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おもしろ同人誌バザール大崎に寄立ち寄ってきた

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熱射のコミケは避けて夕方に大崎駅南口で開催のおもしろ同人誌バザールへ。

ここは評論がメインの即売会で、イラン旅行記や異世界的海外写真集や今は無き桜丘町の写真集、馬琴本、伊豆謎スポット本、電気風呂評論など好みな本たちに色めきました。

イランの鏡のモスクがシャー・チェラーグ廟の他に小さいけど撮影OKなアリー・エブネ・ハムゼ聖廟なんてのがあるなんて知れて大収穫だったなぁ◎同人誌の為に万冊を飛ばす人の気持ちがわかりました。

by wavesll | 2019-08-11 21:58 | 街角 | Comments(0)

己のコンプレックスを認識し、少しでもマシな自由を目指す 100分de名著『河合隼雄SP』、『生きがいについて』、『エチカ』を視て

ここ数日、録りためていたEテレの100分de名著を立て続けに見ていて。

『河合隼雄スペシャル』神谷美恵子『生きがいについて』、そしてスピノザ『エチカ』の回をみて。最後の『エチカ』はゲストの國分巧一郎さんの著書『中動態の世界』についての副読本にもなってくれました。

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さて、河合隼雄はユング心理学を学び実践的な心療治療を行った人物で、西洋人と日本人の心のありようの違いに関心を寄せた人でもありました。

ユング心理学の重要な観点の一つに心を痛めた人を救うには「How」でなく「Why」を掘り下げていくことが必要という考えがあります。物理的・科学的、あるいは病理的な解決法の提案ではなく、「何故、どうして」を突き詰めていくこと。それによって精神の調和を取り戻せるという考え方。

そして心の柔らかいところに「コンプレックス」というものがあって。ユング心理学ではコンプレックスを無意識の中にある複合結節心理というような捉え方をします。何かに苛立ち、引っ掛かりがあるとき、それは意識できるものでなく無意識のコンプレックスによって引き起こされていることがある、と。

そして人は自分のコンプレックスを意識することから自己防衛するために、外部にそれを投影することがあります。つまりいらだってムカつく相手の特徴こそが、自らのコンプレックスであるかもしれない、ということ。そして逆にそのムカつく事象が自分の問題であると認識し引き戻せれば、コンプレックスを解消することができると河合は述べます。

また河合は夢に出てくるイメージは、個人の無意識や普遍的な無意識(集合無意識)が表れることがある、と。特にアニマ(男性の中の女性)やアニムス(女性の中の男性)やグレートマザー(太母)や影(自分の中の受け入れたくない側面)を例示して語ります。

この後、番組は一種の普遍的無意識の反映としてか、昔話・神話から日本人の中空的な精神構造・無の円環構造へ話が進んで行くのですが、このコンプレックスとアニマの話がいやに刺さって。

私自身がムカついている、あるいはとらわれているモノはなんだろう?と考えたときに、「普通」であったり「筋力・仕事力といった分かりやすい男性性」にあって。これは大学時代からこっちどうにもしょうもないものとして自分が社会の辺境で過ごしているというのもあったというか、集団の中での立場に置いてストレートど真ん中にいれなかったというトラウマがあったり、あるいは「面白い」に関してのディスコミュニケーションがあったからだと思って。

そうしたことからの「普通・まとも」への憎悪にも似た感情、あるいは「お前らまるで面白くないじゃないか」といういじけは、同時に「分かりやすく立派な男性像」へのコンプレックスなのではないか。そんな感想を番組をみて得ていて。

そして、私自身は自分を仕事人でなく趣味人であると想っていて、いわゆる「生きがい」という言葉にも一種のコンプレックスの裾野が触れていたのですが、神谷美恵子『生きがいについて』の回では「生きがいブーム」をもたらした本書では「生きがい」は単なる労働というより「生存理由」とでもいうようなより深く広い思想だと知って。

神谷さんはこの本をハンセン病の療養所での職務の中から着想し、生の歓びが尋常でなく損なわれた状態でも、生きがいというものは種を土の中に宿していて、「待つ」ことによって、芽吹くことがあると。たとえ愛する人を失って身を切られるような思いになっても、そんなにも人を愛せたことは輝かしく、悲しみは一つの視点からは豊かであると。

そして生きがいを考え抜くことは、宗教以前の精神的宗教へ辿り着くというか、自然から、そして体験から結晶化した叡智の輝かしさ。何かを愛し、自己中心的な思考から抜け出すことで、生存理由はさらに輝いていくと。苦しみから生まれる喜びについて語られます。

私自身が生きがいを今まで何に感じたか思いを馳せ「世界を理解することかな」と想っていたところに神谷さんがハンセン病の患者さんの詩をひき「理解するでなく味わうことが大事」と言っていて、やっぱり身体的な智は重要だよなと。その意味で例えば麻薬の快楽で「生きがい感」が更新されてしまうのは非常に貧しい行為であろう、などとも考えました。

そして最後に大いに力を与えてくれた書がスピノザの『エチカ』。

最初に語られるスピノザの「汎神論」、すなわち宇宙全体、自然そのものが神であり、全ての事物に神が在るという思想は、非常に共感する思想で(アインシュタインも共感したそうです)。これは話せる人物が現れたぞと。

先の「生きがい」ともリンクするように想えたのは、スピノザは「善悪」というものを「力=活動能力が増大するか、減少するか」と定義していて。喜びを与えて活動能力を増やしてくれるものは善、その逆に悲しみで活動能力を減らすものは悪、と。そして本性にのっとって活動能力を発揮したいという衝動を欲望と言い、欲望に対してフラットな立場であるのも、非常にプラグマティックなように感じて。

人々は個々人で本性が異なり、あるがままに本性からの活動ができていれば自由、そうでなく外部から行動を強制されることを不自由とスピノザは定義し、人は完全に自由になることは出来ないが、自分が何によって動かされているのか、今持っているのはどのような感情なのかを認識することなどで、少しでも自由な度合いを増していくことが大切だと説きます。

そして真理というものは体感するもので、誰かから説得されるものではない、自分がレベルアップして認識を体験するものだと。ここら辺は『生きがいについて』の「待つ」にも通じるなと想いました。番組中では伊集院が「小津安二郎の映画を40を超えて”そうだったのか!”と気付く」という例を出していましたが、私も経験を重ねてゴダールの『気狂いピエロ』が得心がいったので、気持ちが少しわかったり。

自分が自分であるための力、場を意識しながら、活動能力を伸ばしていく喜び、そして時に待つことも大事。これを鬱だったり絶望していない平常時の姿勢、そして苦難にあるときは『生きがいについて』の姿勢を想いだして。そしてより自由であるためには、コンプレックスをも認識しながら、”自分はなぜこのような思いに駆られているのか”を客観する努めをする。そしてそれには身体的な智が重要である。この3人は同じゴールに様々な道筋で辿り着こうとしているのではないか、そんな視聴体験となりました。

by wavesll | 2019-06-27 21:52 | 私信 | Comments(0)

旧江戸川乱歩邸@立教大学

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立教大学に在る江戸川乱歩の邸宅へいってきました。玄関では乱歩が作ったトリック分類表などが張り出され、邸宅の敷地には土蔵も。土蔵は書庫として使われていましたが、”江戸川乱歩邸の土蔵”となると何か猟奇的な事件が起きてそうw水曜・金曜に公開だそうです。
by wavesll | 2019-05-22 12:20 | 街角 | Comments(0)

マニアフェスタに行ってきた!

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タカアシガニをディジュリドゥにしてるという驚異の謎映像をTwitterで見掛けて”こりゃ面白そうだぞ”と3331で開かれているマニアフェスタに日曜日に行ってきました。

タカアシガニディジュリドゥは土曜日のオープニングアクトでやっていなかったのですが、コミケの評論島オンリーみたいな最高にピンポイントな即売会でかなり楽しめました。

仏像ピクトの人が小物を売って居たり、電気風呂レヴューでは都内の電気風呂が入り方とともに網羅的に紹介、シャッターオンリーの写真集はグルスキーのようだし碁盤でミッシェルガンエレファントといい歩行者の標識のサコッシュといいバリかっこええ。花札マニアさんのブースでは千と千尋の神隠し花札もみれたりテトラポットぬいぐるみは乾いたバージョンと濡れバージョンも。タモリ倶楽部にもでたというマンボウマニアの方や、鉄道マニアの人には切符を切る鋏でチケット切ってもらったりwゴムホースマニアの人のクリアファイルも良かったなぁ。etcetc超楽しめました。

お話を聞かせていただいたケバブマニアの方の話だと、秋葉原のスターケバブはソース無しでも美味いというトルコ本式の味でレベル高いらしい。確かにトルコ旅行で食べた🥙にはソースかかってなかった。今度アキバに行った時喰ってみたい。

また食べ物系だとケバブマニアの隣のブースのみはしのあんみつマニアの方との話も面白くて。店舗ごとの限定トッピングやメニューに載ってない裏トッピングなど奥が深い。今度パルコヤとかで食べてみようかな、みはしのあんみつ。

マニアフェスタで購入したのがミクロネシア連邦の日本人だけが泊まれる小さな島ジープ島への旅行記と、東京で食べれるサイババの教やユダヤ教などの宗教飯ZINE。ジープ島で海に潜ると零戦が沈んでいるのだとか◎また著者さんは他にも数々の離島に行かれている方で、 南大東はそこまで飛行機で行っても北大東との連絡船でクレーンによる上陸の醍醐味を味わえるという特ダネも得られて。宗教飯の方は数々の秘密結社にも入って飯取材をされてられる方で、ZINEにはインドにあるシーク教やジャイナ教の聖地、アムリトサルのゴールデンテンプルやシャトルンジャヤ山、ギルナール山、ソムナート、ラナクプルなども書いてあってかなり良かったです。

こういうイヴェントに参加すると自分でもZINEが作りたくなりますね◎鴎庵の記事を編んでさらに深堀して面白いやつとかつくって私もZINEデヴュー目指そうかな◎

by wavesll | 2019-02-19 01:45 | 小ネタ | Comments(0)

AKIRA『アヤワスカ!』から、旅を超えて日常の輪を誕生日に想

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2018年10月18日、34才になりました。相変わらず日々をやっています。

TwitterのTimeLineで『アヤワスカ!』という本が今なら無料DLできるという情報を観て、ここ数日スマホのKindleで読んでいました。読み易いし、隙間時間に電子書籍はありですね。

アヤワスカ。今までに幾度か耳にしていたナチュラル・ドラッグの名。著者のAKIRA氏は東京での幻覚体験から導かれるままにペルー、エクアドル、ブラジルの山麗そして密林の奥に旅し、そこで麻薬を使った精神体験を得る。大雑把に纏めればそういう体験物語です。

読んでいて”これは昔(といっても十年前)の自分のベクトルの遥かに凄い版の人だな”と感じて。私自身もナスカやマチュピチュの現地に行ったことがあり、ペルー扁の記述はかなり立体的に読み込むことが出来て。繰り出される知識も例えばマクルーハンなんかは自分もメディア論を読んでいましたし、彼がみた幻覚の日の出ならぬ”地球の出”は、私自身が人生でいつか味わってみたい夢そのものでした。

文章のドライヴする感覚も、繰り広げられるデータ達(例えば超ひも理論)も、何だか他人が描いたものを読んでいるというよりは、マチュピチュに行ったのはもう7年前ですが、過去の自分がそのままのベクトルで長じて書いたものを読んでいるようなパラレルな感覚を味わう読書体験で。

と、共に”今の自分はあの頃から目指すものが変わったのかもしれない”とも想ったのでした。

先日、年下の友人から「kamomeさんはインプットは凄いしているのにアウトプットを全然していない、宝の持ち腐れにみえますよ」と言われて。自分はその時”Blogにおいて自分なりにI/Oをしているのだけれどな”と想いながらも「昔は『最高の麻薬のような変性意識をもたらすエンターテイメントを成したい』と想っていたけれど、今はスタンスが変わったんだ」と応えて。

それは出雲・神在祭旅での脳がサーッと焼き切れそうになる体験から、全精力をかけて(といいながら完全ノードラッグですが脳内麻薬で半ば躁りながら)書き上げた妄論が総スカンになったあげく暴論をまくし立て、当時の仲間からどっちらけになって、そして311を経て、自分の中で石舟斎を目指すというか、宙に浮かび上がらずも、水面下で小乗仏教的に日々自分に高まる刺激を与え、それを書き記せばそれでよい、となったというのもあるかもしれません。

道化師で壊れた状態から素になって、あまり人にも付き合わずに自分の内の濃さを上げて。結果として昔はほとんど女っ気ないというかデリカシーのない人間だったのに、今ではある程度”傾聴”とか意識するくらいは社会意識、コミュニケーション感度が持てるようになった気もします。

さて、そんな10年代を過ごした先の2018年の今に感じるのは”自分は旅を超えていかなければならないのかもしれない”ということでした。

旅は本当に愉しい。あらゆることが鮮烈に新奇に映り、異化作用が起きまくり精神が感応します。それはインナーチャイルドを呼び起こすことかもしれない。けれども、得てして「広くて浅い奴もGood Night」になってはしないか。

『アヤワスカ!』を読んでいて特に途中まで想っていたのは”このドライヴ感は確かに面白い。けれどもこの旅路の記述は普通にこの地を旅すれば比較的容易に得られる知見に留まっていて、俺が旅したのとそこまで変わらず掘り下げる深さに於いてどうも刺激を受ける水準にないかもしれない”というものでした。

次から次へと新しいものを浴びてどんどんどんどん世界を拡げることはワクワクするけれども、一つのルーティンというか、一所懸命に日常の中で突き詰めていくDigを行わなければ辿り着けない領域があるのではというのがこの十年間の私の課題で。

メディアの水面に近い浅いところで自分は遊びすぎているのではないか。本当の”独自性”は旅ではなくいつもにみえる日常でどれだけ”汲み取る、編集する、発する”を究めることから生まれるのではないか、と思うのです。神話的なマクロへの関心から、微視的な視点への興味関心を持ったのは様々な人(特に女性に顕著ですが)の感性に触れたことから得た知見かもしれません。

その上で『アヤワスカ!』の麻薬による精神の昂揚の旅はけれども、私が知っている南米の粋を超えてさらなる深部・高みに達して、最後の辺りは読んでいて知的興奮を得て。アヤワスカというナチュラル・ドラッグは一度でその全てを知れるわけでなく徐々に神秘の扉を開いて、適切なシャーマンの導きを以て体験を為すのだなと。インスタントにどんどんスワイプしていくのではない、掘り下げる研ぎ究めがあって幻覚への旅の記述には目を瞠る處がありました。

「旅」に於ける「浅瀬さ」を乗り越える術は、一つには土地との関係を湛えていくこと。与那国旅行での毎年島に来ている方や島で働くようになった方との出会いも大きな感銘を与えて呉れましたが、人との繋がりは確かに一過性を越えていく一つの指針になるかもしれません。そしてこの『アヤワスカ!』のように大きなテーマを以て旅を一貫させること、己で旅行をフリースタイルすることもやはり大きいなと。

旅は日常からの特異点ではあります。けれどもその上で、日常や旅を包括する人生において、マクロな刺激とミクロな刺激をシームレスに統べるDig =「工夫・改善・創新の探究」を行う糸口をみつけたい、そんな営為を過ごす一年の輪をまた始めたい。誕生日にこんなことを想いました。

by wavesll | 2018-10-18 04:39 | 書評 | Comments(0)

國分巧一郎『中動態の世界』 自由と意志のパースペクティヴをあらわしてくれる書

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國分巧一郎 著 『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読みました。

現代を生きる我々の言語は「する(能動態)」と「される(受動態)」というパースペクティヴに立っているけれど、古には能動態でも受動態でもない「中動態」があったという。本書は中動態に関する研究を掘り進めながら、「意志」とは何かという哲学的問いを顕としていきます。

さて、中動態。実は現在の「能動態←→受動態」という世界観になる前、能動態に対するのは中動態であり、中動態の一部の用法がその後に受動態を成していったそうです。

では「能動態←→中動態」というのはどういうパースペクティヴなのか。それは「動作が行為対象に働きかけることで完結する」のが「能動態」、「動作の働きが行為者自身に(利益であったり影響が)再帰する」のが「中動態」とのこと。「するかされるか」ではなく「内か外か」というパースペクティヴ。

そもそも動詞というものを探っていくと、その始まりは名詞からだったようです。「名詞的構文から動詞が生まれていった」という本書の言語考古学的な記述は「鳥は恐竜が進化したもの」という話くらい面白い。また現代の各国の印欧語族において「海」という言葉がそれぞれで異なること等から印欧語族の祖はウクライナや南ロシアのあたりだろうなんて話も面白かった。

古代世界に於いて問題となっていたのは「その出来事の存在」であり、「誰の意志か」はその後の変遷でフォーカスされていったもの。昔には日本語にもあったという中動態。今でもギリシャ語には中動態が残るそうですが、英語などでは中動態は受動態に母屋を取られてしまっています。けれども、「意志」というものを哲学者達は考察し、時に批判を行ってきたのでした。

本書の後半はハンナ・アーレント、フーコー、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザなどの論を中動態という切り口で解説していきます。

例えばアレントはアリストテレスが唱えたプロアイレシスという概念はリベルム・アルビトリウムと同じく「選択」の行為であり、それは「意志」ではない、意志とは過去の事象から何の影響もなく全く新しく始められる事柄である、と定義します。

けれどもこの世界に生きる上で何にも影響を受けずに何かを行うことは不可能であるといえます。我々の行為は過去からの帰結ー選択である。

では例えば「銃で脅されて金を渡す」ことは自由意志による自発的な選択といえるでしょうか?確かに無理やり物理的な暴力を奮われて奪われたわけではありません。けれどもフーコーの考えを照らせば相手に「権力」を行使されての「仕方なく」の行為である。こうした能動とも受動とも言い切れない行為を中動態という概念は鮮やかに描写できると國分さんは言います。

私が本書でもっとも膝を打ったのはこの部分で。私は鬱をやった時に「みな自分自身の人生の選択は、全てを勘案した上で、最もやりたいことをやりたいようにやった結果なのだ」と思いついたことから反転攻勢にでたことがあって。

これは例えばアドラー心理学などを読んでも似たようなことが書かれていて、嫌われてもやりたいことをやるのが好いというようなことなんだななんて想っていたのですが、実社会に於いて「仕方なく行っている行為」は確かに存在するし、その事情を切り捨てるのは確かに乱暴な、それこそ暴力的な思考だなと。

最終章で「人は気質(身体)、人生(感情)、社会(歴史)ゆえに思うように行動できない」という話が出てきますが、全てのことに行為者/意志/責任の明確化が尋問される現代のパースペクティヴから中動態という概念はすこし頸木を外してくれる力があるなと想いました。その上で、純粋な能動がありえないにしても、明晰な認識を行うことによって受動から抜け出すことが出来、強制から自由になれるとスピノザを引いて國分さんは語ります。

本書において感心したのは「中動態」ということを魔法のように神秘的には扱わず、あくまで実際的に解説を行ったこと。その上で中動態という大きな切り口に沿って一貫した論が展開されるために、様々な哲学者の論が引用されてもぎこちなさを感じさせずにまとめられていました。

まだハイデッガー、ドゥルーズ、特にスピノザの辺りは理解が十全とは出来なく、今後の課題ですが、いつかこうした大家の思想にもがっつりと取り組んでみたくなるような、哲学へのいざないともなる読書体験となりました。

by wavesll | 2018-10-11 19:41 | 書評 | Comments(0)

世界を変えた書物展@上野の森美術館

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世界を変えた書物展を上野の森美術館でみてきました。金沢工業大学の素晴らしい蔵書たち。理工学系の名著をたっぷりみれました。

現代社会を織り成す技術がどう生まれてきた歴史が書物の流れから立ち上がって。

様々な単位のネーミング元になった科学者たちの存在や、「cell」「electric」「radio active」の始まりも知れ。

自然科学の教養なくしては文化もありえないというか、“世界/環境”が人間の内面にも大きく作用したように想いました。智の山脈がこんなにも広がって、今は航空機からみるだけだけど、いつか足で踏破してみたい。

撮影もフリーだったためパシャリとやってきました。全部の本ではないので是非来場に。入場無料です。24日まで。

アルベルト・アインシュタイン『自筆研究ノート』
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ジョバンニ・バッティスタ・ビラネージ『古代ローマの廃墟及び構造物景観』
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パウル・デッカー『王侯の建築家、あるいは民生建築』
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アレクサンダー・グラハム・ベル『自筆書簡』
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ウィリアム・チェンバース『民生建築論』
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クロード=ニコラ・ルドゥー『芸術、風俗、法則との関係の下に考察された建築、第一巻』
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カストール・ギマール『カステル・ベランジエ』
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シカゴ・トリビューン社『シカゴ・トリビューン新社屋競技設計作品集』
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ウィトルウィリス『ラテン語より俗語に翻訳された十巻の建築書』
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アルビレヒト・デューラー『人体比例論四書』
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トーマス・オールヴァ・エディソン『自筆指示メモランダム』
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ヨーハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ『歴史的建築』
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オーヴィル・ライト『米国航空協会競技認可証自筆署名』
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ジェィムズ・スチュアート, ニコラス・レヴェット『古代アテネ』
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マリー・スクウォドフスカ・キュリー『自筆署名』
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ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ『建築の五種のオーダーの規則』
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アリストテレス『ギリシア語による著作集』
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イシドールス『語源学』
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アルキメデス『四辺形, 円の求積法』
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ヨルダヌス・ネモラリウス『算術十書』
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ヨハネス・ケプラー『新天文学』
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ヨハネス・ケプラー『世界の調和』
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アイザック・ニュートン『自然哲学の数学的原理』
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エウクレイデス(=ユークリッド)『原論(幾何学原本)』
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ポエティウス『算術』
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アポロニウス『卓越する数学者の全集』
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アルキメデス『哲学及び幾何学の卓越せる全集』
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レギオモンタヌス『アルマゲスト(偉大なるプトレマイオス)』
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ニコラス・コペルニクス『天球の回転について』
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ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』
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ガリレオ・ガリレイ『世界二大体系についての対話』
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ジロラモ・カルダーノ『代数学についての大技術』
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ジョン・ネーピア『驚くべき対数法則の記述』
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ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ『極大と極小に関する新しい方法』
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レオンハルト・オイラー『無限解析入門』
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ルネ・デカルト『方法序説』
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ヨルダヌス・ネモラリウス『タルターリアの研究によって正された重さについての書』
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タルターリア『新科学』
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シモン・ステヴィン『つり合いの原理』
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クリスティアン・ホイヘンス『振子時計』
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ガリレオ・ガリレイ『新化学対話』
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ヨハネス・ケプラー『天文学の光学的部分を扱うウィテロへの補遺』
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ロバート・フック『微細物誌』
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アイザック・ニュートン『光学反射, 屈折, 光の伝播と色について』
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トーマスヤング『色と光の理論について』『自然哲学及び機械技術に関する講義』
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ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論』
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フォジャ・ド・サンフォン『モンゴルフィエ京大の気球体験記』
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ダニエル・ベルヌーイ『流体力学』
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オットー・リリエンタール『飛行術の基礎となる鳥の飛翔』
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ウィルバー・ライト『航空実験』
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ロバート・H・ゴダート『液体燃料推進ロケットの開発』
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ヒエロニムス・ブルンシュヴィヒ『真正蒸留法』
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ゲオルギウス・アグリコラ『金属について(デ・レ・メタリカ)』
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ジァンバッティスタ・デッラ・ボルタ『蒸留法九書』
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アントワヌ・ラヴォアジェ『化学要論』
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ロバート・ボイル『懐疑的化学者』
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オットー・フォン・ゲーリケ『真空についての(いわゆる)マグデブルグの新実験』
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ベンジャミン・フランクリン『フィラデルフィアにおける電気に関する実験と観察』
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ジャン・テニエ『磁石の本性とその効果の価値について』
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ウィリアム・ギルバート『磁石及び磁性体ならびに大磁石としての地球の生理学』
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マイケル・ファラデー『電気の実験的研究 第I、II、III巻』
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トーマス・オールヴァ・エディソン『ダイナモ発電機・特許説明書, 特許番号 NO.297, 587 合衆国特許局』
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アレッサンドロ・ヴォルタ『異種の導体の単なる接触により起る電気』
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アンドレー・マリー・アンペール『二種の電流の相互作用』
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ゲオルグ・ジーモン・オーム『数学的に取り扱ったガルヴァーニ電池』
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アレクサンダー・グラハム・ベル『電話の研究』
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ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ『非常に速い電気的振動について』
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ルネ・デカルト『哲学の原理』
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ヘンドリック・ローレンツ『運動物体の電気的、光学的現象に関する試論』
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ジェイムズ・クラーク・マクスウェル『電磁場の力学的理論』
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ヘンドリック・ローレンツ『マクスウェルの電磁気理論とその運動体への応用』
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ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン『新種の輻射線について』
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アントワヌ・アンリ・ベックレル『物質の新しい性質の研究』
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ピエール・キュリー, マリー・スクウォドフスカ・キュリー『ピッチブレンドの中に含まれている新種の放射線物質について』
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マリー・スクウォドフスカ・キュリー『放射性物質の研究』
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エルヴィン・シュレディンガー『波動力学についての四講』
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ロバート・A・ミリカン『電子、陽子、光子、中性子および宇宙線』
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湯川秀樹『素粒子の相互作用について』
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合衆国戦略爆撃調査団『広島、長崎に対する原子爆弾の効果』
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マックス・プランク『正規スペクトルのエネルギー分散則の理論』
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ニコライ・イヴァノーヴィッチ・ロバチェフスキー『幾何学の起源について、カザン帝国大学記要, 25号(1829), 27号及び28号(1830)所収』
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ゲオルグ・リーマン『幾何学の基礎にある仮説について』
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ヘルマン・ミンコウスキー『空間と時間』
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アルベルト・アインシュタイン『一般相対性理論の基礎』
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アルベルト・アインシュタイン『特殊相対性理論及び一般相対性理論』
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アルブマサル(アブ・マァシャル)『占星術』
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ガイウス・プリニウス=セクンドウス『博物誌三十七書』
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ジョルジョ・ヴァザーリ『最も優れた画家、彫刻家、建築家の生涯』
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ヨハネス・ヘヴェリウス『天文機械上巻』
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ブレーズ・パスカル『液体の平衡及び空気の質量の測定についての論述』
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セバスチャン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン『要塞都市の攻撃と防御 第I、II巻』
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ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ『力の保存について』
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チャールズ・ダーウィン『種の起源』
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グレゴール・ヨハン・メンデル『植物=雑種についての研究』
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アレクサンダー・フレミング『アオカビ培養基(ペニシリウム)の抗菌作用』
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ジェームズ・ワトソン, フランシス・クリック『核酸の分子的構造』
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アメリカ合衆国航空宇宙局(NASA)『アポロ11号任務記録(月着陸交信記録)、月面への第一歩』
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by wavesll | 2018-09-20 05:59 | 展覧会 | Comments(0)

BBC 『戦争と平和』 戦火と恋、爛れなき誠の幸福へゆく人間賛歌

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BBCによる『戦争と平和』をみました。
トルストイによる大長編として知られる古典作品のドラマ化。放送はもう数年前なのですが、大分間を開けながらちょぼちょぼ見た結果、足掛け2年ほどかけてみることになりました(苦笑)

と、いうのも原作を未読だったのですが、特に序盤はドロドロ系のメロドラマで。主人公のピエールのぼんくらっぷりも相まり、みるのがかなりエナジーを使う感じで。後半になるにつれ戦争が繰り広げられ物語の速度強度が増していく構成。司馬遼太郎『坂の上の雲』なんかは青春篇の方が面白く日露戦争になると面白くなかったのですが、映像化されたこともあってか逆の読後感となりました。恋愛描写と戦火の両立は脚本家が『ブリジット・ジョーンズの日記』や『ハウス・オブ・カード』のアンドリュー・デイビスという複数ベクトルのバックボーンがある方だからかもしれませんね。

ヒロインのナターシャがなんか見た覚えがあると想ったら『ベイビー・ドライバー』や『シンデレラ』のリリー・ジェームズで。美麗なれどもその浅慮から悲劇も浴びる女性。そしてその恋の相手となるアンドレイ役のジェームズ・ノートンもいかにも英雄然とした立ち姿は秋山好古のようでもありました。

一大歴史絵巻であると共にポール・ダノ演ずるピエールのビルドゥングス・ロマン。空想的で地に足のついてないボンボンから、渡世の辛苦、決闘、そして戦争を越え、苦しみの中で逞しさを増していく姿には心を随分と感銘させられました。この役者さんの説得力は凄いですね。

そして、戦争の対比となる「平和」なのですが、平和がいつまでも過ぎると爛熟するというか、恋愛を越えた性愛や、貴族のマウンティングの戦が起きるのは人間社会の業ですね。その贅肉が戦争によって洗い流されて、純粋な仲間意識が育まれることもある。

けれども敵による非道な支配や破壊をみたり、また『この世界の片隅に』『火垂るの墓』をみた後の私たちは戦争における日常は同胞の間でも美しいだけではない、人の醜さや軋轢が出る極限状態だと知っています。そして大阪や北海道の災害を目の当たりにした今、安易に悲劇に美を見出すことの愚を知っています。

極寒でも極暑でもなく、恋愛の花が咲くくらいの刺激気候にあれれば良いかもしれません。しかしそれにはきっと自分を律する意思が要るのでしょう。また速度を出す快楽を否定するというか、あまりに規範を絶対視するのもHuman Rightsの否定になります。ピエールもただ安牌を選び続けたわけでもなく、虎穴にいることで成長を掴みます。

誠と賭けとの試行錯誤が人生なのかな、そして仮にどん底へ落とされても道を切り拓いていくのは己、そんな人生賛歌が描かれたドラマでもありました。

by wavesll | 2018-09-08 04:45 | 映画 | Comments(0)

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』 人種差別への高らかな反論であり世界を記述する貴さを感じる大著

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ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』を読みました。
パプアニューギニアで投げかけられた「あなたがた白人は沢山のものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それは何故だろうか?」という問い。

ユーラシア大陸の民が文明を発達させたのに対して、石器時代に近い暮らしを続けている民もいる。果たして何故そのような違いが起きたのか。この巨大な問いにジャレド氏は多種多様な学問的知見を通して応えようとします。

”文明が民族によって異なる歩みを辿ったのは何故か?”ジャレド氏は先ず俗説を退ける處から本書を始めます。
その俗説とは例えば「民族によって知能に格差があるから」、「南の熱い地域よりも北の地域の方が文明が発達しやすいから」など。

けれども遺伝子の淘汰から言えば、文明によって守られた地域よりも原生林で暮らす方が”賢くなければ生き残れず子種を残せない”し、四大文明が発達したのは非常に暑い土地でした。

また「ヨーロッパには銃・病原菌・鉄があり第三世界を征服できた」との説、確かにそれは直接的な要因だけれども、では何故欧州に銃と病原菌と鉄がもたらされたのか。その究極的な要因をジャレド氏は求めようとします。

その結論とは「ユーラシアの肥沃な三日月地帯には食料栽培に向いた原生植物があり、そして家畜化可能な大型哺乳類が生息していた。その結果余剰が生まれ、政治家や軍人、発明家などを養うことが出来る国家規模の集団が生まれた。さらに南北に長いアメリカ大陸やアフリカ大陸と異なり、ユーラシア大陸は東西に長かったため、食糧栽培の伝搬とそれに伴う技術の伝搬が起こりやすかったためにイノベーションが発達しやすかった」というもの。

本書が持つ最大のメッセージは”人種による優劣はなく、人類文明の発達には環境的要因が大きく影響している”ということ。それを博覧強記の智見により解き明かしてくれたのでした。

人類文明の各地での違いが起きたのは1万3000年前の氷河期の終わりから西暦1500年までの辺り。700年前にアフリカで生まれた人類はグレートジャーニーによって紀元前1万年前には南米に到達、紀元前4万年には船を使ってオーストラリアに到達し、ニュージーランド沖のチャモロ諸島に西暦1300年には到達しています。そこから1492年の西洋と南米先住民の接触と征服へと歴史は続いていきます。

この記述を読んで「そうか、人類の最後に定住地として到達したのはニュージーランドだったのか。ポリネシアの民はきっと進化によりソフィスティケイティッドされていたのだろう」なんて私は想ったのですが、そんな当てずっぽうは第二章のマオリ族によるモリオリ族の虐殺のエピソードによって論破されます。

第三章ではペルーのカハマルカ高原に於いてピサロがインカ皇帝アタワルパを圧倒する現場を当時の手記からありありと書き上げて。アタワルパが余りにも無防備だったのは文字が無かったために非道な欧州人の人間パターンをインカの民が認識できなかったという事情が語られます。

彼らの差異はどこから生まれたのか?それは農耕に適したエンマーコムギやエンドウ等8種の「起源作物」の多くが肥沃な三日月地帯に自生していたこと。そこからより収穫しやすいように品種改良が続けられていったこと。逆に南北アメリカではトウモロコシの原種とも言われるテオシントは食べるのに適していず、カロリーを取れ狩猟採集に対抗できるまで品種改良するのには長い時が必要だったという事が大きかった。

そして家畜化可能な動物に関しても、ペットを越え農耕や軍事など大きな益をもたらす大型草食哺乳類の「由緒ある14種」のほとんどがユーラシアにいたという幸運も大きかった。これは時代が下ってから人類が到達した南北アメリカやオーストラリアでは、発達した狩猟技術が人間の脅威に慣れていなかった動物を絶滅に追い込んでしまったことも大きかった。

これらの栽培植物の伝搬に於いてユーラシア大陸が東西に長かったのも発達に大きく関わりました。というのも同じ緯度だと日照時間や雨などの気候条件が同じになりやすいため。これに対して南北アメリカやアフリカでは、緯度が大きく異なるために栽培植物を伝搬させることが非常に難しかった。

さらに家畜と共に暮らした結果として家畜由来の病原菌が人間にも発病させ、その結果免疫を発達させることになったことがヨーロッパ人にとって他の大陸を征服するのに有利に働きました。インカの民やネイティヴアメリカン、そしてアボリジニやポリネシアの人々などは直接殺されるよりも欧州人が持ち込んだ病原菌で夥しく死亡していくこととなりました。

これらの病気が蔓延するためには人口が大きいことが必要ですが小規模血縁集団(バンド)から部族社会(トライブ)、そして首長社会(チーフダム)から国家(ステート)へと巨大化していくには食料生産も大きな要因で、社会の規模が大きくなると灌漑なども整備で木、さらに集約的な食糧生産が行え、人口が増え、平等な社会から集権的なシステムがさらにつくられるという流れもありました。

文明の大きな要素である文字は今までの人類史で独自に発明されたとみられるのはシュメール、中米、中国くらいで、その他のエジプト文字などはそこからの模倣によって生まれたとの立場をジャレド氏は取ります。

音素を顕わすアルファベット、音節を顕わす日本のカナ文字やギリシア・ミケーネ文明の線文字B、そして漢字などの表意文字。これらの文字システムの成立過程において、表意文字を同音異義語に応用するというイノベーションが大きな変革となったと語られています。

alephがセム語で雄牛、bethが家、gimelがラクダ、dalethがドアといった語源や、アーカンソー州でアルファベットのアイデアを知り自らチェロキー・インディアンの文字体系をつくったセコイヤという人物の話やイースター島にも独自の文字があったという話も面白かった。

そして下巻のほとんどはニューギニアや中国、アフリカ等の先史時代からの人々の変遷について書かれていて。オーストロネシア人という人々がいたこと、アフリカには黒人・白人・黄色人種の他、ピグミーとコイサン族という民族がいる事、マダガスカルには古代に大移動してきたボルネオの血が濃く残っている、そして気候の違いからコイサン族が喜望峰の辺りに進出できなかった故に南アフリカが白人に占領された事等、全く知らなかった物事を知らせてくれました。

ジャレド氏は、環境によって文明の歩みは違ったと論じますが、決して人間個人の自主的な先取性を否定するわけではなくて。けれども大河のような歴史を科学するという上で、人類の歴史のメカニズムを解き明かそうという大事業の大きなメルクマールを本書は成しえたと感じます。その上でエピローグでは”なぜユーラシアの中でも欧州が特に力を持ったのか”などの残された課題も語られています。

また本書は真に博覧強記な執筆で、コーラナッツというアフリカの植物は初期コカ・コーラに使われていたとかマカデミアナッツはオーストラリア原産だとかアラム語の齟齬であるセム語系の発祥はアフリカにあるなど変幻自在なのだけれども、「文明の異なる発達は環境により大きな影響を受けた結果」という巨大な論のための縦横無尽故に一本筋が通っている論を読め散漫な印象はないという感慨を持てました。

人種差別への高らかな反論であり、人という種族がいかに生きたか、その営みに深く届く書物。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』では文明以後の中南米や東南アジアの知られざる世界史を学べたと想いましたが、本書ではポリネシアやアフリカを知れ、自分の中で地球史として一つのパースペクティヴを持てた気がして。世界を記述する貴さを味わうことが出来ました。





by wavesll | 2018-08-30 06:51 | 書評 | Comments(0)

本田静六『私の財産告白』 富の築き方と渡世法

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この間に続いて1000冊読んだ京大生が薦める44冊からの一冊。これはちょっとした古典の風格があって、そしてサクっと読めて良かった。

極貧生活から東大の教授となり、その貯蓄・投資生活から莫大な財産を築いた本田静六氏が財産のつくりかたと渡世の仕方を語った本。何しろ机上の空論でなく、自らが実践したことについて記されているから強度があります。

シンプルだけれど、強靭な一念がないと出来ないであろう「本田式『四分の一』貯金」には感じ入りました。財形貯蓄の走りと言うか、給料の1/4を天引きで貯金して、カツカツでも生活してしまう。さらに著述などの臨時収入は10割貯金してしまう。恐れ入ります。

そうして出来た貯蓄を雪だるまの芯として投資をする。これは投機になってはいけない。投資するために借金は一切しない。「二割利食い、十割益半分手放し」という投資法は村上世彰『生涯投資家』で語られた彼が父から学んだ『株は上がり始めたら買い、下がり始めたら売る。一番上で売ろう、一番下で買おうとしてはいけない』という教えに通ずるものを感じました。

「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず繰り返す」という本田さんの言葉にはケインズ的な慧眼も感じて。「二杯の天丼はうまく食えぬ、沢山の天丼を注文して一杯食うのではなく一杯の天丼だけ注文して舌鼓を打つところに本当の味わいがある」という話には効用の逓減の法則を掴んだ知恵を感じました。

そして”「義理をかき、人情をかき、恥をかく」貧乏故の吝嗇でなく、自分の分を知って自己を抑制し一切の無駄を排す節倹をせよ”というくだりには、縁に金をしぶり、趣味・娯楽に金を遣う自分自身の行動を顧みる機会となって。藝術や旅は私の人生の愉しみですが、せめて生活レベルを落せるところは見栄をはらずに纏・絶・硬をしようと、早速晩酌をクラフトビールからスーパーで税抜き109円の本麒麟に変えたりしてます。「貸すな、借りるな」も本当に膝を打って。

そして『私の体験社会学』では「失敗は人生の必須科目、これなしに成功はなく、一度や二度の失敗に闘志を失うな」には刺激を受けました。また「馬鹿正直なだけでなく商売はアヤも大事だ」というのも考えさせられるし、逆に「偽善的によけいな謙遜はせず自らの能力を最大限に発揮すべき」という話や、「人を使うには使われるものの身になってすべてを考えよ」という話も腑に落ちて。

特に人を使うには何にでも口出しせず自主性に任せながら、きちんと目を配り人事配置などで”わかってるぞ”というのを示し、きちんと名前を憶えて人間として大切みを感じさせ、部下の意見もきちんと聴く、そして叱る時は「三つ褒めて一つ叱れ」。十分に他者の話を聴いた上で自説を述べ、最重要部以外は他者に花を譲るというのも”素晴らしい人心掌握術”だと。

そして立身出世のためには「勉強の先回り」が大事で、「職業道楽化」が一番いいと。「天才マイナス努力」より「凡才プラス努力」の方が必ず勝てるという兎と亀な噺には鼓舞され、『人生即努力、努力即幸福』という最終結論には感じ入りました。

事業/仕事など“やるべきこと、やらなければならないこと”を“やりたいこと”とし、社会に貢献することは大したもの。給料1/4を天引きで貯金することを為しえた精神の強靭さには舌を巻き、趣味だなんだいってる自分も詰めの垢を煎じて切り詰められるところは切り詰めなきゃなと想いました。また本田翁は毎日必ず一頁ものを書いていたそうで、これもBlogをやっている人間からすると毎日というのは驚異で。語り掛けられた言葉に上手く触発されていきたいな等と想う處です。

by wavesll | 2018-08-08 03:48 | 書評 | Comments(0)