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Uncle Waffles & Royal Musiq「Wadibusa(feat. OHP SAGE & Pcee)」Mr JazziQ & JazziDisciples『0303』アマピアノの流

Uncle Waffles & Royal Musiq - Wadibusa (feat. OHP SAGE & Pcee)
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Tylaで全世界的にブレイクした感のある南アフリカの電子音楽アマピアノ。アフロビートをより電子的というか都会の郊外的にした感のある浮遊感のあるサウンドがTikTok時代の空気感にマッチして時代の音になっている感覚がありましたね。

World Music Cruiseの南アフリカ回でアマピアノの「プリンセス」として知られる南アフリカを拠点とするスワジランド出身のDJ兼音楽プロデューサーであるUncle Wafflesの「Wadibusa」がかかって。2024年リリースのまさにイマの感覚を代表する音で、単なるクールというよりもそのリズミカルな熱さがアフロビートが隔世大遺伝したような魅力ある楽興で。上にYoutubeを載せましたが、是非音のいい媒体で聴いてほしいなぁ

そしてラジオでのアマピアノというと、この9月で惜しまれつつ番組終了になってしまったSonar MusicでTYO GQOMの方などが紹介してくれたアフリカ音楽特集で2020年のアマピアノ黎明の頃の起爆剤になったというJazziDisciples & Mr JazziQ「Nguwe (feat. Dali Wonga)」がかかって”うぉっ!これいいな!”と想って。

これが収録されているアルバム『0303』には「Blue Skies」「Mdzango」等のさらにアツい音も入っていて、やはりアフロビートから流れる熱い血潮がクールな電子の御簾の先にみえて。こちらはYoutubeでも大分楽しめるかな。秘めたる熱さと冷静なフェイスがアマピアノの魅力かも知れませんね。

# by wavesll | 2024-09-25 12:00 | Sound Gem | Comments(0)

東京バレエ団「かぐや姫」 金森譲振付によるSFな御伽噺バレエ

Kaguyahime - Jo Kanamori - Tokyo Ballet
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深夜に起きたらちょうどNHKBSプレミアム4Kのプレミアムシアターで東京バレエ団の「かぐや姫」が始まって。

日本人のバレエにはちょっと穿った見方を私は持っていたのですが、このバレエの素晴らしさには大変に感銘を受けて。

Noismの金森譲が振付をしているのですが、上にYoutubeを載せた冒頭の竹林に翁が向かう場面から竹の精?達の演舞からしてどこか超現実的な世界で、そう、かぐや姫ってSF的な世界なんだなって。

竹からみつかった稚児がすぐに成長して美少女として登場するのですが、それがまるで『フィフス・エレメント』のミラ・ジョボビッチみたいな恰好で。
先ほど日本人のバレエに斜めの目線を向けていたと書きましたが、日本人のSFにもどこか気恥ずかしさを私は感じていたのですが、このバレエ「かぐや姫」はSFとしてもとても美しく映えていて実にルックが壮麗で。それはかぐや姫を演じる秋山瑛の綺麗さが大いに輝いているのもあると想いました。

物語構造的には高畑勲『かぐや姫の物語』を経た、いま描かれるべき竹取物語の姿が描かれていて。山村の初恋の相手(捨丸?)への想いを強くかぐやは持ち互いに惹かれていたけれど、翁の立身出世の価値観から都へ連れて行かれ、そこでの軋轢のある宮廷生活で二人は離れ、再び会おうとするも、ようやく再開した時には捨丸には妻子がいて、直截的にはそのショックからかぐや姫は月の使者を呼び寄せて。

一種の現代的な恋愛・純愛の(一面では排他的にもなる)価値観と、社会的な栄生・権力の対比、そして現実の愛情も決して甘いだけではないという現世の写し絵の中で月の姫が物語を生きる姿。これは面白かったですね。

日本はガラパゴスだガラパゴスだと前世紀の終わりから言われていましたし、バブル期のカネに物言わせる栄華は去ったけれども、21世紀の日本人が令和の世になってグローバルなレベルで勝負をするチャレンジ・スピリットが今こうして萌芽・生長しているなと近年感じていて。なんか20sも半ばになってきて、新しい時代の黎明から昇れる朝日が顕れてきているなと感じています。

# by wavesll | 2024-09-23 12:00 | 舞台 | Comments(0)

フェルナンド・ペソア著 澤田直訳編『ペソア詩集』 望みを絶った先の真情の詩

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ポルトガルを代表する詩人、フェルナンド・ペソア

ペソアのことを知ったのはTwitterで幾つかの文学者などのbotをフォローしているときにみつけた@FPessoa_bというアカウント。

そのあまりのネガティヴさ、ペシミスティックさに少々食らいながら”だけどこの人は凄いな”と思いつつ、長いことペソアの作品自体は手に取らずにいて。

たまたま今年、読書へ気が向いたときに”読んでみようかな”と購入したのがこの『ペソア詩集』。今年増刷されたはずなのにすぐに品切れになっていた。

で、読んでみると”あれ、意外と力強さがあるぞ”と思って。
ただ読んでいくとやっぱりこのペソアには喪失感というか不能感というか、無力な絶望感があって。その絶望の果てにどう生きるか、どう生きれるかというのが強さがあるというか、これはアドラーの『嫌われる勇気』を読んだ時のような、他者への期待感・愛されるという期待をすべて棄てた上でのサヴァイヴするための行為者という感じがしましたね。

恐らくそれは、若くして留学などをし文学などに才覚を発揮しながらも、実生活では経済的な不能感というか、彼の自意識での自分への期待値とはまるでかけ離れた経済的・社会人的な無能の烙印の中で、文学をいくらかいても”それが何になるんだ”という自問自答が心の中でこだまし続けた人生の発露でもあったのかもしれません。

「ぼくらはみな ふたつの生を生きている ひとつは生きられた生 もうひとつは思考された生 ほんとうの唯一の生は 本物と偽物のあいだに 分かたれた生

しかし このふたつの生の どちらが本物で どちらが偽物なのか それを説明できる者は この世には 誰ひとりとしていない それでぼくらは 自分の生が 思考される生であるかのように 生きることになる」

こんな調子で平静のなかで淡々と真実そのものを語っていくペソアの詩を読んでいると、まるで中学の時に『人間失格』を読むような、自分の存在自体や恥部が切り裂かれて血が滴るような感覚に襲われるというか、この言い放つ存在の本質に届く力は、ロックという表現だなと感じて。

さて、ペソアは「異名」という形式で詩を発表して。本人であるペソア名義のほか、アルベルト・カエイロ名義、リカルド・レイス名義、アルヴァロ・デ・カンポス名義の詩がこの書には収められていて。彼らには髪の色や人生自体の設定も創られていて、ペソアの世界では各人が同じ世界で相互作用しながらオペラのようなインスタレーションとして存在していると。

ただ小説の登場人物と違うのは、ペソアの研究によると、「キャラクターのために詩がつくられた」というよりも「詩のためにキャラクターがつくられた」とのことで。このペソアの同位体である異名たちは、現代においてはハンドルネーム等を多数アカウントを持つSNS人としてイメージするといいのかも。と同時にこの虚構性・フィクション的な感覚がペソア自身に「俺は文章の中の世界ではこんなにも力強いのに、そんなのは現実では何のパワーも持たず、嘘の存在として霧散してしまう」という感慨を持つことになったのではないかと思ったり。

さて、ペソアの異名のキャラは各人魅力的なのですが、中でもペソアが「自分の師である」としたアルベルト・カエイロの詩に現れる思想、それはこの世には物理的なことが真実すべてで、象徴がどうだとか、”その奥にある意味”だとか、そんなことは何の意味もありはしないことだ。それは神についてすらそうだ、という唯物的、あるいはスピノザや仏教の悟りにも近いような思想も、一旦社会に希望を断ち切られたうえで、すべての幻想を廃して生きていくアティチュードにみえて。

この不能感と、一種の攻撃性は、どこか矛盾している感もある気がしていたのですが、ペソアの詩を読むと、自分自身の人生の挫折感と、ポルトガルという国が大航海時代では世界の覇者だったのに今や凡国以下に国力が衰退してしまった国家としての栄光と挫折を重ね合わせていたようにも感じて。

また永遠の少女リディアに語り掛けるリカルド・レイスの詩と、今から100年強前の第一次世界大戦頃の技術増進の時代の未来派としてのパワーにみせられつつ、自分の非モテさを出したりもする男っぽいアルヴァロ・デ・カンポスの詩も、キリスト教以前のギリシャ・ローマの神話や詩人から「現代」に通じる時空を自在に行き来するようなペソアの哲学がみてとれ、キリスト教を排そうとしつつも認める距離感とか、近代人の懊悩にあふれた思想概念は非常に現代的というか、それこそネット時代に生きたらサイバーパンクを書いてそうな人だなと思いました。

何かになろうとしたけれど、何物にもなれず、年老いてしまった己。その中でくすぶり続ける心の焔。他者への期待はもう持てないのに、悟って”あきらめたよ”と嘯きながらももがき続けてしまう、滑稽な男の中にある思想の伽藍。

いつの世にも地獄をみた人間が真情と事実を遠慮なしに吐き散らすことへの魅力というのはあって。ロックンローラーやラッパーもそうだし、永野などの芸人もそうでしょう。その刃は、攻撃側である書き手自身も切り刻んでいく諸刃で、その生々しい鮮血と生肉が、リスボンの海に拡散し、時代も地域も超えて行って。いや、これはちょっと凄い詩集でした。

# by wavesll | 2024-09-22 14:26 | 書評 | Comments(0)

猛暑の終わりに森山直太朗 - いくつもの川を越えて生まれた言葉たち 音楽歳時記

森山直太朗 いくつもの川を越えて生まれた言葉たち
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もう中秋の名月を過ぎても猛暑が続く日本、全球的にも所かまわず洪水が起きたり、地球沸騰化による異常気象がニュー・スタンダードになりつつある昨今。それでも予報では今日で猛暑日が終わるとのことで、「夏の終わり」が入っているアルバムを聴いてみました。

最初が「風唄」から始まって。これも名曲だなぁ。アルバム収録版の「夏の終わり」は三線がかなりフィーチャーして聴こえて。

最近、複雑でカオスな音像より、シンプルなオトが好ましく想ったりも。森山直太朗、沁みますね。

# by wavesll | 2024-09-21 10:46 | La Musique Mariage | Comments(0)

Ohtani 50-50 X Take Me Out To The Ball Game 音楽歳時記

Take Me Out To The Ball Game
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これすら通過点に過ぎずすぐさま51-51へ駈け抜けるとか、まさに伝説。大谷のHRの打音でビートメイクしたら凄そうw

# by wavesll | 2024-09-20 19:27 | La Musique Mariage | Comments(0)