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安定性が高まるほど速度を出せるか。刺激と不快は裏表か。M-1後1週間のラジオを聴いて。

M-1、今年も終了して。なんやかんや面白く観れました。
M-1終わりでの一週間の愉しみといえば芸人ラジオでの講評や裏トーク。今はRadikoがありますから、結構色々聴くことが出来ました。

で、聴いている内に想ったのが、”あれ?みんな「明るく楽しく」みたいなものを基礎基本とスタンスとってない?”ということ。
今年は久保田と武智の件もあったからか余計にその点がくっきりしたというか。”あれ?みんな物凄く安定してね?というか、俺、俺周りの環境も含めて不安定に過ぎるんじゃね?”疑惑がw

Twitterとかだと結構過敏さやピリつきや諧謔などが露出する事なんかもあるのですが、岡村のANNもポジティヴを肯定だし、夕方にやってる中川家のANNプレミアムなんかその安定性の凄さたるや。タイムフリーでいつも深夜ラジオ聴いてる人間からすると衝撃的というか、”あぁ、そういえば好きで聴いてる根本宗子と長井短のANNゼロでも二人ともディズニー大好きだったりするもんなぁ”と振り返って想ったり。

何かに傷つけられたり不快感に襲われたときにその超回復として創作が生まれることってあります。けれども、一級のPOPをやってる人たち、特に長年第一線に経ち続けている人たちからすれば、もう創作にネガティヴな外部からの刺激はいらないのかもしれない。

お笑いなんていうと、一時期は”この国がこんなに息苦しくなったのは、何でもかんでも過敏に『変だ変だ』とツッコミ囃し立てるお笑いブームのせいだ”なんて想った時期もあって。実際今もお笑い好きのBBSなんかみてるとあまりにも繊細に子細にコミュニケーションを分析する様子が見て取れて。

けれど、”感じ取る側・批評する側”としては刺激に関するチューニング感度を最大に回してもいいかもしれないけれども、笑いの創造者としては閾値を下げ過ぎているとすぐにスリップしてしまう、安定性を上げた方が結果として最大走行可能速度が上がり、小藪の言う處のビッグビジネスなんかも任せられるようになるのではないだろうか?なんかそんなことを感じましたね。

勿論、スリップスレスレでぶっ放していく面白さなんかもあります、実際根本長井ANNゼロやクリーピーナッツのANNゼロは安定してしまった現在のJUNK陣にないフレッシュさがあって今楽しく聴いているラジオなのですが、クリーピーナッツの二人が応酬する煽り合いや小者な”フリ”からの落しみたいな刺激って安定性を志向したら除かれる要素だと想うし、あのラジオはそこが面白い。自分はやっぱりあれも好きで。

けれど今回のラジオ・リスニングで凄く想ったのは、あれはあくまでショーで、そういう刺激をやりあって面白くなる「刺激」が「不快」と捉える人が多くて、普通の人は自分自身はそういう「刺激」には自分の生活では関わり合いになりたくない、寧ろそういう「刺激」をやらかす人間は『イキリヤカラなハラスメント野郎』なんだだろうなってことで。

みんな和気あいあいと仲良く穏やかに過ごしたいんだな、なんてそんな当たり前のことに気づいた師走でした。この時期といえば忘年会、なんかどうも行っても面白い噺が出ないからここ数年遠ざかっているのですが、そもそもの目的を懇親でなく刺激と取り違えていた感はありますね(苦笑

by wavesll | 2018-12-12 07:14 | 小ネタ | Comments(0)

人生の局面は計算しきれない、そこでどう動くか 人間ってナンだ?超AI入門 第5回「勝負する」






囲碁や将棋で人間を超えたAI

「運」や「ツキ」の正体とは?人工知能と人間で菖蒲の読み方に違うがあるのか?人間の勝負にかける行動原理とは?

ゲストはプロポーカー選手木原直哉。

ポーカーは運の要素も多く、一晩ならわからないが、一か月単位では強い人間が勝つ。

バックギャモンでは2000年にAIが人間を逆転したが、AIを人間が学んで人間のプロも強くなり2000年のAIよりは今の人間は強くなっている。

囲碁や将棋はすべての情報が明らかになっている完全情報ゲーム。麻雀やポーカーは相手の手が分からない不完全情報ゲーム。

アラン・チューリングはチェスのAIを考えた。その後チェスのディープブルーや完全情報ゲームで一番高度な碁のAlphaGoが人間に勝った。

偶然の要素が入る世界では運やツキを捕まえるセンスで人間に分があるのか?

探索木(ゲームで起き得る曲面を現した図)をつくって一番良さそうな手を考えるのがゲームをAIが攻略する方法。

囲碁や将棋は強化学習で今の状況からどう動けばいいかスコア付けし、AIは学ぶ。

将棋のポナンザはまず過去の棋譜を学ばせていたが、それだけでは足りないと、AI同士で対戦させて未知の局面を学ばせた。その数1兆局面。この膨大な経験をフィードバックした。

人間の勝利の定石が時に足枷になることが起きるようになった。

勝負勘を説明するのは難しい。プロはAIみたいな考えをして、より正しいプレイを心掛けている。

麻雀とかは「流れ」が話されるが、木原さんがいうにはそれは過去を語る話。けれど「流れを意識してのプレイ」で未来に影響を及ぼすことがある。”流れ”は人間が作り出した現象。

AIはどう偶然に立ち向かう?

将棋は手持ちの駒と駒の配置に点数を付けて評価しているが、麻雀はインターネット上に乗っているゲームデータから、局面ごとの相手の手牌を推定することから機械学習を始める。

ゲームのAIは「現在の状態」から「次の手の展開」を推測し、その探索木の先に「勝ち」「負け」を読む。
分岐数が5で50手先だと、5の50乗。とてもじゃないが計算できない。これが将棋だと10の226乗局面あるといわれており、これは2017年の最高のコンピューターでも138億年かけても解析しきれない数。つまり事実上すべての探索木を解析するのは不可能。

ゴールの100点から逆算して局面に点数を付け、良さそうなのを選ぶ。一見すると悪いけれど先読みすると良い手もある。

点数は将棋なら手駒から計算する。完全情報ゲームは評価点が付けやすい。けれど不完全情報だと難しい。

麻雀だと「こういう捨て牌ならこう」と限られた情報から相手の手を予測して計算。何を切ると上がりやすいかを選択。

プレイヤーは見えている情報から見えない情報を評価することが必要。膨大な対局データから確率を予測し評価点を算出。AIは期待値が高い手を選ぶ。

ポーカーはベッティングラウンドという勝負に乗るか降りるかを選ぶタイミングが4回あるのでそこで感覚を掴む。

不完全情報ゲームの究極は人狼。ウソをつきあい騙し合うゲーム。最近研究対象として取り上げられている。

AIが会話で人間の信頼を勝ち取る

会話が成り立つには「自分が何を思い相手にどう思われているかを把握する」ことが必要。なので「人間とは何か」「世界とは何か」を理解する事が必要。また主語が省略されるとAIは理解が難しい。この「心のモデル」をシュミレートするには小さい頃から心の理論を学ぶ。ここが要。

ビジネス上で交渉する時も相手の欲しいものを考えて一致点を探る処が重要。

人狼は言葉を使うために選択局面が無限大。ここで人工知能が行ったのはモンテカルロ木探索。サイコロを振ってまずその結果に従う事から始める方法。これは2006年以降に囲碁や将棋のAIで劇的な効果を上げた。

人狼では相手の役職を決める上で使う。ランダムに仮定して、ゲーム終了まで何度も予測する。その結果から自分が取った選択から勝利につながった探索木がわかる。勝つために必要な行動を後から評価する。

しかし人狼の選択は言葉のみ。過去に行われた局面にならないことも多く、攻略は困難。

選択肢が膨大でもランダムな選択を活かし勝つ確率の高い一手を取るのがモンテカルロ木探索。名前のモデルはモナコのカジノ・モンテカルロ。ギャンブルも科学も答えはルーレットに聴け?

人狼をみると「AIの人間性」を想う。なぜ人間が「人間性」を持っているかは、社会的な動物なので協力した方が得な場面では協力し、争った方が良い場面では争う、環境において一番合理的な選択は何かを取るように生物として仕組まれている。

AIが苦手なゲーム、人間が得意なのは「転移学習」。新しいルールが追加されることがゲームの世界では増えてきている。知らないルールを追加して新しいゲームで勝負するとAIはなかなか勝つことが出来ない。ラスベガスでは常に新しいゲームが入れられてくる。

人間は抽象化能力が高い。総合的な判断ができる。AIは局所的。だからこそAIには価値判断のために大量のデータが必要となる。

人生は不完全ゲーム。”あの時あの選択をしていたら…ああ話せば、あの時動いていれば”それが一つ縁起の味になっていると想います。様々なポイントで探索木が分岐する。

完全情報ではないし、完全情報だとしたって計算なんてできない膨大さ。言葉をはじめ選択肢は無限大だから、モンテカルロ木探索のようにえいやと賭けて動きながらOODAしていかなければならない、静的でなく動的な思考身体性が人生では求められます。

私は「心のモデル」が幼稚な場面が多く、意思疎通に失敗したり、踏み出せなかった悔恨があったりすること結構あって。それでも、閉じこもるのでなく理解を開いて、PULLそしてPUSHの働きかけをしないと人生が詰んでしまうなと。

浅い合理性を超えて真の人間理解の為のヒトの鋒が抽象化であり転移学習なのだなと。と、同時に棋士がやっているようにAIがビッグデータを用いて分析した戦略から学んで人生という樹を登る援けにすることはありだなとも思いました。










by wavesll | 2018-11-08 01:37 | 小ネタ | Comments(0)

お前の”思考の”オールを任せるなー安田純平氏の日本記者クラブでの記者会見によせて

【ノーカット】安田純平氏 記者会見


シリア取材にて人質になっていたジャーナリスト・安田純平さんの日本記者クラブでの記者会見の全編動画をみました。

ネットでは右も左も様々な事をかまびすしく騒いでいたこの事件ですが、実際にこうして話を聴くと安田氏が非常に高い知能や気力がありながら、けれども「凡ミス」により拘束に至ってしまった。また拘束状況も時によりその負荷が変わっていったという事が伝わり、まだ記憶の前後の混乱は残るものの、概ね信頼できると感じたところでした。

今はこうして記者会見も生で全編Webでみれますから、良い時代ですね。Youtubeの実況コメントもみていなかったので、『誰かのコメント達の最大公約数』でない『自分の意見』をまず固められて。絶賛でも批難でもない、色眼鏡を外して安田さんをみることができました。

そしてそれは、まさに戦場へジャーナリストが行くことの理由へとも繋がる気がします。つまり、他国の色眼鏡、自国政府の色眼鏡でない一次情報を手に入れることが、いかに認知の領域で日本国民の判断能力を拡げられるかということ。他人の意見を鵜呑みにせずなるだけ自分で一次情報に当たって考えること。その為に他国の色眼鏡がかかった情報でなく自国のジャーナリストが死地へ入ることの重要さ。

事が戦争だと『国益』の面から情報は覆われることが多々あります。実際、権力側はこうした取材を苦々しく想うことがあるかもしれない。また日本人の傾向として、自分の持ち場を出て公共についてはとやかく言わないという性質もあるかもしれません。

けれども、誰しもが暮らすこの平和を生きることを営むためにもインテリジェンスは必要であって、有権者としてその価値判断を他人に委ねず、出来る限りは一次情報に近いところを識ることが大切であるとこの事件で再び感じました。

cf



by wavesll | 2018-11-03 06:37 | 小噺 | Comments(0)

BS1スペシャル 原爆投下 知られざる作戦を追う -人としての圧と縁。米政権と米軍部の知られざる攻防

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NHKBS1で昨夏放送されたBS1 スペシャル 原爆投下 知られざる作戦を追う

アメリカ合衆国民が信じる「原爆投下によってアメリカ兵の命を救うことをトルーマン大統領が決断した」という事象が、現実にはトルーマンは決断をできておらず軍部に押し切られる形で原爆投下は行われ、悔恨の念を述べてすらいたという複数の米国の歴史学者の研究が近年出ていていて、それについて番組制作班が取材した成果を放送するという内容。

この番組で原爆計画の実行者として名が示されたのがレスリー・グローブス。マンハッタン計画の責任者だった彼が亡くなる3ヶ月前に残した空軍士官学校に残したインタビューテープ。これを4ヶ月にわたる交渉の結果、取材班は外部として初めて取材することが出来ました。

グローブスはこう述べています。「トルーマン大統領は市民の上に原爆を落とすという軍の責任を止められなかった。いったん始めた計画を止められるわけがない」。

実際、1945年の暮れまでに17発の原爆の生産ラインができていて、1週間に一発落とし日本を壊滅させることも出来ました。

原爆投下時の合衆国大統領であったトルーマン。彼はフランクリン・ルーズヴェルト大統領の急逝により何の情報も知らずに副大統領になってから三ヶ月目で大統領に。
ルーズヴェルトの下で既にマンハッタン計画を進めていたグローブスが提出した24頁の報告書も読まず、原爆計画の詳細を知らずに計画の続行を許しました。
トルーマンは「戦争の情報が無く、外交の自信もなく、軍が自分をどうみているかも不安だ」と手記に認めています。

グローブスはマンハッタン計画に於いて科学者にはそれぞれの技術的なことだけ教え、異論を出さないように管理、上官にも同じように行い、原爆計画の情報を自分だけに集約していました。

1945年の原爆投下の2年前から軍の中では投下場所を検討。当初はトラック諸島に落とす計画。東京に落とすという案も。
その中でもグローブスは原爆の威力が隅々まで行き渡る都市に落とし、22億ドルの国家予算をかけたプロジェクトの結果を出さなければならないと、地理的な要因から京都に落とすことを主張します。

けれどもトルーマン直属の部下でグローブスの上官であるスティムソンは京都に2度訪れたことがあり、米国の戦争責任を考え、市民が暮らす都市の真中へ原爆を落とすことに強く反対。トルーマンも投下は軍事施設に限り、女性や子どもをターゲットにしないようにと述べます。

京都への投下を否定されたグローブスは広島を軍事都市だと主張、トルーマン政権に広島には一般市民はいないと思い込ませました。

そして原爆投下。その様の写真を見たトルーマンは「こんな破壊行為をした責任は大統領の私にある」と悔いを述べます。

けれどもグローブスの野望は止まりません。軍では落した爆弾の数が多ければ多いほど評価されます。「2発目以降は準備ができ次第投下せよ」と指示。トルーマンが広島の写真を見て半日後には長崎に投下が為されます。

トルーマンは「日本の女性や子ども達への慈悲の心は私にもある。人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」と述懐し、八月十日、トルーマン大統領はこれ以上の原爆投下を中止すると閣僚を集め発表。3発目の準備をしていたグローブスも大統領の決断には従うしかありませんでした。

このように内実では大統領の明確な決断が無いまま行われた原爆投下でしたが、トルーマンはその後原爆投下を正当化するために「多くのアメリカ兵の命を救うために落した」とラジオで発表。ラジオ演説の原稿において「命を救うために原爆を投下した」という物語を後付で考え、投下の責任者にとっての都合のいい理屈としました。


この番組、英字字幕をつけて海外にも発信するべき内容だなと思うと共に、個人的に感慨を持たされたのは、米国政権内部に京都へ訪れた人間がいなかったら、京都が原爆にって消失していた、そして広島のことを政権が知らなかったゆえに反対意見が出ず原爆投下が通ってしまったという事実。

国際関係、戦争という極限状況においても、極めて個人的な事柄が意思決定に大きな影響を与えるという事実。

例えば私自身も中国・韓国へ訪れ、彼の地の人の温かみや愉快さに触れたことで大きくイメージが向上したというか、ネットで増幅しがちな嫌悪感に対する身体的な実感を持てたと感じていて。

外国の要人や、将来要人になるかもしれない若い学生などの人材を日本に来てもらうことは日本にとって大きな資産となるのだと感じました。逆に実習生制度のような奴隷同然に扱うことで、負のイメージをもたらすことの損失も思わざるを得ませんでした。

人間関係は確かに「距離感」が大切になることも大きいですが、身近な接触を保つことのもたらすポジティヴな結果というか、昔鶴瓶が言っていた「縁は努力」という言葉を想って。

そして軍部はその組織理論から、自然と政権や平和意識とぶつかるアクションを行う構造的要因もあるのだというのは、例えば日本での財務省の動きが省益を求めるばかりに国益を害する事にも通じて。70年経ってもヒトという種や組織のメカニズムはそう変わらない、故に歴史から学ぶことはある。人間と人間の対話と対決によって世の中は動いているのだと、改めて感じることとなりました。

by wavesll | 2018-10-22 20:56 | 私信 | Comments(0)

AKIRA『アヤワスカ!』から、旅を超えて日常の輪を誕生日に想

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2018年10月18日、34才になりました。相変わらず日々をやっています。

TwitterのTimeLineで『アヤワスカ!』という本が今なら無料DLできるという情報を観て、ここ数日スマホのKindleで読んでいました。読み易いし、隙間時間に電子書籍はありですね。

アヤワスカ。今までに幾度か耳にしていたナチュラル・ドラッグの名。著者のAKIRA氏は東京での幻覚体験から導かれるままにペルー、エクアドル、ブラジルの山麗そして密林の奥に旅し、そこで麻薬を使った精神体験を得る。大雑把に纏めればそういう体験物語です。

読んでいて”これは昔(といっても十年前)の自分のベクトルの遥かに凄い版の人だな”と感じて。私自身もナスカやマチュピチュの現地に行ったことがあり、ペルー扁の記述はかなり立体的に読み込むことが出来て。繰り出される知識も例えばマクルーハンなんかは自分もメディア論を読んでいましたし、彼がみた幻覚の日の出ならぬ”地球の出”は、私自身が人生でいつか味わってみたい夢そのものでした。

文章のドライヴする感覚も、繰り広げられるデータ達(例えば超ひも理論)も、何だか他人が描いたものを読んでいるというよりは、マチュピチュに行ったのはもう7年前ですが、過去の自分がそのままのベクトルで長じて書いたものを読んでいるようなパラレルな感覚を味わう読書体験で。

と、共に”今の自分はあの頃から目指すものが変わったのかもしれない”とも想ったのでした。

先日、年下の友人から「kamomeさんはインプットは凄いしているのにアウトプットを全然していない、宝の持ち腐れにみえますよ」と言われて。自分はその時”Blogにおいて自分なりにI/Oをしているのだけれどな”と想いながらも「昔は『最高の麻薬のような変性意識をもたらすエンターテイメントを成したい』と想っていたけれど、今はスタンスが変わったんだ」と応えて。

それは出雲・神在祭旅での脳がサーッと焼き切れそうになる体験から、全精力をかけて(といいながら完全ノードラッグですが脳内麻薬で半ば躁りながら)書き上げた妄論が総スカンになったあげく暴論をまくし立て、当時の仲間からどっちらけになって、そして311を経て、自分の中で石舟斎を目指すというか、宙に浮かび上がらずも、水面下で小乗仏教的に日々自分に高まる刺激を与え、それを書き記せばそれでよい、となったというのもあるかもしれません。

道化師で壊れた状態から素になって、あまり人にも付き合わずに自分の内の濃さを上げて。結果として昔はほとんど女っ気ないというかデリカシーのない人間だったのに、今ではある程度”傾聴”とか意識するくらいは社会意識、コミュニケーション感度が持てるようになった気もします。

さて、そんな10年代を過ごした先の2018年の今に感じるのは”自分は旅を超えていかなければならないのかもしれない”ということでした。

旅は本当に愉しい。あらゆることが鮮烈に新奇に映り、異化作用が起きまくり精神が感応します。それはインナーチャイルドを呼び起こすことかもしれない。けれども、得てして「広くて浅い奴もGood Night」になってはしないか。

『アヤワスカ!』を読んでいて特に途中まで想っていたのは”このドライヴ感は確かに面白い。けれどもこの旅路の記述は普通にこの地を旅すれば比較的容易に得られる知見に留まっていて、俺が旅したのとそこまで変わらず掘り下げる深さに於いてどうも刺激を受ける水準にないかもしれない”というものでした。

次から次へと新しいものを浴びてどんどんどんどん世界を拡げることはワクワクするけれども、一つのルーティンというか、一所懸命に日常の中で突き詰めていくDigを行わなければ辿り着けない領域があるのではというのがこの十年間の私の課題で。

メディアの水面に近い浅いところで自分は遊びすぎているのではないか。本当の”独自性”は旅ではなくいつもにみえる日常でどれだけ”汲み取る、編集する、発する”を究めることから生まれるのではないか、と思うのです。神話的なマクロへの関心から、微視的な視点への興味関心を持ったのは様々な人(特に女性に顕著ですが)の感性に触れたことから得た知見かもしれません。

その上で『アヤワスカ!』の麻薬による精神の昂揚の旅はけれども、私が知っている南米の粋を超えてさらなる深部・高みに達して、最後の辺りは読んでいて知的興奮を得て。アヤワスカというナチュラル・ドラッグは一度でその全てを知れるわけでなく徐々に神秘の扉を開いて、適切なシャーマンの導きを以て体験を為すのだなと。インスタントにどんどんスワイプしていくのではない、掘り下げる研ぎ究めがあって幻覚への旅の記述には目を瞠る處がありました。

「旅」に於ける「浅瀬さ」を乗り越える術は、一つには土地との関係を湛えていくこと。与那国旅行での毎年島に来ている方や島で働くようになった方との出会いも大きな感銘を与えて呉れましたが、人との繋がりは確かに一過性を越えていく一つの指針になるかもしれません。そしてこの『アヤワスカ!』のように大きなテーマを以て旅を一貫させること、己で旅行をフリースタイルすることもやはり大きいなと。

旅は日常からの特異点ではあります。けれどもその上で、日常や旅を包括する人生において、マクロな刺激とミクロな刺激をシームレスに統べるDig =「工夫・改善・創新の探究」を行う糸口をみつけたい、そんな営為を過ごす一年の輪をまた始めたい。誕生日にこんなことを想いました。

by wavesll | 2018-10-18 04:39 | 書評 | Comments(0)

國分巧一郎『中動態の世界』 自由と意志のパースペクティヴをあらわしてくれる書

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國分巧一郎 著 『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読みました。

現代を生きる我々の言語は「する(能動態)」と「される(受動態)」というパースペクティヴに立っているけれど、古には能動態でも受動態でもない「中動態」があったという。本書は中動態に関する研究を掘り進めながら、「意志」とは何かという哲学的問いを顕としていきます。

さて、中動態。実は現在の「能動態←→受動態」という世界観になる前、能動態に対するのは中動態であり、中動態の一部の用法がその後に受動態を成していったそうです。

では「能動態←→中動態」というのはどういうパースペクティヴなのか。それは「動作が行為対象に働きかけることで完結する」のが「能動態」、「動作の働きが行為者自身に(利益であったり影響が)再帰する」のが「中動態」とのこと。「するかされるか」ではなく「内か外か」というパースペクティヴ。

そもそも動詞というものを探っていくと、その始まりは名詞からだったようです。「名詞的構文から動詞が生まれていった」という本書の言語考古学的な記述は「鳥は恐竜が進化したもの」という話くらい面白い。また現代の各国の印欧語族において「海」という言葉がそれぞれで異なること等から印欧語族の祖はウクライナや南ロシアのあたりだろうなんて話も面白かった。

古代世界に於いて問題となっていたのは「その出来事の存在」であり、「誰の意志か」はその後の変遷でフォーカスされていったもの。昔には日本語にもあったという中動態。今でもギリシャ語には中動態が残るそうですが、英語などでは中動態は受動態に母屋を取られてしまっています。けれども、「意志」というものを哲学者達は考察し、時に批判を行ってきたのでした。

本書の後半はハンナ・アーレント、フーコー、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザなどの論を中動態という切り口で解説していきます。

例えばアレントはアリストテレスが唱えたプロアイレシスという概念はリベルム・アルビトリウムと同じく「選択」の行為であり、それは「意志」ではない、意志とは過去の事象から何の影響もなく全く新しく始められる事柄である、と定義します。

けれどもこの世界に生きる上で何にも影響を受けずに何かを行うことは不可能であるといえます。我々の行為は過去からの帰結ー選択である。

では例えば「銃で脅されて金を渡す」ことは自由意志による自発的な選択といえるでしょうか?確かに無理やり物理的な暴力を奮われて奪われたわけではありません。けれどもフーコーの考えを照らせば相手に「権力」を行使されての「仕方なく」の行為である。こうした能動とも受動とも言い切れない行為を中動態という概念は鮮やかに描写できると國分さんは言います。

私が本書でもっとも膝を打ったのはこの部分で。私は鬱をやった時に「みな自分自身の人生の選択は、全てを勘案した上で、最もやりたいことをやりたいようにやった結果なのだ」と思いついたことから反転攻勢にでたことがあって。

これは例えばアドラー心理学などを読んでも似たようなことが書かれていて、嫌われてもやりたいことをやるのが好いというようなことなんだななんて想っていたのですが、実社会に於いて「仕方なく行っている行為」は確かに存在するし、その事情を切り捨てるのは確かに乱暴な、それこそ暴力的な思考だなと。

最終章で「人は気質(身体)、人生(感情)、社会(歴史)ゆえに思うように行動できない」という話が出てきますが、全てのことに行為者/意志/責任の明確化が尋問される現代のパースペクティヴから中動態という概念はすこし頸木を外してくれる力があるなと想いました。その上で、純粋な能動がありえないにしても、明晰な認識を行うことによって受動から抜け出すことが出来、強制から自由になれるとスピノザを引いて國分さんは語ります。

本書において感心したのは「中動態」ということを魔法のように神秘的には扱わず、あくまで実際的に解説を行ったこと。その上で中動態という大きな切り口に沿って一貫した論が展開されるために、様々な哲学者の論が引用されてもぎこちなさを感じさせずにまとめられていました。

まだハイデッガー、ドゥルーズ、特にスピノザの辺りは理解が十全とは出来なく、今後の課題ですが、いつかこうした大家の思想にもがっつりと取り組んでみたくなるような、哲学へのいざないともなる読書体験となりました。

by wavesll | 2018-10-11 19:41 | 書評 | Comments(0)

特別展「昆虫」@科博にて翠虹の蛾や蟻との共生生物などに魅了される

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科博の昆虫展にラス日に滑り込み、夥しいインセクト達を写真にぱしゃりしてきました。今回は数多の画像でフォトレポートです。上のはベストバタフライだったニシキオオツバメガ。生物的には蝶と蛾の違いってないらしいです。
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やー、改めて見ると腐海のようになってしもうたw 写真も緩い、流れの中でも綺麗に撮れるように技を磨きたいw

昆虫は甲殻類に近いだとか、クロアリはハチの仲間だけどシロアリはゴキブリの仲間だとか、標本を視るだけでなく昆虫のメカニズムがとてもわかる展覧会にわくわくさせられて。

そして会場は親子連れの海!お子様達のパワーに驚くと共に、親と子という関係性が人を大人にさせるのかもなぁなんて想ったり。

人間という生物が共同生活を行う上で、僅かな差異がその人の独自性としてロールを形づくり、それが多重フィードバックして人格をつくるというか。人間とはよく言ったもので、人の間で人間なんだなぁと。

自分は様々な集団に属して、最初に思い描いていた方向はトップに立てないから他との搦手で歩んできたところが大きいなぁと。それでもWebに何かを書くこと自体はもう十年以上やっているから、本当に性に合っているのでしょうね。一種のベルーフなのやも。

お土産コーナーのジャポニカ学習帳パロまで十二分に愉しませてくれた昆虫展。 図らずも人の生態についても考えさせられた特異な体験となりました。

by wavesll | 2018-10-09 21:49 | 展覧会 | Comments(0)

界隈の外へ広めようとするなら



ボルダリングジムに入会してしまいました。ルビコン川を渡ったwプールが閉まる時期に締まった躰を目指したし。腕とか太くなったら嬉しいなぁ。

今まで中学の卓球部は別として、取り組んだスポーツは大学時代のサイクリングとマラソン位だったのですが、ボルダリングは個人競技とはいえ今までと比べると技術的な要素が大きいスポーツらしいスポーツで。

ホットヨガをちょろっとやった時も待機時間にスゴイ体勢でポージングしている人がいて”仙人だ”と想ったものですが、ボルダリングジムの練達者の人の動きなんかはスパイダーマンというか、カミ。これで全国レベル、世界レベルになったら界王神レベルかと。

そう想ってNHKBSで放送された世界ユース選手権をみたのですが、一撃で決める様は超人過ぎてもはやショウとしてみてしまうレベルでした。

スポーツは自分の身体そのものが本質となるから、その制約が面白いなと想います。それから比べると言語の表現と言うのはすぐ簡単に「K2を3秒で駆け上がった」とか書けてしまう。言葉はヴァーチャルであるから、薄っぺらにならないかは文章にいかに身体性を入れられるかなのだなぁと。

またショウとして楽しませるレベルのパフォーマンスでなく全然でも、自分の身体を動かせば脳内物質が出るから全然楽しいという。ボルダリングジムの中にもコミュニケーションはあるけれど、他者と比べるというより自分自身の過去のパフォーマンスと比べて向上を愉しむ視点が持てるとぐんぐん楽しめそうな気がしました。

先程言語は物理と比べていかようにも楽に表現できる(故に差別化に別軸の工夫がないと面白くない)と書きましたが、プレイヤーでなく何かの鑑賞レビューなんかはさらに”執筆における抵抗・摩擦”が無いゆえに差別化しようとして捩子くれるパターンって結構あるなぁと想ったのでした。

プロの批評レベルに、基礎知識や関連情報のエヴィデンスで積み上げるというのが王道の方法だけれども、鑑賞者として差別化しようとした時に自分がやってしまいがちだったのは”どんどんコアなもの、レアなものをDigる道”だったなぁと。レッドオーシャンで勝負するのではなくブルーオーシャンを求めて海を渡り続けたというか。

勿論、新雪のパウダースノーほど滑っていて気持ちいいものはないですが、別視点で”その文化を伝道する”みたいな目線でみると、これは相当留意しないとうまくいかないものだなぁと想います。

オタク的な人がやってしまいがちなのは、趣味仲間を増やしたいんだけれど、ついその文化の一番濃厚なところをそれも夥しく出してその千尋の谷から這い上がった獅子の赤子をトライブに入れたい、みたいなタイプで。

でも、例えば自分はボルダリングはあくまでレジャーというか、スポーツとしてガチで極める気には今はなっていないし、運動音痴なだけど楽しみながら筋トレみたいにできたらいいなぁくらいの人間で。初心者の前の部外者は大抵そういうライト層なものではと。

そんな自分も「展覧会にデート目的で来る奴は本当の美術好きじゃない」とか想っちゃったりするので、コアな人からはライト層はそりゃ軽く捉えられることもあるかもなぁと。

でももしある人が自分が好きなものの良さを”わかってない人”に伝えようと想ったら。初心者への目線を忘れているとフレッシュマンが入らずにシーンが先細っていくこともあるのかもなぁと想います。

勿論ガチコアだけで回っていけたらそれは幸福なことだと想いますが。最初はデートの為でもいいじゃないかとw桜木花道だって最初は春子さん目当てだったしw

何かを好きになる気持ちが芽生えるって、念能力の会得にも構造が似ているかもしれないと想ったりします。

強い念攻撃の洗礼を受け、ダメージを追いながらも急激に目覚めることはあるけれど、基本は自分のオーラの流れを意識することから初めて修業の中時間をかけて開花させていくことが王道で。

自分の場合もボルダリングは前からメディアを通して興味が湧いてて、その上で身近な人が始めて誘われて、一度ビジターでやってみて、そこからちょっと間が開いてから二度目でビジターがなくて”じゃあ会員登録します”と。単純接触効果というか、幾度もアクションを重ねられて自分でも行動に繋がって。

鴎庵で音楽を紹介したり展覧会レポで「おすすめです」とか書いていますが、私自身はそれ一撃でリスニング・鑑賞まで行くとは想っていなくて、そこに繋がるまでの100の働きかけの一つになれたら嬉しいなぁという想いです。基本情報に欠ける記事になりがちなのはアレですが、それこそ今はサーチしようと思ったら幾らでも惚れますからね。

そういった意味では文章における身体性、筆力と言うのは、一つには記述の精確性と実在感をいかに与えるかというところなのかもしれません。それが”内容”というか。妄想を書くにしても、いかに伝わるように書くか、鴎庵を始めてもう十数年経ちますが、未だに筆力はまだまだ。ラップトップの鍵盤を弾く腕をほんのちょっとでも上げていきたいなぁと希を述べて拙文を終わります。

by wavesll | 2018-09-09 05:04 | 小噺 | Comments(0)

誰もが”伝えたい欲”が大きいわけではない



私はべらべらべらべら喋る人間で、話し出したら止まらないタイプで"みな話したいことは勝手に話すし、話さないという事は話したくないことなのだろう"なんて勘違いをついしてしまったりするのですが、身近な人から言われた「何でちゃんと質問して会話を促さないのか」とか「したい話しかしないんだな」が心に残って。

想うに私は”伝えたい欲”が大きすぎるのかもしれません。多くの人は相手の反応が芳しくない時は更に押すのではなく、身を引く。わざわざ無理に推す労苦はしない。ここが差異なのだと。Webにものを書くのも今でこそTwitterなんかで反応が返ってきたりしますが昔は何の反応もなくても発信し続けたのは”これを伝えたい”という焔があったからだと想うのです。

ただあまりにも「聴いてくれ」の圧が強いと逆効果と言うか、軽んじられる事ってあるよなとも想います。短く飄々とした格好良さ、語り過ぎない潔さや余白の方が結果も出るなと。自分はもっと引き込む/惹き込む術を学びたいと思いつつも、伝えたい煩悩が未だに燃えて。もっと上手くやれればなぁ…と想う次第。

人に”これを話したい”の意欲は人によって異なって。確実に相手に響くクオリティでないと話すOKラインを越えなく瑣末なことは語らない人も多いし、逆にいくら伝えたいからって相手の反応を無視したゴリ押しは寧ろ避けられる原因。そして自分が聴く側に回った時に相手のプレゼンを上手く回転させるリアクションをするのは礼儀の面でもコミュニケーションとしても健全な努めなのだなぁと。気を緩めるとベラベラ話してしまう私には傾聴は未だに大きな課題で。

上手くBlog等のPull型非同期メディアを活かせたらと想うと共に、そういう形でアクセスしやすく情報をOutputしてくれる方には同志と言うか、有難いサーヴィスをしてくれていると想います。話をする人より話を聴いてくれる人が重んじられる世ですが、ROMより語り手の方が私は好きです。まぁ、是はポジション故かもしれませんが。

傾向として個人よりメディアとかの方が”伝えたい欲”が大きいので、ラフに扱えると言っては語弊がありますが、基本的に言及することがポジ反応となるから取り扱いやすく、逆にアマチュアの方々の方が情報の取り扱いはシビアになる印象です。

その上で、一次情報に当たろうと想ったら幾ら面倒なことがあっても個人個人とのコミュニケーション醸成が求められるし、TVクルーの横暴の話をみると、”伝えたいんだろう?これくらい当たり前にいいだろう、広まるんだから”という傍若無人さがあるなと。相手の尊厳を大切にする姿勢を失っては餓鬼畜生の身に自ら堕ちますね。みながみなそんなにも”伝えたい・広めたい”と想っているわけではないことを認識しなければいけないなと。誰もが規模拡大のインフレーションを目指しているわけではない。

また旧友に「最近は得意な分野で勝負しているというか、自分の土俵を出なくなったなぁ」と話したとき「他人の土俵に出ていく姿勢が良かったんだけどな」と言われて。確かに己の小さいお山の大将なグルになっては傍目からみてつまらないし、例え下手で恥をさらしても相手の土俵へ出ていくこと、恥をかけるのは強みでもあるのだなぁと想います。

と、同時に外部の方を惹き込みたい側に回ったら、最大限相手に恥を感じさせない配慮がいるのだなと想います。コアな沼へ惹き込むときに千尋の谷に突き落とすとコミュニティーの濃度を保つことはできるけれど、すべての分野はマニアが潰すというし、フレッシュマンを惹き込む遊びがないと蛸壺だなと。

とはいえ、私的なコミュニティはそれこそ広まって”バカにみつかる”事態は避けたいだろうし、私自身も”本当にそれを希求する人”が楽しめなくなるくらいBusyになるのはいかんなぁと想います。メディア的な活動の誠実さとは何かという問いは常に思いながら試行錯誤していくことが大切だなと、今想う處です。

by wavesll | 2018-09-01 09:33 | 小噺 | Comments(0)

ボルダリング触発想念徒然

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初めてボルダリングをやりました。傾斜がつくと難易度ガチ上がり。何気に開始の石での姿勢維持が難しい。アトラクションでなく継続して向上していく活動といった感じ。夏のプール以外のスポーツ・レクリエーションをみつけられ大収穫。他人を気にせずに勝手に鍛練できる個人競技なのが性にあってて。で、今日は筋肉痛でしたw握力の消耗も半端ないw

此処の処「プレイヤー」と「鑑賞者」のことを考えていて。スポーツをやるというのはまさにプレイヤーになることですね。

運動やってる輩の輩振りには辟易させられることがしばしばあるのですが、自分で運動やると“そうか、自分が主体なのと肉体疲労+脳内物質分泌で自分の目的以外の事がどうでも良くなるのかもしれん”と。仕事で精神疲労すると重い作品とかより軽いポップを求めたりしますが、他者に構う気持ちが薄くなると共に自己肯定感が増進するのだなと。

文化系にしても自分で創作している人は己に関するところのみを集中しているというか、鑑賞・批評的な人の方が“社会的正しさ”とかに拘泥する印象があって。「挑戦している人には批判する時間はないし、批判している人には挑戦する時間はない」というのはある程度当たっているところもあるなぁと。

私自身はヲタな側の人間なので、双方の感覚を知るとどうにもどっちつかずな蝙蝠な心持ちになります。

最近Instagramにアカウントだけつくって漠然と眺めているのですが、あの空間もプレイヤー的と言うか、顔出してガンガン陽るく第一運動している人が多くて、相対的にTwitterの場ってネガティヴさとかポリコレ棍棒な空気が溜まっているなと想ったり。

“何てセンスが粗いんだ”と言う側に身を浸せば、対岸は“何故そんなにセンシティヴなのだ”となって。そして「双方を知ればいい」とつい言いそうになりますが、総花的にリソースを分割すると一点に突き抜ける者には勝てないというのも人生で学んだことで、ポートフォリオを雑に薦められる立場にはないのも現状です。どの念能力を伸ばすのもストラテジーで。

ただ、日本ではあまりにも社会的な論議の情報が薄く、そうした言論の流布・討議の場としてTwitterは機能していたりするなとは想ったりします。例えば「鰻を食べることは現状問題がある」みたいな話はTwitterだと大勢を占める意見となっていますが、TVのみを視聴してそうな人には「そもそも問題自体ないでしょ、しゃらくさい」と一笑に付されることもしばしば。問題を意識した上で露悪的になるとか以前な状況で。

ドイツ人が「日本人はそんなに仕事をして家族と過ごしたり社会のことを考える時間はあるのかい」と言ったというような噺がありますが、日本の場合は労働の強度が高すぎる故に社会的な意識が削られているというか。なんでも“我慢”も有限資産なのだそうです。物理的でないものでも“減るものじゃなし”ではなく、減るのだそう。ヤポネシアの人は色々我慢しすぎて自制心が壊れてた結果、痴漢もするし鰻も食べるし差別上等になってるのかもしれません。南米とかで”これでも社会が回るのか”というカルチャーショックを浴びるのも一手かもしれませんね。

そうした意味で、TwitterやらSNSをやれている層はある程度の余裕が生活に在る層なのかもしれません。日本のハードな労道社会状況だとWebでアウトプットするのもリスクもあるし、子どもがいたりしたらそれこそ眼前の状況に注力しないと回らないし。

古い友と会った際「まだブログやってんのw?」と言われることがあります。彼等は仕事で自己実現度合いが高いのかもしれないし、私は子どももいなく暇というのもあるのでしょう。誰に需要があるか謎に読書感想文を自主的にあげる始末w ただ下手だとしても、好きなのだなぁと。R.バックにとっての飛行機のような愛するコトとしてWebに文章を綴る生活習慣があるのだなと想います。ここら辺は”なんでそんなWebを大事に思うのw?”とか理解されづらい處ではありますが。

自分自身がWebに文章をボトルメールのように投げるのは、感覚が刺さってくれる受容体のある人がフェイス2フェイスでは見付けづらかったのもあるかもしれません。オタクは人間とでなく話題と会話しているなんて揶揄もありますがやっぱり内容のあるコミュニケーションが好きで。またこうして勝手に音楽や本の感想をUpしている人間ですが、学生時代は読書感想文などは嫌いで。今でも他者の評価に曝される文を書く時は強張ってしまいますが、センスの合わない教師の評価を受けるために文を書くのも本を読むのも無価値に想え、渋々芥川の『鼻』とか『蜘蛛の糸』とか極薄の奴で書いたものでした。

昔は「俺の文章全然反応が返ってこない」なんて懊悩がありました。ただこのBlogも十年を超え、過去の自分の文章が他者の文章のような距離感で読めるようになると己の文章の問題点がみえてきて。端的に言って一人よがり。基本情報が足りえていないので分かっている人しか分からず、そして分かっている人にはクオリティの掘り下げが物足りない半端な代物であるということ。未だにこの課題が私の文章では解消されていないなぁと。インスタントな文章より推敲を積み重ねて長く読まれる記事に仕上げるのも一策なのかもしれないと想ったりしています。

と、こんな感じでつらつら想念が湧き出でたのでした。最近はすっかり付き合いが悪い人間になっていたのですが、誘いに応じて自分の土俵から出て新体験をし身体と脳が活性化したのか、旅の夜のような異化体験が起きて。縁を大事にするという意味だけでなく、他者の企画に乗るのは世界次元を拡げてくれるなぁと。

行きたいライヴや展覧会、旅が多過ぎて“自分は他者の声を聴くのは好きだし尊重してる”と思っていても、それは”自分が大きな関心を寄せる対象”に限られていたのかもと。身近な人からは“あいつは好きなものは好きだけど大好きじゃないものは一顧だにしない”とか思われてたりする恐れもあるかもと。

下手にWebでヴォランタリーに情報発信していると、ついつい「面白い噺をなるだけこちらに負荷かけずにFreeに発信して呉れよ」とか思ってしまい、こりゃブラック企業な発想だなと(苦笑 Tweetで発信してくれるサービス精神ある人ばかりでもないし、顔を突き合わせないとアイスブレイクしない、或いは適切な会話のキャッチボールからでないと噺が零れない人の方が多いですものね。

昔は文章を読まれても何の反応もないことに「搾取されてる」みたいな頓珍漢な怒りを覚えたこともありましたが、相手の時間と気力をコストとして払わせてしまっていたよなぁと今は想います。みなそれぞれ辛苦了しながらやってるのだと。頼まれてもいないのにネタを披露しておいて「ネタつくる苦労も分かってくれよ」はお門違いな主張ですね。その上で個人的な我儘でTwitterのフォローはなるだけネタを発信してくれている方に限ったり、できるだけちゃんと読みたい故にフォロー数を絞ったりさせて頂いて。ROMの人がなるだけ視界に入らないようにしています。尊厳をダンピングしないのは肝要で。

他者発の企画に乗るというJUMPもそうですし、ヒトの文章を読むこともそうですが、自分にない領域を始めるにはMPの消費があって。そしてボルダリングなんかはHPの消費もある。スピード、己のスピードでやれることが最もrelaxできることで、B'zの稲葉さんでなくても自分のスピードでやれないとすぐに潰れてしまうものだなぁと。

そして自分のスピードを大事にするように他者のスピードも大事にしたい。ビジネスでなくプライベートはせめてそうしたい。そうした時に、非同期なコミュニケーションとしてのWebの在り様はまだまだ究めるValueがあるなぁと想った處でした。

by wavesll | 2018-07-27 03:33 | 私信 | Comments(0)