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金沢健一 造形家が彫る音波の錬金

art Lover 芸術愛好家

Brian Labycz, Kenichi Kanazawa, Hiroyuki Ura at Nanahari


昨日ストリーミングされた東京都庭園美術館でのDOMMUNE「EXTREAM QUIET VILLAGE」の鳳を飾った金沢健一さんのパフォーマンスが鮮烈で。

金沢健一さんは現職は多摩美術大学非常勤講師、東北芸術工科大学非常勤講師、日本大学芸術学部非常勤講師で、主に鉄を素材にした幾何学的な作品を制作している。国立国際美術館、東京都現代美術館、板橋区立美術館など、美術館に作品を多数収蔵。87年より、鉄という素材と、その形、音をテーマにした作品『音のかけら』を制作。視覚、聴覚、触覚に関わる作品として発表しながら、様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションや、人の身体性を追求するワークショップも精力的に行っている方。

この日のパフォーマンスでも鉄をスーパーボールの付いた撥で撫で、電子のような音を鳴らしながら鉄の上に撒かれた粉が幾何学な文様に収斂していくのが演ぜられていました。

物理の実験のようなインスタレーションでありエレクトロニカルな音像でありながら表現方式は究めてアコースティックというのが面白くて。現代における錬金術師を思わせるような、思索に富むArt Performanceでした。

by wavesll | 2018-01-21 22:10 | Sound Gem | Trackback | Comments(0)

安室奈美恵 Past<Future を聴 小室期を越えるような邦洋融合の好盤

安室奈美恵 - Wild (dailymotion)


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本年で引退する安室奈美恵さん。私が彼女を最初に見たのは安室奈美恵とスーパーモンキーズとしてNTV夜もヒッパレ!に出ていた辺りでしょうか。時は小室プロデュース真っ盛り。

当時の自分にとって巨大すぎるTK Produceの歌手達へのまなざしは今でいう秋元グループのような一種敵視にも似た存在だったのですが、安室奈美恵さんには敵愾心を持つことは薄かったように想いだします。生来のスター性があるとはこういうことなのかもしれません。

そして時代が小室から宇多田や98年以降の世代へ移っていったとき、私自身はアルバムを聴くことはなかったのですが、安室さんの活動が音楽的にどんどん面白いことになっているとは良く伝え聞くようになりました。

ジブラ等と組んだSuite Chicに始まり、よりコアな音楽の魅力へ。けれどTV芸能から姿を引いた彼女の活動スタイルは「意識しなくても音を聞く状態になっている」をPOPの定義とすればPOPとしての存在感が薄くなりロック・リスナーな当時の自分には関わらないままゼロ年代が過ぎていきました。逆に小室楽曲を色眼鏡でみなくなると”素晴らしいじゃないか”なんて認めるようになったりした00-10年代でした。

ゼロ年代以降の彼女の活動スタイルは唯一無二というか、TVに出るわけでもYoutubeも完全にコントロールし、Spotifyを以てPRするわけでもない、されど絶対的なファン・ベースがありパフォーマンスが更新されていくという点で特異で、日本の音楽業界として最大期から生き残るプロフェッショナルな大物という風格があります。


『BEST FICTION』というex小室のベスト盤の次に出したこの自信に満ちたタイトル。いざ聞くと「これは…いい!」と。

恐らく自分の耳が邦楽中心から洋楽中心に変わったことでメロディーの抑揚がそこまでなくても聴けるようになったからというのもありますが、硬質で色恋沙汰が歌われるR&Bのエッセンスに、マーティの言うようにに未来的なエッセンスが鏤められてJ-POPとしてのメロや表現の美味しさと洋楽的なハードさが融合したサウンド、今の耳で聴いてかなり好きでした。

確かに英語の発音などはネイティヴ洋楽と比べると粗く感じたりするのですが、逆にそれが「J-POPさ」にも感ぜられて。洋楽を追いかける内にドヴァっと凄い粒子が発せられたような、音楽の新領域に届いた好盤に感じられました。

このアルバムが特異点なのか、それともまだまだ宝玉のように煌めく楽曲が眠っているのか。五輪のテーマソングだった「HERO」なんかは余り響かなかったので、全てが全て最高の盤に感じられるかは不明ですが、安室さんの最後の一年に、彼女の全貌を聴いていけたら、その中で綺羅星のような楽曲を見つけられたらと思います。本音言うとサマソニに出てくれるのを期待しちゃうけど◎

by wavesll | 2018-01-21 16:40 | Sound Gem | Trackback | Comments(0)

三井記念美術館『国宝 雪松図と花鳥 美術館でバードウォッチング展』にて雪松図屏風・鳥類真写図巻・牡丹孔雀図剪綵衝立などをみる

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三井記念美術館『国宝 雪松図と花鳥 美術館でバードウォッチング展』に行ってきました。

開館とほぼ同時に入り、円山応挙≪雪松図屏風≫の展示室へ。しんと吸い込まれるような体験。遠目にはほわっと雪があふるる姿が近づくと尖端の線の筆遣いが劇画の様なインパクトがあって。エクスクルーシヴな時間でした。

最初に戻って展覧会をみると、まず展示前室にあった三井高福≪牡丹孔雀図剪綵衝立≫が素晴らしくて。 剪綵という表現方法、素晴らしい。三井家の人が盛り立てた技法、蒐集に留まらず創造行為を行うのが三井家の洒脱な處ですね。

本展はバードウォッチングがテーマということで鳥に纏わる品々が並んでいて。

≪孔雀卵香合 了々斎好≫や≪鶴卵香合 前後軒園中産≫、柴田是真≪稲菊蒔絵鶴卵盃≫といった卵を使った工芸品やモデル立ちのような鶴が描かれた円山応挙≪梅花鶴図小襖≫が好くて。三井高福≪梅花金鶏鳥図≫も華やかな美しさが熱を放っていました。

そして鳥のコレクションの中で白眉だったのが渡辺始興≪鳥類真写図巻≫!これが素晴らしくて。野鳥の描写図なのですが、その野帖さと確かな筆致が一編の絵巻のような趣きすらあって。非常に見応えがありました。

鳥以外だと河鍋暁斎≪花見の図≫が良かった。永樂和全≪扇面貼交風炉先屏風≫のエメラルドグリーンに黒の斑も中々でした。

そして改めて応挙≪雪松図屏風≫。少し離れたソファに座って眺めていると、”あぁ。左の松は山峰、右の松は滝を見立てているのかもしれない”と感じて。そしてぐっと近づくと屏風の立体性から松に奥行きが生まれ折の視座の面白さが感ぜられて。

松が遠くには山水図、近づくに松自身の存在感が露わになって。≪志野茶碗 銘卯花墻≫とも呼応する曙の金色に映えるWhiteの美しさが大寒のいいくゆりとなりました。

by wavesll | 2018-01-20 13:02 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)

東浩紀『観光客の哲学』感想:壊さないでネットワークを育むまなざしにふわふわした真摯さをみる

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漸く2度目の読了を終えました。

『観光客の哲学』という題名ですが、具体的な個別の観光の話をするのではなく、特定の共同体にのみ属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもない「観光客」という像を以て「他者論」を行うという本書。

そしてその奥にあるテーマとしては「人として成熟したと認められるにはどう成ればいいのか」というもの。

ヘーゲルに於ける「国民となること」、そして国際社会の市民となることという個人→家族→国民→世界市民という流れではなく、観光客というふわっとした存在の「誤配」性を以て世界平和に寄与するという論旨。

『人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実に社会をつくる。なぜか。』というルソーの解釈。或いは『現代社会における政治(ナショナリズム)=上半身と経済(グローバリズム)=下半身の二元統治の上でリベラリズムをリバタリアンやコミュニタリアンが越え、〈帝国〉にマルチチュードが反旗を翻す』といった現在までの思想史の論じ方は非常に面白く読めました。

特に面白かったのは第一部の終盤に論じられたネットワーク理論。「スモールワールド」と「スケールフリー」という「べき乗分布」の枠組みによってウェブページの被リンク数や年収の分布、都市の規模と数の関係、論文の引用頻度と点数の関係、戦争の規模と発生数の関係、書籍の部数と出版点数の関係、金融危機の規模と発生数の関係、地震の大きさと頻度の関係、大量絶滅に於ける絶滅種類と頻度の関係が説明可能だというくだり。

ネットワーク理論により、人間社会の構造をあたかも自然現象であるかのように説明する言説の可能性が久々に現れた知的興奮がそこにありました。

その一方で第二部で提示される”成熟のカタチ”として「不能の父親として嬰児に触れるように他者と交わる」というアティチュードは、結局のところ問題の先送りというか主体的なプレイヤーであることの放棄な気がしたのも事実でした。

ただ、それも含めて東氏のありのままの思想表明となっていたというのはひしひしと感じて。

多くの先行研究である思想史の解説、繋ぎ合わせが大半を占める構成は批評家がかける”編むことによる先端の更新”であると感じたし、その二次創作的な姿勢から”創造至上主義者”から大なり小なりの批判を受けた結果であろうエクスキューズの多さにしても、そして「親子」という解も借り物でない実体験から生まれてきていることも含めて、東氏の今出せる棚卸的な本音の著作と感じました。

本書に於ける不満は「結局”観光客”という存在は何の意義をもたらすのか」が具体的に語られないところだと思います。

観光客というのは結局のところその行動としては「傍観者」。けれど例えば私自身先日のネパール旅行で生のカトマンズにて思った以上に文化財が残存していることを体感してそれをTweet等で拡散したことから「ネットワークに”近道”を創る」ことを実践したかもしれないと思って。

観光客は直接的に旅先の政治状況を動かすことはなく、或いは郷里の状況を決定的に動かすこともないかもしれないけれども、ふわふわした眼差しのRootを繋げることで、蝶の羽搏きを惑星にもたらすことはあるかもしれないと想いました。

それは”壊さないで、育む”親としての眼差しかもしれない。さらに言えば去勢された父親を肯定するとは戦後の米国に雌伏するこの国の姿を認めることでもある。いのちを繋げていけば未来が営まれる。そう想ったときに、第二部の意図するところにわずかばかりの共感を持てた気がしました。

by wavesll | 2018-01-19 21:00 | 書評 | Trackback | Comments(0)

代官山蔦屋書店の屏風絵

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by wavesll | 2018-01-19 19:29 | 街角 | Trackback | Comments(0)

距離での格闘

Fleet Foxes - Crack Up (Full Album)


ネパールから帰ると郵便受けに年賀状が届いていて。

「今度飲みましょう」とメッセージが書かれた家族写真のハガキをみながら”また飲もう 言われて飲んだ ためし無し”と一句発して。けれどすぐに”然言う友は 宝なりけり”と続けて。

実際に会うわけではないけれども、”会いたいと想える”、そんな仲が”旧友”ということかもしれません。現在進行形とは異なるけれども、それも玉だと。

昨年末幼年期の終わりという文章を書いて。あぁいうものを書いてしまうこと自体が私が未だにコミュニケーションに大きく絡まっているという証で。近づきすぎると依存や諍いが発生してしまう恐れがあって。無用の衝突を避ける”適切な距離”を探して未だFootworkしている次第です。

例えば、前述の年賀状だとか、年1の忘年会だとか、あぁいうものにはどうにも形骸化した縁を想ってしまって。相手に興味関心があれば普段からそれなりにやり取りをするだろうと。

けれど、別の道を歩む中では普段からコミュニケーションを持つのはコストがかかりすぎてしまうかもしれないなとも現実的に共感出来ます。絶対的に時間がないし。

近況を知らせるにしても普通の人は”聴かれてないことをわざわざ伝える”ことはしないし、そういった意味で儀礼が良い切っ掛けと機能しているのだと理解できます。

渡世の中、私は未だ社会性の問題を解けていないと感じます。”相手の土俵にどこまで付き合うか”とか。或いは”先の先・後の先”とかの問題になって来るのかも。

"自分が話したいこと"があったとして”相手に聴きたいこと”があるか、それを知るためにも”相手が話したいこと”はあるか。冒頭の和歌に繋がってくる感じ。

そんなわけで明日からもまたぎこちなく”距離”と格闘していくことでしょう。

by wavesll | 2018-01-18 21:08 | 私信 | Trackback | Comments(0)

横浜市西区章

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by wavesll | 2018-01-18 18:04 | 街角 | Trackback | Comments(0)

あの早朝から23年。阪神大震災の震災文学から次代への眼差しを想う

満月の夕/ソウル・フラワー・ユニオン

23年前のことは実はあまり覚えていない。当時10歳。小学生の頃の記憶はぼんやりしている。寧ろ後のTV映像で高速道路とかが崩れたのをみて記憶が増大していったのが大きい。

幼心の体感ではあの時「頑張ろう、神戸」と首都圏から切り離されていたのを覚えている。その印象からか311時の「ニッポン」「絆」推しには「東京が揺れたら日本全体か」と思ったものだった。

無論、東日本の多くの場所を津波が襲い、いまも福島第一が現在も続いているという意味で日本が抱える大きな出来事だったのは確かだが、阪神大震災の時の首都圏の空気と311の時の報道を思ったとき、「東京は自己中心的なのではないか」との考えが去来したのは確かだった。

されど、シャルリーエブドの時シリアやリビアとかで「何故私たちのことは騒ぎ悲しまないのか」という声が上がったのもそうだが、身近なものを重要視してしまう本性が人間にはある。その上で“どう身近にするか”という意味で地場メディアの力が重要だろう。東京にはキー局があった。それはパワーの泉でもあった。

ネパールでもBBCやCNNはみれた。アル・ジャジーラもそうだが、全球的な報道・情報発信のプラットホームの存在は大きい。

正月に放送されたNHKBSのクマリの番組ではカトマンズの被災が大きく感ぜられた。ただ、実際に行ってみると、確かに爪痕は未だに残ってはいたが、人々の生活の活気と、思いのほか残る歴史遺産が印象深かった。

「何を伝達するか」の選別は、「力」そのものでもある。

あの時の震災文学として『いいひと』が“建物は再建されても、そこでの人の心や暮らしはまだ再建も癒しもされていないのですよ”と描いていて。東北を振り返れば今なお仮設住宅で暮らす人がいる。この23年、この7年、復興の馬力が落ちてきているのでは、と想ってしまう。建物ができても心の復興はその先なのに。

総体的に縮小のフェーズに今のこの国があるとして、新しい容への切り替えが必要として、そんな時に”ドメスティックの外”と小さな物語を連携させるような、そんな情報発信の土台を日本から出せないか。

一人一人の”現場の声”から発して一般意志の形成を行う途上に我々はいるのかもしれない。そのプラットフォームを創れたら、次代の一角獣となり、この国の50年を支えるのではないか。その為には”他者”と”自己”への客観的なまなざしがいるのではないか。あの満月の夜を描写したような、心を打つのは真摯なまなざしであるように23年目に想。

by wavesll | 2018-01-17 22:40 | 私信 | Trackback | Comments(0)

Staff Benda Bilili - Très très fortに三岳お湯割りでアフリカがほわっと薫る 第121回酒と小皿と音楽婚礼

Staff Benda Bilili - Très très fort
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スタッフ・ベンダ・ビリリが今自分の中で熱くなってきていて。

コンゴ民主共和国のキンシャサで路上生活を営むポリオ障害者とストリートチルドレンからなるリズム・アンド・ブルースとレゲエの要素を取入れたルンバ系の楽曲を主に演奏するこのバンド。

2010年に来日もしていたのですが、当時の私がコンゴに求めていた音はKonono No.1的なより激しいダンス音楽だったのでスタッフ・ベンダ・ビリリにはそんなに嵌らなかったのでした。

それがどうも最近の體のリズムからか、無性に聴きたくなって。で、いざ聞いてみるとこれがまた體に馴染む^^
瑞々しい音とブルーズな感性が交わる滋味深さにすっかり嵌ってしまったのでした。

と、なると一献行きたくなるw今回は三岳をお湯割りで呑ってみました。硬質な芋焼酎がお湯でほわっと薫るのはスタッフ・ベンダ・ビリリの音楽ともベル・マリアージュ。

2017年はラテンが来ていた気がして、それは2016年末にceroが示していた航路が正しかったという感じなのですが、(これは私自身のバイオリズムに依るところも大きいですが)何となく2018年はアフリカが来るんじゃないかなぁと。昨年のBest Discの一つ、Jlin - Black Origamiが鳴らしたGqomも併せて 今年はAfricaに注目しながらリスニング・ライフを過ごせたらと想います。

by wavesll | 2018-01-17 20:37 | La Musique Mariage | Trackback | Comments(0)

ネパール巑岏 7日目・帰国日 サガルマータ遊覧、そして旅の終わりから

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遂にネパール最終日。この日はこの旅一番のチャレンジ、サガルマータ遊覧飛行に向かいます。

エベレストとして知られるこの山のネパール名はサガルマータ。

風が強かったりすると航空機が飛ばないこともあるそうで、口に出すと願掛けが崩れてしまいそうに思いながら心の内、昨日の女神仏に飛行機が離陸してくれることを祈っていたのでした。

TVでやっていた謎の体操wサドゥーかな?そういえば今回TVをガン見することが少なかったなぁ。すぐ寝てしまった。エクスペリメンタル・ミニマルなニュースやバラエティの演出が面白かったけどw体力を増強しなければ。
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ホテルを出発。
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カトマンズの空港でイエティ航空のボーディングをし、バスへ。ここで何故か40分くらい待たされ焼きもき。
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そしてネパールの精霊に念が通じたのか飛行機へ、愈々離陸!
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ヒマラヤの山麗がみえてくる。「あれがランタン・リルン、あれがガウリ・シャンカール」とCAさんが話してくれる。
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事前にサガルマータへの峰々のポストカードを貰っていたのだけれど、機窓からみえる景色に「あれ?あれサガルマータじゃね?」
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本当にサガルマータだった!誰にも教えられず一番にみつけられた気がしてすっげ―嬉しかった!
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パイロットに撮って貰った。
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天の頂。地上から見ると手前の山が大きく見えるようだけど、宙からみると一番高いのがよくわかる。アンナプルナ遊覧飛行からすると小さく見えると言われていたが、かなりしっかりみれて夢中で見惚れた。
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機内ではシャンパンもサーヴされて「サガルマータに朝シャン、最高、最高」と想っていたら、「カトマンズ空港が霧で着陸がクローズされてる」とのこと。なんと40分以上ディレイし幾度も空中を回っていた。ネパールのカミサマに好かれすぎて帰られないようになったのだろか。

とまぁ戯言はさておきポカラに降りるとかのファンクなことにならなくて良かったw
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カトマンズ空港に着。ドメスティックターミナルから国際ターミナルへ。
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空港内に入り、待ち時間に今まで飲み逃していたビールをゴクゴク。ライセンスを得てネパールで生産している奴。
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一路バンコクへ。タイ航空、やっぱり機内食が美味かった。
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バンコクでトランジットに数時間過ごした後、羽田へ。空港公式のフリーWiFiとかあるんだね。

幸運なことにラウンジに招待してもらえて、麦酒やパッタイ、粥を堪能できたのだけれど、中のインテリアの「世界都市時間」にアムステルダムや台北がNYやロンドンと並ぶ一方でTOKYOの姿が無かったのが地味にショックだった。「てめぇの首都はヒップじゃない」と言われた気がして。
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流石のタイ航空も日本食はそこまでではなかったw
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機内サービスでは行きは『キングスマン2』をみてノリノリのスパイものとクラマの戦闘シーンに目を瞠ったが、帰りは『レゴムービーNINJAGO』もそこそこにSt. VincentとWilcoの最新作にやっぱいいなぁとなった。

そして此の旅で最後の遊覧飛行はMt. Fujiだった。
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ただいま、にっぽん。ラッシュにお邪魔しないように空港バスで横浜で。さぁ俺の正月も明ける。
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帰国して感じたのは横浜の凛とした空気。ネパールは朝晩も含めて首都圏より暖かいし、砂埃や渋滞があるから空気は寧ろ日本の方がいい。これは行ってみないと分からなかったwただナガルコットの星空は凄かった。

行きのバンコクで心を遊旅へ導いてくれた『草枕』。彼の主人公は芸術に心の安寧を探求するが、どうにも理が勝ちすぎる。人の間を探りすぎると心に悪い。

浮き世は白川ではないから、寧ろ人気のない山海を始めとした莫野の空間でたまった黒いヘドロを霧散させた方が彼にはいいかもしれない。取るに足らぬ人間に気を病むより天然自然に遊ぶのは理に叶う。

“旅はいい、世の些末な芥から心洗われ大らかになれる”と想いながらも帰りの飛行機では肘おきに張り出してくる隣の親父と静かな対戦したりwそりゃこちらの領域に侵入されたら防御する。なぜ張り出してくるかがわからないw

あの大きな心、人と交われば生じる諍いも距離を離れれば安らかなものだ。天を介するのも一つの仁理か。

こうして天空を抜け母国からも離れて、客地で過ごす日々を験て思うのが『観光客の哲学』の『誤配』。

BlogやTwitterで旅日記を書くのの何がいいかというとその人間の日常に暮らしてる姿をみている上で旅での異化体験が写し出される点で。『旅人』をみるのではなく『普通に暮らしている人間が離陸している』のをみる貴さ。

『完全なる外側の人間』でも『完全なるドメスティックな人間』でもない、浮動する存在としての『観光客』の視点。ホームにも異郷にも等しく客観のまなざしを向ける、空の境にいる人間の覚束なさの貴さ。

ポカラで買ったネパールのディスクを聴く。ネパール・ダンスはそこまでだったがネパール・ドラムはかなり好み。異境なトライバル音楽。地理的な条件から考えてみれば自明だけどネパールの太鼓もタブラのようなボヨンとした音なんだな。ヒマラヤン・フォークはアンデス民謡のような響きだった。

帰ってきてから旅日記を書いていて、旅の続きを味わっている気がしている。やっぱり旅人モードに完全になるには10日くらい時間が必要で。

『旅することすら消費でしかない、労働の反復の中に創造はある』と改善を続ける人を否定はしないけれど、全感覚を解き放つような旅の体験は創新にも似たスパークを感じる。その化学反応の素材を錬成するのが日常のような心持がある。

そんな旅の本質は弩本命の観光地でなく、車窓の風景なのではないかと想。今回のネパール旅行記では車窓の写真を沢山載せた。通り過ぎる町の表情、その“移動する光景”こそが旅の主成分なのではないかと。今回は闇夜の移動は少なかったが、旅の上で想念が爆ぜるのは暗闇の車窓を眺める時が多い。

そんな想念が零れて、今回の旅行での精神の移動があふれることが出来た気がした。

そして今回の旅行で知ったのがホテル・エベレスト・ヴューという最寄りの街から2日歩くかヘリで行くしかないホテル。いつか行ってみたい。またフランス東部はメルヘンでいいなんて話も。旅へ遊ぶとさらなる旅に心いざなわれる。とはいえ先ずは日々を大切に過ごしたい。そしていつか来る新しい旅に心を馳せ筆を置こう。








by wavesll | 2018-01-16 20:02 | | Trackback | Comments(0)