまうけれど、実際には意味が分かっていない。
このようなことがAIの文章作成にはあります。言語ゲームのみで具体的な身体性の血が通っていない。

ここからは私個人の論ですが、では身体性とは何か。それは扁桃体がもたらす快・不快による感情的経験による裏付けなのではないかと。

私は受験勉強を結構やった人間で、現代文なんかを解くのはどちらかと言えば得意だったのですが、大学時代にどうにも自分が空気が読めない突拍子のない人間なのだと気づかされて。

これは色々な要素もあったと思うのですが、言語レイヤーをやりすぎて実体験のリアルな情感を積まな過ぎたのもあるかもしれません。

個人的にはそれが一番顕著に表れるのは例えば映画や小説、漫画を読んだ時にどんな展開になっても”そうなんだな”とか理解しようとするんですよね。”これはリアリティがない”とかのジャッジをしないというか、”まーそんなこともあるんじゃない”なんて想ってしまう。

私自身が拘る部分が他者が拘る部分とまるで違うというか、自分がどうでもいいと思う部分を周りは重視して、変人にみられたり。で、それも笑って流していたけれど、ヘドロが溜まってきて暴発したりもしました。

私は快・楽こそ最も重要なことかと想っていましたが、ヒトとの折衝などによって起きる「不快」を見つめることで人生の輪郭と言うかリアリティの重みを知ることが出来るのかもしれないなんて近頃想っていました。

怒り、怒りが実は身体性の根源にあるとすればヒトは何に怒るのか。よくそれは「当たり前が侵害されたら怒る」なんていうけれど。

イカ天でベンジーが「君たちの持ち味は何でしょう」と問われ「正義」と応える場面は有名ですが、ロックの魅力は不良の正義にあります。正義感というのは怒りの一種でしょう。自分の内側から湧き出る感性に従う、その結果社会のルールと衝突しても、ファンはロックンローラーの正義に熱狂する。それを顕す破壊的なディストーションギターでの暴力衝動、これがロックの核の一つでしょう。

故にロックは常に矛盾するというか、一つの指針で割りきれるものではない。結局そのロックンローラーを教祖とした宗教で、法治でなく人治。言ってみれば全て程度問題で、ロック人がよしとすれば良くなりこりゃダメだとなれば悪しきものとなる。ここに私は言語ゲームの原理主義でなく身体性の「塩梅」をみるのです。ロックはイデオロギーではない。

そしてロックな人は多くの場合一般人より自由にいかれてみえる。けれど心中のルールに従っていて、彼らの中での塩梅がある。全て自由にやってよくも狂ってさえいれば良くもない。

大学時代の自分なんかはここを読み間違っていて、あまりにも自分の常識から逸脱した先輩と遊ぶ内にとことん破滅的にやろうとしたら可愛がってくれてた先輩に「もう友達じゃない」と言われたりもしました。つまりロックは原理主義でなく身体性の「いい塩梅」を模索しろという、己の正義の枠を実行するのがロックであると。

倫理基準が外(例えば社会)でなく己にあるから、他人の言葉でなく自分の言葉、借り物でなく実際に臓腑から出た言葉でないと響かない。また易々と他人を信じず自分で確かめないとおいそれと言葉にしない。社会の普通に迎合しない。己の精神に従う。つまり、ロックンローラーを本気でやってる人とはスムーズなコミュニケーションは成り立たない。

それ故にロックンローラーの中にはコミュ障にみえる人がいる。けれどそれは彼らが真摯にコミュニケーションを取ろうとしている故である。ベタ、普通、通常、一般なリアクションでスムーズに楽しない。ちゃらくやらない。無論これはロックンローラーの一部の人の話です。

そこへ行くと自分はサンプリング文化的であり、特にこの十年は正義よりも新しい刺激を求めているようにも思えて。メディア漬けでもある。今振り替えるとロックロック言ってたのにロック的な在り様でなかった。今、自分よりもよりエモーショナルに生きてロック概念を体現している人に触れてそう思います。

「ロックかと想っていたが、ロックではなかった」と認めること、真情を述べることはロック的ではあるけれども。ROCKに対する幻想が散ったことで逆にROCKな身体性が発生しているのかもしれません。ロックというアティチュードが形骸化しイノベーティヴでもなくなりダサくなり老害化している時代遅れ、なんて散々な状態な昨今ですが、だからこそ忌憚なく素直に推察を述べることが出来る土壌が自分の内部・外部に起きている、そんな気がしています。

少なくとも今回、ロックは原理主義じゃない、寧ろ真逆というところに辿り着けました。なのにロック原理主義みたいな偽のファンタジー言論がワナビーと形成されたのが、ロックが力を失った理由かもしれません。

骨格だけ残ることで身体の真情としてのロックの血肉化が漸くじりじりと始まっている。そんな平成の終わりは個人的には20世紀の終わりと言える気もしました。

by wavesll | 2019-04-06 04:03 | 私信 | Comments(0)

令和に寄せて

(R)espect your(I)ndependent (P)lace. ECD 2015/07/17_国会前

令和、命令の令にみえる感もある。と同時にレイワの響きはしゅっとして。梅の花の季節を選んだというのは桜が持つ死のイメージより、これから芽吹く季節という意思を込めたという点で悪くはない。みためだけでなく地力という幹を太く出来れば善い花が咲くかもしれない。

中国古典を原典にせず万葉集から抜き出したけれども初春にトーハクでも展示された王羲之の蘭亭序を孫引くという多重の国際性と自国性を持たせていてバランスを考えたのだと想。

逆にこのしゅっとしてる感が平成の次に来るさらなるヴァーチャル時代感があるというか、2020もこのラインなのかなとも。今さらプロレス的ど根性再びも違うかもだが、実直さを意志しないとどんどん上辺だけなっていきそうな恐れも感じて。芯・塊・體が大事やも。

こうした物言いは難癖だと厭がられるかもしれないが、寧ろこれは難陳的な態度で伝統的なスタンスと言える。

発表された夜、令嬢の様なこの雅な音にはアントニオ・ロウレイロの『リーヴリ』が似合うと想いながらも、命令に対してはECDの『言うこと聞かせる番だ俺達が』の気概を持ちたい。卯月、平成のアディショナルタイムが始まった。

by wavesll | 2019-04-02 02:42 | 私信 | Comments(0)

3月11日に想。

辺境に游ぐから、土を支える人々を敬う。平らかに和やかなことの真善美がなければ、危うい線を攻める猶予も生まれない。端に生きる者としての矜持と願いだ。
by wavesll | 2019-03-11 21:36 | 私信 | Comments(0)

松田の早咲き桜とつるし雛 and 曽我梅林の枝垂梅

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松田の河津桜と曽我梅林をみてきました。かぐわしかった。つるし雛もあって。江戸の花見は梅だそうで。浮世絵のような光景でした。

by wavesll | 2019-03-03 04:09 | 私信 | Comments(0)

三浦海岸の河津桜

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by wavesll | 2019-02-28 00:02 | 私信 | Comments(0)

ETV特集 こころの時代 ECD 「個」を貫いた生きかた

ECD−マス対コア


MASS対CORE (LIVE AT TOWER RECORDS)ECD,YTR


逝去してこの1月で1年が経ったECD。彼の思想を取り上げたETV特集をみました。

『夫婦の前に、家族である前に、人は「個」である。』

ECDの「個」の信念はさんぴんキャンプを取りまとめ、日本語ラップが世間に認知され人気が出たまさにその時にラップシーンから離れたところに最も鮮やかに生まれます。

『まともな世界の仲間入りは耐え難いものだった。』

彼の「個」のルーツは中野での幼少時代に。6畳一間に4人。そこは元は車庫で、まるで路上。「おやすみなさい」も「ありがとう」も「ごめんなさい」も口に出さない家族。4人の自他が未分化で、蛙の卵のように繋がりお互いを個と看做さない環境で石田少年は過ごしました。

ECDはこの家庭環境の原因を戦争にみています。育ち盛りにろくにモノを食べれず、夢や理想と無縁で飢えへの恐怖を生きる原動力とする父親。母親の「人に迷惑をかけるな」は戦時教育からだと。両親は子ども時代の戦争体験から自分を個として尊重できない被害者だと。

そんな少年時代最大の出来事はデヴィッド・ボウイとの出会い。TVでボウイの番組がやっていたときに父が「何だこのバケモノ」と言った時、父に「ざまぁみろ」と言ってやりたかったそう。分かり合えないものが生まれたのが嬉しかった。断絶こそ欲しかった。

そこから彼は自分の個を探して。高校中退し家出。劇団では芽が出なかったが23才のときヒップホップ映画『ワイルド・スタイル』をみてこの”恐ろしく原始的な音楽”、まだ日本では知られていなかったラップで個を表現して。

そしてラップ音楽から決別。第一人者が独り道を違え、さらなる個をあらわす変化へ。アルバム『MELTING POT』はそれまでのメッセージ性の高い歌詞とは異なる歌詞が聴き取れないポエトリーリーディングな盤。

彼は「レコード会社が求めること、人の期待に応え、シーンを盛り上げるためにポップにやること」に違和感を持って周りから期待される音楽と表現したいものが違っていたことに悩んで。売り上げは落ち契約は解除、そこからECDは激情の裏方の仕事をしながら自主制作を続けます。

上手くいかない中、酒を飲み続けアルコール依存症に。

『死は遠ざけることは出来ないが引き寄せることはできる』

『結婚して家庭を持ち子供をつくることを平穏で安易な選択だと馬鹿にしていた。子どもと言う存在を許せなかった』

「個」を表現するには普通の幸せはいらないと考えていた。

或る日、病を持った猫に懐かれ。家に持ち帰ると子猫を産んで。死産も。『生命そのものに対する恐怖は自分に対する底知れない不信の種になった』。

その後妻となり亡くなるまで十年間を過ごす植本一子さんは「猫がいたから何とか生活を保てた。飼い猫が死んだときくらいしか凄い泣いてない」と話します。

日々を綴ったアル中日記には『やりきれないことばっかりだからレコードレコードレコードレコード』。世間に認められず破滅的な状況の中で個の表現を模索していた。

アルコール依存症から復帰し、劇場の仕事で生計を立てながら、かつての社会を斬るラップから自分の身の回りなどありのままを素直に歌うラップをしながたECDは自主製作を続けます。

そして猛アタックを受け、48才の時に24才下の一子さんと結婚。娘も授かります。

家族の繋がりに疑問を持ち個を追求したECD、家庭を持つことに矛盾はなかったのか。
映像作品『頑張れECD』には家族を持っても個を貫いたECDがいました。がん入院から自宅に帰り、一子さんの反対を押し切りラップを録音、大声を上げたためレコーディングが完成した時には体は限界、再び病院へ。

自分が自分であるために必要なことはラップでお金をもらう事。体を大事にすることを蔑ろにしても『君(=音楽)といられて幸せ』と歌います。

著書『他人の始まり因果の終わり』にて『どこまで行っても人は個である、一人である。誰もが地球に落ちてきた頼りない存在である』と。

個と言うかリアリストであり、徹底してリアルを歌うと「人間って一人だよね」と。同時に相手の個性も尊重、長屋的に忖度なしに手を貸すことも。

『父親と言う役割から離れた無力な肉塊として理解を求めたい。(~)他人の始まりなのかもしれない。偽善の快楽と安らぎをもたらしてくれる「一家団欒」は死後の世界にすら存在しない。それを自由と想いたい』とECDは語る。

彼との日々を振り返って一子さんは「個として生きて個として死ぬ。「他人」という表現は優しさ。許してくれていた。人に期待することなく自立していて、期待されたことは何もなかった」と語っていました。

ヒトはオランウータンと異なり社会性の中で生きる動物、特に近年はSNSなどで「共感」を求め承認欲求を肥大させる人間は私を含め多くいます。そんな中でECDのアティテュードは、その原因に機能不全家族があったとしても、清冽で余計な贅肉をそぎ落としてくれます。

つるむことは安定を産むけれど、自由を失う。実業としては需要は難しくなるけれど、本当に「個」としての表現を追求することの真摯さ。また変に相手に期待するから裏切られたなんて憎悪に駆られたりする。「他人」という意識が甘えから抜けることに繋がる。人に好かれること・ウケることに依存しない本質的な独立自尊が今の時代に鮮烈な風を吹き込んでくれる。他者に阿らず、期待せず、しかしだからこその優しさがあるハードボイルドなアティチュードに感銘を受けた視聴となりました。

by wavesll | 2019-02-15 00:22 | 私信 | Comments(0)

Sentimentoの季節 The 1975 - A Brief Inquiry Into Online Relationshipsに徒然寄せて

A Brief Inquiry Into Online Relationships / The 1975 (Youtube)


The 1975はデビューの辺りでInterFM Awesome Beatsが推していて、「Chocolate」とかヘビロテされていた想い出が。そこそこいいなと思いながらもナヨっとした雰囲気がどうも少女趣味に感じてストライクはしなくて。

昨年の話題作『ネット上の人間関係についての簡単な調査』もどうにもピンと来ていなかったのですが、ここ数日で非常に精神的に傷を負うというか、それこそ人生の進め方とかを重くダウナー気味に考えてしまって、そんな夜の暗黒の中、鬱っぽいTweetを打ち込みながら聴いた本作は、聖なる魔のようにするりと心の襞に入り込んできたのでした。

というわけで、久しぶりに徒然な文章を書きたいと鍵盤を叩いております。このアルバムの内容については下記の記事などが参照になるかと思います。




最近、人生について考えることが結構あって。『レディ・プレイヤー・ワン』を視た時に”Real”は神がつくりしゲームだとして、その最もメジャーなゲームは恋愛であり子育てなのだろうなと想って。

人間、同じゲームをやってる者同士だと話が合う確率が上がります。例えば自分は旅先で旅人同士で話すのが好きなのですが、それは「旅」という同じゲームのプレイヤーだからだし、Twitterが居心地がいいのもあの世界で可視化され集積しているのはtweetをしている同志だからだと思います。

一方で、そういったShow/コンテンツ(という言い方は嫌いなのですが)での会話以外、例えばリアルの知己などにあった時に、カルチャートークを封じられ徒手空拳になった時に”そうか、良く『オタクは「人」と話すのでなく「コンテンツ」を話している』というけれど、ここでいう「人」とは仕事であり家庭の話なのだな”と感じて。17時からオトコのグロンサンマンとしてはその方面はめっぽう薄弱で。

最近、会う人間から「お前はつまらない/つまらなくなった」と言われることが増えて。私自身としては過去で一番面白いことを追求している状態に感じているのですが、これはいわゆる仕事・家庭レースから外れて、同じゲームをやっていない故の断絶が起きているのかもしれないと感じます。勿論、鑑賞の度合いが増えすぎ、私自身がプレイヤーとなった時の筋力が落ちている恐れはありますが…。

ここ数年『「誰にでも好かれよう」は止めよう』として、ともすれば誰にも評価されなくても己が面白いと想うことを取材しその事柄への愛を綴れればそれでもいいのではないかと考え、いわゆるサーヴィス精神、他者の視線を捨象していたのかもしれません。

自分自身が『コンテンツ/Show』に溺れすぎて、人の道から外れてしまっているのではないだろうか…俺は本当に大切な事、例えば命とか以上に大切なことはないし、人との縁や絆を蔑ろにし過ぎてしまったのではないか。けれども『普通』に過適応して壊れてしまった過去を想うと、己のサヴァイヴを優先しないといけない。では俺が本当に欲しているものはなんなのだ…。

暗い部屋で一人、ディスプレイはつけたままそんな堂々巡りの逡巡をしながらこのThe1975の音楽を聴くと、初めて彼らの音が自分と共鳴したように感じたのでした。危機的状態に近年なかったというか、安定している時に響く音ではなく、精神的にダウナーな時に響く電子加工されたLow-Fiな柔らかいロック。

自己否定と憐憫、そして快楽原則への率直さと移り気な浮わつき。そこに思想というか偏屈な正義を加え、破壊と創造(というか変異・変奏)を常としてきたのがROCK MUSICだとしたら、The1975は正しくその系譜にあると想えます。

機械による語りがあるのはOK COMPUTERをつい想起しますが、インターネット技術はアーカイヴの再奏を産み、新たなプラットホームで歴史が繰り返されていることは指摘したい。その時代の風は例えば荒木飛呂彦はジョジョ6部ラスト以降で意識的か無意識的か描いていると想います。

ただ、フィリップス・コレクションをみても想ったのですが、文化が文化の内のみで進化を遂げ、社会の実相と関係が薄くなることはないのかなと想ったり。鏡であること、Realの比喩であることが絶対正義ではないけれど、現からの遊離が産まれやしないかと。

文化自体が環境化・外なる自然化してるのは『レディプレイヤーワン』でも『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』でもそう。ただ真善美の『真』をオタク・ユニヴァースの参照で強化する感は『シンゴジラ』をみて違和感があったところでもありました。ロックも文脈・参照のカルチャーでもあると思って。

ただ『A Brief~』はSNSによって現実がコンテンツに仮想的に侵食された環境下で生きる我々の人間関係が良きにつけ悪きにつけネットと(拒否するという選択肢を含め)相対しなければならない現代の実相からの反鳴で。そこではマッチングが設計され、出逢いと別れは容易にクリック出来る。そこへのThe1975の解・意志は歌詞カードをみないとわからず、今Geniusを読んでいるところです。

今年サマソニで来日する彼ら、最初は”B'zの前でなくイエモンの前とかもっと言えばYoshii Lovinsonの前が良かった"とか思ったのですが、冒頭に載せたO2アリーナのLIVE映像をみるとスタジアムクラスのバンドに成長したのが感じられて。今年の夏もFesのどの日に行くか悩ましく快い日々が過ごせそうです。

by wavesll | 2019-02-06 02:44 | 私信 | Comments(0)