自然の柄

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# by wavesll | 2018-12-18 19:37 | 街角 | Comments(0)

桃栗参年

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# by wavesll | 2018-12-18 19:23 | 街角 | Comments(0)

崎山蒼志インストアライヴ@新宿タワレコ

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「国」

崎山蒼志「五月雨」

1. 国
2. 旅の中で
3. ソフト
4. 形のない乗り物で
5. 五月雨

16才の異能、崎山蒼志のインストアライヴを新宿タワレコでみてきました。

ライヴスペースからあふれでるオーディエンスの中での生演奏。今までYouTubeで聴いてもイマイチピンと来ずキャラやビジュアルの純さからもハイプを疑いさえしていたのですが、ソウルある!

ギターがいい!というかギターのフレッシュな出音が魅力の肝で。そこに天性の歌声が化学反応しBluesやSoulに開けシティポップの先を魅せてくれました。これは生で体験できて良かったなぁ。魂篭った心に火を点すようなライヴでした。

# by wavesll | 2018-12-17 05:01 | Sound Gem | Comments(0)

デコトラなアドカー

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スピーカーからはアフリカンビート?なスチャラカミュージックが。

# by wavesll | 2018-12-17 02:55 | 街角 | Comments(0)

Nick Knight 『STILL』@The Mass

≪Roses, Photo Paintings≫
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≪Flora≫
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≪Roses From My Garden≫
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写真をインクジェットプリンタで印刷し乾く前に加工したという『溶ける花束』。当初面白いながらも単に絵画化による写真の差別化手法に感じたのですが、映像展示で凍らせた花を砕く様子が流され、“そうか、凍るならアイスクリームのように溶けるよな花も”と。

この≪Roses, Photo Paintings≫、シンプルで鮮やかな写真による超現実が素敵な空間でした。

# by wavesll | 2018-12-16 21:01 | 展覧会 | Comments(0)

GOING UNDER GROUND アコースティックインストアライヴ@新宿タワレコ

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GOING UNDER GROUNDのアコースティックインストアライヴを新宿タワレコにてみてきました。20周年ベストアルバムから「ランブル」「チェロ」「トワイライト」の3曲に加えて、「ランブル」と「チェロ」の間に未発表の提供曲「フラワー」もちょろっとやってくれて。髭生えたオッサンになっても甘酸っぱい歌声と演奏がとても魅力的で、年を重ねた良さもありました。グッドメロディーを持つバンド・サウンドに時を経て時をくゆりました。

# by wavesll | 2018-12-16 01:57 | Sound Gem | Comments(0)

村瀬材木≪リュウキン≫ をRECTO VERSO GALLERYで視た

≪Carssius auratus Fantail≫
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≪Hexapus≫
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≪Marine hatchet≫
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≪Leptocephalus≫
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≪Ranidae≫
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茅場町第二井上ビル401 RECTO VERSO GALLERYで開かれているグループ展Art Wave Exhibition vol.52にて村瀬材木さんの≪リュウキン≫作品をみてきました。

村瀬さんの作品を直にみるのは江ノ展以来でしたが、その曲線と直線そして膨らみの凄まじい素晴らしさ。この作品から想像力を羽ばたかせたSF小説とか起こりそうなワクワクする世界観。最高でした。

寫眞と生だとまた質感が違うというか、写真の方がより重みが出て、生だと中空が空いて軽量に見える感覚。本当に中空だとしたらどれだけの技量なのだろう…!?

宇宙に揺蕩う魚類型のMecha。本当に心躍る展示でした。

# by wavesll | 2018-12-15 16:30 | 展覧会 | Comments(0)

阿波の遊行 淡々とした中に血潮滾る熱っぽいBeatに未来への芽を感じるフィールドレコーディングの傑作

『阿波の遊行』
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本年度Best Albumは自分の中では此の盤。

鳴門出身の現代舞踊家で研究家肌の檜瑛司氏が四国には皆で歌い踊れる民謡はないのだろうかと、1968年、録音機とカメラを担いで現地調査に踏み出しました。すると、想像を絶する豊かな音と芸能の世界が広がっているのを知り、録音と岡本太郎ばりの多くの写真を20年間録り~撮り続け、膨大な記録を残しました。驚異的なフィールドワークによる数百時間のテープ。そのライブラリーの存在を音楽プロデューサー久保田 麻琴が知り選りすぐりのトラックをマスタリングしたのが、本2枚組CDアルバム(AHORA)

ワールドミュージックのフィールドレコーディングで面白さを感じるものの一つに、淡々としているようで血潮の滾りが感じられる盤という基準が私の中にあるのですが、本盤も滲み放たれる熱っぽいビート・ミュージックと謡に本当にヤラレて。失われし日本の原風景の音の記録という意味でも弩級のアルバムだと感じました。

久保田麻琴さんが関わる日本の民俗音楽の盤達のクォリティとコアさには舌を巻きますが、このアルバムは落ち着いた抑揚の中でずっと聴いていられる音楽的な快楽という面でも素晴らしくて、それはマスタリングによる音の好さもきっと大きく関係しているのだと思いました。個人的には『PATILOMA』等の南嶋シリーズに匹敵するくらい惹かれました。素の美味しさという意味では久保田さん案件ではないですが『アイヌ・北方民族の芸能』にも通じる魅力を感じました。

メロディーよりもビート、そして音のテクスチュアがより注目される時代、この感性であらためて日本の民俗音楽を聴くと寧ろ鮮やかに生き生きとした鼓動を感じることが出来て。いわゆるJ-POPがさらに上を目指すときにこんなかっこいい音があるという根っこを確かめることが色んな可能性に繋がる気がした聴験となりました。

# by wavesll | 2018-12-15 03:12 | Sound Gem | Comments(0)

ピエール・ボナール展@新美

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Bathtub - Jacobs Colier & Becca Stevens

国立新美術館へピエール・ボナール展へ行ってきました。
NUDE展で知った浴室画で著名なボナール、実際に彼の奥さんのマルトは1日に何度も入浴をしていたそうです。

『日本かぶれのナビ』と呼ばれた初期。≪庭の女性たち≫は≪白い水玉模様の服を着た女性≫・≪猫と座る女性≫・≪ショルダー・ケープを着た女性≫・≪格子柄の服を着た女性≫と可愛らしい四人の女性の縦長の絵。この印象的な衣服の柄が日本らしさの影響らしかったです。

≪黄昏(クロッケーの試合)≫は緑の鮮やかに深い味わいの逸品。ここもすらりと印象的な服の格子柄が日本の平面的な美があって。

そして格子柄の衣服は≪格子柄のブラウス≫にも≪砂遊びをする子ども≫にも。日本の影響でいうと屏風に描かれた≪乳母たちの散歩、辻馬車の列≫も素敵でした。

めちゃくちゃ長い足の≪白い猫≫やセクシーな≪黒いストッキングの少女≫も好かった。平面的なデザインでいうと≪親密さ≫も。

ボナールとマルトの愛と翳を描いた≪男と女≫、そして明るいのに灰がかって描かれる家族は目をまるで合わせない≪ブルジョワ家庭の午後 あるいはテラス一家≫、そして神秘性のある緑の光景が描かれる≪大きな庭≫も好かった。

そこから『ナビ派時代のグラフィック・アート』の部へ。
ヒットし父に画家になることを認めてもらう契機となった≪フランス=シャンパーニュ≫。ポスターでいうと≪ラ・ルジュ・ブランシュ≫もかっこ良かった。

ボナールの義弟クロード・テラスの『ピアノ曲、家族の肖像』に寄せたリトグラフも素敵で。そしてアンブロワーズ・ヴォラールの戯曲『ユピュ王』に寄せた≪『入院したユピュおやじ』≫と≪『飛行機に乗ったユピュおやじ』≫もユーモラスなクズキャラの可愛さがありました。

ここからボナールによるコダック社のフィルムを使った『スナップショット』の部へ。そこにも展示された1908-10年に撮られた≪浴盤にしゃがむマルト≫の写真は次の部である『近大の水の精(ナイアス)たち』で1918年に描かれた≪浴盤にしゃがむ裸婦≫の元となっていて。

この≪浴盤に沈む裸婦≫では背景となる室内がまるで螺鈿のきらめきのようなパステルが水の輝きを現していて、白黒のフィルムから鮮やかに想像力/感受性が閃光となっていました。

他にも桃色が可愛らしい≪浴室の裸婦≫、それと同じモデルを描いたとみられる≪青い手袋をはめた裸婦≫と≪化粧≫、パステルな壁が印象的な≪バラ色の裸婦、陰になった頭部≫も綺麗で。

けれどもこの浴室の裸婦画たちは、マルトの友人であるルネにボナールが想いを寄せ、それに嫉妬したマルトが結婚を迫り、マルトと結婚した直後にルネが自殺することの後から描かれたという流れがあって。そのエピソードを聴くと多くの浴室画に描かれる裸婦が顔が蔭でみえないところにも何か不穏な情を想いました。

さて、そこから次の『室内と静物「芸術作品ー時間の静止」』の部ではポスターにもなった≪猫と女性 あるいは 餌をねだる猫≫に描かれたマルトのように弾ける笑顔でなくテンションが微妙な表情の人々が描かれて。≪食卓の母と二人の子ども≫もそうだし、≪桟敷席≫もそう。

またテーブルの上の静物画では≪ル・カネの食堂≫や黄色い果実が描かれた≪テーブルの片隅≫が好かったです。

第6部『ノルマンディーやその他の風景』ではモネ≪睡蓮≫への回答とされる灰色の巨大な光景が描かれた≪ボート遊び≫等印象派からの影響が筆遣い等に顕れていくようになって。

紫がうつくしい≪セーヌ川のほとり≫、タッチが勢いを持った≪ノルマンディー風景≫、光の印象が輝く≪日没、川のほとり≫。≪アルカションの海景≫のスナップショットな美。そしてゴッホのように黄色い空が効果を発揮している≪トルーヴィル、港の出口≫も感銘を受けました。

最後の『終わりなき夏』では、これまで展示されてきた現実の情景だけでなく神話的な風景も描かれたものも。

≪水の戯れ あるいは 旅≫と≪歓び≫は一対の、富豪の家を飾った作品で、神話的な情景を装飾性と劇性豊かに描かれた絵画。≪にぎやかな風景≫と≪地中海の庭≫は牧歌的風景からアルカディアへのまなざしがあって。

≪夏≫の緑の光も素晴らしかったし、≪≪村の早春≫のための習作≫の祝祭風景や≪南フランスのテラス≫のコントラストの高い光の景、ル・ボスケ(茂み)という家から見た≪南フランスの風景、ル・カネ≫の美しさ。そして展覧回のラストを飾った遺作の≪花咲くアーモンドの木≫は自分が筆を持てなくなっても指示して隅を黄色く塗らせたという、燃え尽きる命が華々しく焼き付いた美がありました。

ボナールが生きた時代は例えばビュールレコレクション展でみたような印象派の進化、さらにはキュビズムなどのダイナミズムがあった頃でしたが、彼はアヴァンギャルドからは距離を取り、あくまで形象を描き、絵画表現の冒険において非常に品よく、上質の澄まし汁を創るように自らの絵画の旅を行った様にみえました。

その中でもやはり重要なモチーフとして浴室裸婦画があって。50代に達した特質的な境地。彼の人生と関わるきらめきと不穏さ、そして光景への眼差しという、噛み締めれば噛み締める程味わい深い魅力がある画家さんでした。

# by wavesll | 2018-12-13 23:53 | 展覧会 | Comments(0)

テクノロジーによりヒトという種が生死を超えて進化する? 人間ってナンだ?超AI入門 第11回「老いる」

人間ってナンだ?第11回のテーマは「老いる」。高齢者に寄り添い、癒し、健康の維持を手伝い、高齢者を支えるAIの関わり。そもそも人間にとって「老いる」の本質とは?ゲストは五木寛之。










人はなぜ老いるのか?例えば単細胞生物は老いない。これは老いた方が良いということだろうか?
青春、朱夏、白秋、玄冬。人生50年の時代の老いると人生100年の時代の老いるは異なって来る。超高齢化社会の中でAIは高齢者の不自由を支える技術として、そして「老いるとは何か?」を分析するためのツールとして働く。

例えば相手の嗜好・情報を覚えて会話するAIパルロ。実際に介護施設で体操の指揮や相手と話したり愚痴を聞いたりする。基本的に最初は高齢者は抵抗があって、その抵抗を外すことから始めているそう。

動いているものをトラッキングするAI。顔認識AI。話しかけてきそうか判断するAI。唇に注目するAI。音声認識するAI。これらを連動させるAI。これから先AIがないと介護は回らなくなるだろう。

五木「まだAIは揺籃期。まだ実用段階には達していないように感じる。それに人間は老いていくに従って孤独に従う、それで何がおかしい?宗教的な問題を孤独の中でする人にロボットが関わるにはアーティストとインテリジェンスがないと難しい。」

体力と認知機能の測定するAIもある。測定したデータからタイプにあったトレーニングを提示する。「こういう生活した人がこういう健康データとなる」という部分をディープラーニングしていく。そうすると健康状態の未来予測ができるようになる。

五木「人間一人一人の個性を平均化標準化していく方向へ行くことに不安がある。」
松尾「データが多くなると細分化したパターンに対応できるようになる。また生活の中でどういうデータを取るかが重要。何を食べたか、どういう人と話したか。それらを複合的に判断すると健康や体力に関して詳細な分析ができる」
AIは人間の健康寿命を延ばせる?!

AIと人間の老い、二つを繋ぐ技術は他にもあります。それが茨城県つくば市CYBERDYNEのロボットスーツHAL。つくったのはロボット研究者・工学博士・筑波大学教授の山海嘉之さん。

山海さんのロボットの特長は人が装着して初めてその力を発揮する点。人が体を動かそうとするときまず脳から「動け」という指令が出て、その指令が電気信号となって筋肉に伝わる。山海さんはその電気信号を捕まえる高性能のセンサーを開発。さらにその信号をコンピューターで解析し人間の複雑な動きを再現できる世界初のシステムをつくりだした。

山海「例えば脳からはこういう情報が出ているはずだけれども信号自体は欠落があったりする。それはAI処理で補完し、スムーズな動きに変える」

このスーツは重い荷物を持ち上げる時に腰にかかる負荷を最大40%も減らしてくれる。介護施設での力仕事でも活躍が期待されると共に医療の現場でもドイツや日本では実用化が始まっている。

山海「人とHALの間で神経系の機能を回復・改善させていくループが回り始める。HALを使えば使うほど神経と神経の間のシナプス結合、神経と筋肉の間のシナプス結合が強化・調整され、残存機能が向上していく」

人間と機械の間で増幅のループを作る

山海「これまで脳神経系からの情報は人間の内側のものだった。それを一旦ロボットの中に取り出す。これは人間の脳神経系の世界の中にHALというサイバニックシステムを介入させて、医者が脳神経系の世界に入り込みながら治療する技術に進化している」

五木「あぁいうのがあれば非常にありがたい。人間は動物から人類、道具を使う。手で切るより鋏で切る方が楽だ。メンタルな部分で話し相手になってくれるよりモノを運んでくれる方がずっとありがたい。」

ロボットスーツのような技術がAIによって進んだ先にはいったいどんな世界が待っているのか?
例えばスポーツ選手の世界ではハイテク化が進み、義足の選手がオリンピック選手を超える日も近いと言われている。

サイボーグ的なムーヴメントが起きた時にどう捉えればいいのか?道徳的な問題もあるのではないか?

五木「日本の進むべき道として絶対にある。日本の義手義足は世界的にみて水準が高い。地雷などで身体を失った人などに日本が貢献できる分野だ。」
松尾「義手・義足はいいが、臓器、脳、そして身体が100%機械になったら人間なのか?」
五木「ロボトミー(脳の神経回路の一部を他の部分から切り離す外科手術)なんて言葉も連想される」
徳井「本当に切実に義手義足などを求めている人がいる一方、好奇心半分で便利にするためにサイボーグ化する人たちはやっぱり違う」
五木「けれど自転車なんかと同じではないか?」
松尾「身体を拡張するのと何が違うのかという議論もある」

身体の拡張は「老い」も超克する?

松尾「例えばパワースーツや義手義足は今のところ人間が制御しないといけない。人間の医師をくみ取ってそれに力を与えるというもの。ところが手や足は無意識下で非常に細かい制御をしている。普通に歩いているように思っても足をどこに置くかは無意識下で脳が非常に細かい処理をしている。そういうところをAI・ディープラーニングが補うことが出来れば、ディープラーニングのような義手義足が出来た方がより使いやすくなり、転ぶなどを気にせずに歩けるようになるかもしれない」

五木「人間の学習能力、例えば段差や階段を気を付けようと思って歩く、その危険意識と関係なくなってしまうのは問題では?やはり少々の失敗もないと。」
松尾「気を抜いている時はちょっと失敗するシステムをつくるとか」
五木「そこまでプランニングされて『2%は失敗しよう」とかまでされると恐ろしいというか、そこまでお世話になりたくないという感じ」
AIはおせっかい過ぎない方がいい?

人はなぜ「老いる」か?

五木「人はなぜ老いるかは分からないけれども、老いるのは現実。『どう老いるか』が問題となっている。医学的な基準は未だに知見の進歩で揺れ動いている。基準が揺れ動くのにどうしてそこから学習しなければならないかという疑問は抑えきれない。」

松尾「色んな説があるが、細胞分裂の回数がMAXいくらかが決められている。分裂の回数を何回でもいいという設計を人間は取ることが出来たし、生物も取ることが出来たはず。分裂の回数を制限した方が良いという何らかの理由があってそうなっているんじゃないか。ちょっと人工知能と関連づけて話したい。

ニューラルネットワークがあったとしてそこに画像や音声やテキストが刺激として入り、その判定をさせる。これには『学習率』というものがあって、最初は大きく取ってだんだん低くしていくと早く学習できる。」

学習率とはAIが学習する際のコンディションを決めるパラメーター変数のこと。この値を大きく取るか小さく取るかで効率が大きく変わる。

松尾「山とか谷の構造があって、一番高い山を見つけたいという問題だとして、適当なところから始めて歩いて一番高い山を見つけ出していく。その時最初は大きく動いた方が良い。全然とんでもないところにいる可能性が有るので最初は大きく動いた方が良くて段々いいところに近づいてくると動き方をちょっとづつ緩めて行った方が良い。

学習の初期においては学習率は大きく取っておいて、学習が進んだ際には段々と学習率を弱めていった方が良いとされている。僕はAIと人間の学習率には関連があると考えていて、若い時は学習率が高い。だんだん学習がしにくくなって大人になる。

特に音の認識において顕著で、日本人はLとRの発音が分からない。これは幼少期に英語圏に居てLとRの発音に触れていると分かるのだけれども、日本にいるとLとRの区別をしてないので区別が出来なくなってる。これは学習は下の段から積み上げていくから、音の情報→音素→シラブル(音節)→単語→文となる構造上、音素の学習を固めないとその上の学習がしにくい。なのである一定の年齢までに音素は固め、次の学習へ行きましょうと下から積み上げて行っている。

ですから人間が成長する過程で概念が下から組み上がる。学習率が高い頃の方が若くて段々収束していく。こういうことが起こっているんじゃないかと思う。」

概念を汲み上げると学習率は下がっていく。若い頃は伸びしろで勝負、老いてからはそれまでの積み上げが効いてくる。

老いるにつれ人間は知識と経験を積み重ね、個人として学習を完成させていく。一方何世代にもわたって進化の過程で積み上がった能力も無視できない。学習と進化、この二つはどういう関係にあるのか?

松尾「例えば明るいところが嫌いな動物や生物がいる。明るいところを嫌いという性質は進化的に獲得する事も出来れば学習によって獲得することもできる。ではどういう場合に進化で獲得した方が良くてどういう場合に学習で獲得した方が良いか?」
五木「適者生存では」
松尾「そうです。進化の場合は適者生存といって環境に上手く適合したものが生き残る。でも一緒のことが学習でも起きる。では進化と学習は何が違うのか?」

徳井「環境が急激に変化した場合では」
松尾「そうです。進化の方が環境が変わらない場合にはロバスト(頑強に)性質が保たれるのだけれども、環境が変わる際は学習の方が良い。

人間というのはかなりの部分を学習に頼っていて、それは環境が変わることに対して非常に強い性質を持っている。これは人間が社会を創り上げてきたり環境自体を変えるという事をやって来たから。今でも教育の制度は凄く重要だけれども社会環境に合わせて教育の仕方自体を変えることによって全然違うタイプの人間を時代時代に合わせて生み出してきた。凄く環境の変化に対して柔軟な仕組み。

という風に人間は学習に重きを置いた生物ではないかと。」
五木「学習の効果はあるんですか?」
松尾「学習の方式は色々ありますけれども、『教師あり学習(正解・不正解のデータが大量にある場合に、正解を真似する学習)』は出来る。それと『強化学習(何かの行動をすると結果的に良かった、何かの行動をすると結果的に悪かったというデータがある時にどういう行動をすると良い、どういう行動をすると悪いということを学んでいく)というやりかたもある』」

ゆっくり変わる進化とあの手この手の学習で時代の変化を生き延びてきた人間、そんな人間の定義がAI時代に変わると山海さんは言う。

山海「ネアンデルタール、ホモサピエンスという大きな流れの中、脳の容量も道具を作る能力も色んなものが少しづつ良くなって、生き物としては遺伝的に次の段階へきて、今私たちはいる。しかしテクノロジーを身に着け環境を変える術を得たことによって、生物としての進化を捨てた種族だという風に言える。

脳の容量の足りない部分がIT系の技術によって拡張されはじめている。IT空間だけでなく物理空間にも作用するロボットの技術が登場し、人とロボットと情報系が融合・複合した新しい時代を迎えようとしている。人類の新しい形の進化が始まっているともいえる。

しかしこれは生物としての進化ではなくテクノロジーと共に生きる、そういう未来。つまり人とテクノロジーの共生社会における新しい一歩」

人間は進化を捨てた?それとも新たな進化を手に入れた?

五木「人間というのは学習しない存在と痛感するところがある。第一次世界大戦であれだけの悲劇を引き起こしながら何十年かしない内に第二次世界大戦を引き起こしてしまう。全然人類は学習しないじゃないか」

松尾「まさにそこでして、人間の寿命が80年ぐらいだからこそ、世代が変わると記憶が引き継がれなく、忘れてしまってまた同じことをやるということが起こってしまいがち。これは人間の寿命がそういう風に設定されている故の人類の弱さ。そういうところに高齢者の方は凄く重要な働きをするんじゃないかと考えている。

変わらないものに対して高齢者の方がデータをたくさん持っている。それを人類社会のために役立てることは若い人には出来ないこと」

五木「そういってもらえると嬉しい。超高齢期の意味を感じました」

松尾「一つ面白い話をするとシンギュラリティー(技術的特異点)で有名なレイ・カーツワイル氏が脱出速度というものを提唱していて、これは何かというと、今技術の進歩は年々早くなっている。加速している。仮に一年間で技術進歩によりもたらされる平均寿命の延びが一年を超えるとヒトは死ななくなること。カールワイルはその地点が10年から15年で来るんじゃないかと言っている。この世の中がどう変わるか高齢者の方に見てもらいたい」

この番組はAIに関する技術をレクチャーしてくれるという面と、人間存在とは何かを考察する面があって、今回は後者の面で大変に見ごたえがありました。

それは「老いる」というテーマに加えて、五木氏の存在が非常に大きくて、ただ松尾さんの解説に頷くだけでなく時に異議を唱え自説を主張するその姿勢が番組にテンションをもたらしてくれたと思います。

人間の寿命が仮に100才としてもう1/4をとうに過ぎた朱夏な自分にとっては学習率の話は恐ろしくもありましたが、死というもので閃光のように人の生は熱を持つ感覚はあります。また寿命があるからこそ、過去の学習が一旦リセットされていくからこそ社会が変革していくダイナミズムが起きるのだろうと思って。

そう考えるとAIによって人類が寿命から脱出したとしたら、確かにテクノロジーと共に成し遂げた生物としての進化ではあるけれども、社会的には変革が起きない、静的な未来があるのではないか、ある意味それはヒトという種が神が造った動物に戻るという未来なのかもしれない、そんな気もする噺でした。




# by wavesll | 2018-12-12 20:06 | 小ネタ | Comments(0)