タグ:本 ( 87 ) タグの人気記事

マニアフェスタに行ってきた!

c0002171_01054109.jpg
c0002171_01060404.jpg
c0002171_01062699.jpg
c0002171_01064402.jpg
c0002171_01070031.jpg
c0002171_01071764.jpg
タカアシガニをディジュリドゥにしてるという驚異の謎映像をTwitterで見掛けて”こりゃ面白そうだぞ”と3331で開かれているマニアフェスタに日曜日に行ってきました。

タカアシガニディジュリドゥは土曜日のオープニングアクトでやっていなかったのですが、コミケの評論島オンリーみたいな最高にピンポイントな即売会でかなり楽しめました。

仏像ピクトの人が小物を売って居たり、電気風呂レヴューでは都内の電気風呂が入り方とともに網羅的に紹介、シャッターオンリーの写真集はグルスキーのようだし碁盤でミッシェルガンエレファントといい歩行者の標識のサコッシュといいバリかっこええ。花札マニアさんのブースでは千と千尋の神隠し花札もみれたりテトラポットぬいぐるみは乾いたバージョンと濡れバージョンも。タモリ倶楽部にもでたというマンボウマニアの方や、鉄道マニアの人には切符を切る鋏でチケット切ってもらったりwゴムホースマニアの人のクリアファイルも良かったなぁ。etcetc超楽しめました。

お話を聞かせていただいたケバブマニアの方の話だと、秋葉原のスターケバブはソース無しでも美味いというトルコ本式の味でレベル高いらしい。確かにトルコ旅行で食べた🥙にはソースかかってなかった。今度アキバに行った時喰ってみたい。

また食べ物系だとケバブマニアの隣のブースのみはしのあんみつマニアの方との話も面白くて。店舗ごとの限定トッピングやメニューに載ってない裏トッピングなど奥が深い。今度パルコヤとかで食べてみようかな、みはしのあんみつ。

マニアフェスタで購入したのがミクロネシア連邦の日本人だけが泊まれる小さな島ジープ島への旅行記と、東京で食べれるサイババの教やユダヤ教などの宗教飯ZINE。ジープ島で海に潜ると零戦が沈んでいるのだとか◎また著者さんは他にも数々の離島に行かれている方で、 南大東はそこまで飛行機で行っても北大東との連絡船でクレーンによる上陸の醍醐味を味わえるという特ダネも得られて。宗教飯の方は数々の秘密結社にも入って飯取材をされてられる方で、ZINEにはインドにあるシーク教やジャイナ教の聖地、アムリトサルのゴールデンテンプルやシャトルンジャヤ山、ギルナール山、ソムナート、ラナクプルなども書いてあってかなり良かったです。

こういうイヴェントに参加すると自分でもZINEが作りたくなりますね◎鴎庵の記事を編んでさらに深堀して面白いやつとかつくって私もZINEデヴュー目指そうかな◎

by wavesll | 2019-02-19 01:45 | 小ネタ | Comments(0)

AKIRA『アヤワスカ!』から、旅を超えて日常の輪を誕生日に想

c0002171_03431562.jpg
2018年10月18日、34才になりました。相変わらず日々をやっています。

TwitterのTimeLineで『アヤワスカ!』という本が今なら無料DLできるという情報を観て、ここ数日スマホのKindleで読んでいました。読み易いし、隙間時間に電子書籍はありですね。

アヤワスカ。今までに幾度か耳にしていたナチュラル・ドラッグの名。著者のAKIRA氏は東京での幻覚体験から導かれるままにペルー、エクアドル、ブラジルの山麗そして密林の奥に旅し、そこで麻薬を使った精神体験を得る。大雑把に纏めればそういう体験物語です。

読んでいて”これは昔(といっても十年前)の自分のベクトルの遥かに凄い版の人だな”と感じて。私自身もナスカやマチュピチュの現地に行ったことがあり、ペルー扁の記述はかなり立体的に読み込むことが出来て。繰り出される知識も例えばマクルーハンなんかは自分もメディア論を読んでいましたし、彼がみた幻覚の日の出ならぬ”地球の出”は、私自身が人生でいつか味わってみたい夢そのものでした。

文章のドライヴする感覚も、繰り広げられるデータ達(例えば超ひも理論)も、何だか他人が描いたものを読んでいるというよりは、マチュピチュに行ったのはもう7年前ですが、過去の自分がそのままのベクトルで長じて書いたものを読んでいるようなパラレルな感覚を味わう読書体験で。

と、共に”今の自分はあの頃から目指すものが変わったのかもしれない”とも想ったのでした。

先日、年下の友人から「kamomeさんはインプットは凄いしているのにアウトプットを全然していない、宝の持ち腐れにみえますよ」と言われて。自分はその時”Blogにおいて自分なりにI/Oをしているのだけれどな”と想いながらも「昔は『最高の麻薬のような変性意識をもたらすエンターテイメントを成したい』と想っていたけれど、今はスタンスが変わったんだ」と応えて。

それは出雲・神在祭旅での脳がサーッと焼き切れそうになる体験から、全精力をかけて(といいながら完全ノードラッグですが脳内麻薬で半ば躁りながら)書き上げた妄論が総スカンになったあげく暴論をまくし立て、当時の仲間からどっちらけになって、そして311を経て、自分の中で石舟斎を目指すというか、宙に浮かび上がらずも、水面下で小乗仏教的に日々自分に高まる刺激を与え、それを書き記せばそれでよい、となったというのもあるかもしれません。

道化師で壊れた状態から素になって、あまり人にも付き合わずに自分の内の濃さを上げて。結果として昔はほとんど女っ気ないというかデリカシーのない人間だったのに、今ではある程度”傾聴”とか意識するくらいは社会意識、コミュニケーション感度が持てるようになった気もします。

さて、そんな10年代を過ごした先の2018年の今に感じるのは”自分は旅を超えていかなければならないのかもしれない”ということでした。

旅は本当に愉しい。あらゆることが鮮烈に新奇に映り、異化作用が起きまくり精神が感応します。それはインナーチャイルドを呼び起こすことかもしれない。けれども、得てして「広くて浅い奴もGood Night」になってはしないか。

『アヤワスカ!』を読んでいて特に途中まで想っていたのは”このドライヴ感は確かに面白い。けれどもこの旅路の記述は普通にこの地を旅すれば比較的容易に得られる知見に留まっていて、俺が旅したのとそこまで変わらず掘り下げる深さに於いてどうも刺激を受ける水準にないかもしれない”というものでした。

次から次へと新しいものを浴びてどんどんどんどん世界を拡げることはワクワクするけれども、一つのルーティンというか、一所懸命に日常の中で突き詰めていくDigを行わなければ辿り着けない領域があるのではというのがこの十年間の私の課題で。

メディアの水面に近い浅いところで自分は遊びすぎているのではないか。本当の”独自性”は旅ではなくいつもにみえる日常でどれだけ”汲み取る、編集する、発する”を究めることから生まれるのではないか、と思うのです。神話的なマクロへの関心から、微視的な視点への興味関心を持ったのは様々な人(特に女性に顕著ですが)の感性に触れたことから得た知見かもしれません。

その上で『アヤワスカ!』の麻薬による精神の昂揚の旅はけれども、私が知っている南米の粋を超えてさらなる深部・高みに達して、最後の辺りは読んでいて知的興奮を得て。アヤワスカというナチュラル・ドラッグは一度でその全てを知れるわけでなく徐々に神秘の扉を開いて、適切なシャーマンの導きを以て体験を為すのだなと。インスタントにどんどんスワイプしていくのではない、掘り下げる研ぎ究めがあって幻覚への旅の記述には目を瞠る處がありました。

「旅」に於ける「浅瀬さ」を乗り越える術は、一つには土地との関係を湛えていくこと。与那国旅行での毎年島に来ている方や島で働くようになった方との出会いも大きな感銘を与えて呉れましたが、人との繋がりは確かに一過性を越えていく一つの指針になるかもしれません。そしてこの『アヤワスカ!』のように大きなテーマを以て旅を一貫させること、己で旅行をフリースタイルすることもやはり大きいなと。

旅は日常からの特異点ではあります。けれどもその上で、日常や旅を包括する人生において、マクロな刺激とミクロな刺激をシームレスに統べるDig =「工夫・改善・創新の探究」を行う糸口をみつけたい、そんな営為を過ごす一年の輪をまた始めたい。誕生日にこんなことを想いました。

by wavesll | 2018-10-18 04:39 | 書評 | Comments(0)

國分巧一郎『中動態の世界』 自由と意志のパースペクティヴをあらわしてくれる書

c0002171_18480483.jpg
國分巧一郎 著 『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読みました。

現代を生きる我々の言語は「する(能動態)」と「される(受動態)」というパースペクティヴに立っているけれど、古には能動態でも受動態でもない「中動態」があったという。本書は中動態に関する研究を掘り進めながら、「意志」とは何かという哲学的問いを顕としていきます。

さて、中動態。実は現在の「能動態←→受動態」という世界観になる前、能動態に対するのは中動態であり、中動態の一部の用法がその後に受動態を成していったそうです。

では「能動態←→中動態」というのはどういうパースペクティヴなのか。それは「動作が行為対象に働きかけることで完結する」のが「能動態」、「動作の働きが行為者自身に(利益であったり影響が)再帰する」のが「中動態」とのこと。「するかされるか」ではなく「内か外か」というパースペクティヴ。

そもそも動詞というものを探っていくと、その始まりは名詞からだったようです。「名詞的構文から動詞が生まれていった」という本書の言語考古学的な記述は「鳥は恐竜が進化したもの」という話くらい面白い。また現代の各国の印欧語族において「海」という言葉がそれぞれで異なること等から印欧語族の祖はウクライナや南ロシアのあたりだろうなんて話も面白かった。

古代世界に於いて問題となっていたのは「その出来事の存在」であり、「誰の意志か」はその後の変遷でフォーカスされていったもの。昔には日本語にもあったという中動態。今でもギリシャ語には中動態が残るそうですが、英語などでは中動態は受動態に母屋を取られてしまっています。けれども、「意志」というものを哲学者達は考察し、時に批判を行ってきたのでした。

本書の後半はハンナ・アーレント、フーコー、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザなどの論を中動態という切り口で解説していきます。

例えばアレントはアリストテレスが唱えたプロアイレシスという概念はリベルム・アルビトリウムと同じく「選択」の行為であり、それは「意志」ではない、意志とは過去の事象から何の影響もなく全く新しく始められる事柄である、と定義します。

けれどもこの世界に生きる上で何にも影響を受けずに何かを行うことは不可能であるといえます。我々の行為は過去からの帰結ー選択である。

では例えば「銃で脅されて金を渡す」ことは自由意志による自発的な選択といえるでしょうか?確かに無理やり物理的な暴力を奮われて奪われたわけではありません。けれどもフーコーの考えを照らせば相手に「権力」を行使されての「仕方なく」の行為である。こうした能動とも受動とも言い切れない行為を中動態という概念は鮮やかに描写できると國分さんは言います。

私が本書でもっとも膝を打ったのはこの部分で。私は鬱をやった時に「みな自分自身の人生の選択は、全てを勘案した上で、最もやりたいことをやりたいようにやった結果なのだ」と思いついたことから反転攻勢にでたことがあって。

これは例えばアドラー心理学などを読んでも似たようなことが書かれていて、嫌われてもやりたいことをやるのが好いというようなことなんだななんて想っていたのですが、実社会に於いて「仕方なく行っている行為」は確かに存在するし、その事情を切り捨てるのは確かに乱暴な、それこそ暴力的な思考だなと。

最終章で「人は気質(身体)、人生(感情)、社会(歴史)ゆえに思うように行動できない」という話が出てきますが、全てのことに行為者/意志/責任の明確化が尋問される現代のパースペクティヴから中動態という概念はすこし頸木を外してくれる力があるなと想いました。その上で、純粋な能動がありえないにしても、明晰な認識を行うことによって受動から抜け出すことが出来、強制から自由になれるとスピノザを引いて國分さんは語ります。

本書において感心したのは「中動態」ということを魔法のように神秘的には扱わず、あくまで実際的に解説を行ったこと。その上で中動態という大きな切り口に沿って一貫した論が展開されるために、様々な哲学者の論が引用されてもぎこちなさを感じさせずにまとめられていました。

まだハイデッガー、ドゥルーズ、特にスピノザの辺りは理解が十全とは出来なく、今後の課題ですが、いつかこうした大家の思想にもがっつりと取り組んでみたくなるような、哲学へのいざないともなる読書体験となりました。

by wavesll | 2018-10-11 19:41 | 書評 | Comments(0)

世界を変えた書物展@上野の森美術館

c0002171_04450744.jpg
世界を変えた書物展を上野の森美術館でみてきました。金沢工業大学の素晴らしい蔵書たち。理工学系の名著をたっぷりみれました。

現代社会を織り成す技術がどう生まれてきた歴史が書物の流れから立ち上がって。

様々な単位のネーミング元になった科学者たちの存在や、「cell」「electric」「radio active」の始まりも知れ。

自然科学の教養なくしては文化もありえないというか、“世界/環境”が人間の内面にも大きく作用したように想いました。智の山脈がこんなにも広がって、今は航空機からみるだけだけど、いつか足で踏破してみたい。

撮影もフリーだったためパシャリとやってきました。全部の本ではないので是非来場に。入場無料です。24日まで。

アルベルト・アインシュタイン『自筆研究ノート』
c0002171_04501777.jpg
ジョバンニ・バッティスタ・ビラネージ『古代ローマの廃墟及び構造物景観』
c0002171_04505443.jpg
パウル・デッカー『王侯の建築家、あるいは民生建築』
c0002171_04515446.jpg
アレクサンダー・グラハム・ベル『自筆書簡』
c0002171_04573408.jpg
ウィリアム・チェンバース『民生建築論』
c0002171_04580587.jpg
クロード=ニコラ・ルドゥー『芸術、風俗、法則との関係の下に考察された建築、第一巻』
c0002171_05505123.jpg
カストール・ギマール『カステル・ベランジエ』
c0002171_04582340.jpg
シカゴ・トリビューン社『シカゴ・トリビューン新社屋競技設計作品集』
c0002171_04585035.jpg
ウィトルウィリス『ラテン語より俗語に翻訳された十巻の建築書』
c0002171_04591036.jpg
c0002171_04593609.jpg
アルビレヒト・デューラー『人体比例論四書』
c0002171_04595700.jpg
トーマス・オールヴァ・エディソン『自筆指示メモランダム』
c0002171_05002868.jpg
ヨーハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ『歴史的建築』
c0002171_05005018.jpg
オーヴィル・ライト『米国航空協会競技認可証自筆署名』
c0002171_05011715.jpg
ジェィムズ・スチュアート, ニコラス・レヴェット『古代アテネ』
c0002171_05013954.jpg
マリー・スクウォドフスカ・キュリー『自筆署名』
c0002171_05113679.jpg
ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ『建築の五種のオーダーの規則』
c0002171_05120443.jpg
アリストテレス『ギリシア語による著作集』
c0002171_05124532.jpg
イシドールス『語源学』
c0002171_05130561.jpg
アルキメデス『四辺形, 円の求積法』
c0002171_05141630.jpg
ヨルダヌス・ネモラリウス『算術十書』
c0002171_05140441.jpg
ヨハネス・ケプラー『新天文学』
c0002171_05145971.jpg
ヨハネス・ケプラー『世界の調和』
c0002171_05151945.jpg
アイザック・ニュートン『自然哲学の数学的原理』
c0002171_05154427.jpg
エウクレイデス(=ユークリッド)『原論(幾何学原本)』
c0002171_05160523.jpg
ポエティウス『算術』
c0002171_05163288.jpg
アポロニウス『卓越する数学者の全集』
c0002171_05165356.jpg
アルキメデス『哲学及び幾何学の卓越せる全集』
c0002171_05172079.jpg
レギオモンタヌス『アルマゲスト(偉大なるプトレマイオス)』
c0002171_05174175.jpg
ニコラス・コペルニクス『天球の回転について』
c0002171_05180713.jpg
ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』
c0002171_05182941.jpg
ガリレオ・ガリレイ『世界二大体系についての対話』
c0002171_05185711.jpg
ジロラモ・カルダーノ『代数学についての大技術』
c0002171_05192475.jpg
ジョン・ネーピア『驚くべき対数法則の記述』
c0002171_05194681.jpg
ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ『極大と極小に関する新しい方法』
c0002171_05201406.jpg
レオンハルト・オイラー『無限解析入門』
c0002171_05203571.jpg
ルネ・デカルト『方法序説』
c0002171_05210052.jpg
ヨルダヌス・ネモラリウス『タルターリアの研究によって正された重さについての書』
c0002171_05212185.jpg
タルターリア『新科学』
c0002171_05222746.jpg
シモン・ステヴィン『つり合いの原理』
c0002171_05225381.jpg
クリスティアン・ホイヘンス『振子時計』
c0002171_05234081.jpg
ガリレオ・ガリレイ『新化学対話』
c0002171_05240347.jpg
ヨハネス・ケプラー『天文学の光学的部分を扱うウィテロへの補遺』
c0002171_05243276.jpg
ロバート・フック『微細物誌』
c0002171_05245782.jpg
アイザック・ニュートン『光学反射, 屈折, 光の伝播と色について』
c0002171_05252743.jpg
トーマスヤング『色と光の理論について』『自然哲学及び機械技術に関する講義』
c0002171_05254631.jpg
ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論』
c0002171_05264238.jpg
フォジャ・ド・サンフォン『モンゴルフィエ京大の気球体験記』
c0002171_05270254.jpg
ダニエル・ベルヌーイ『流体力学』
c0002171_05524136.jpg
オットー・リリエンタール『飛行術の基礎となる鳥の飛翔』
c0002171_05273532.jpg
ウィルバー・ライト『航空実験』
c0002171_05275582.jpg
ロバート・H・ゴダート『液体燃料推進ロケットの開発』
c0002171_05282298.jpg
ヒエロニムス・ブルンシュヴィヒ『真正蒸留法』
c0002171_05284464.jpg
ゲオルギウス・アグリコラ『金属について(デ・レ・メタリカ)』
c0002171_05553455.jpg
ジァンバッティスタ・デッラ・ボルタ『蒸留法九書』
c0002171_05291498.jpg
アントワヌ・ラヴォアジェ『化学要論』
c0002171_05293459.jpg
ロバート・ボイル『懐疑的化学者』
c0002171_05313953.jpg
オットー・フォン・ゲーリケ『真空についての(いわゆる)マグデブルグの新実験』
c0002171_05320183.jpg
ベンジャミン・フランクリン『フィラデルフィアにおける電気に関する実験と観察』
c0002171_05323034.jpg
ジャン・テニエ『磁石の本性とその効果の価値について』
c0002171_05325052.jpg
ウィリアム・ギルバート『磁石及び磁性体ならびに大磁石としての地球の生理学』
c0002171_05331526.jpg
マイケル・ファラデー『電気の実験的研究 第I、II、III巻』
c0002171_05333304.jpg
トーマス・オールヴァ・エディソン『ダイナモ発電機・特許説明書, 特許番号 NO.297, 587 合衆国特許局』
c0002171_05335800.jpg
アレッサンドロ・ヴォルタ『異種の導体の単なる接触により起る電気』
c0002171_05341815.jpg
アンドレー・マリー・アンペール『二種の電流の相互作用』
c0002171_05344538.jpg
ゲオルグ・ジーモン・オーム『数学的に取り扱ったガルヴァーニ電池』
c0002171_05350410.jpg
アレクサンダー・グラハム・ベル『電話の研究』
c0002171_05353046.jpg
ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ『非常に速い電気的振動について』
c0002171_05355102.jpg
ルネ・デカルト『哲学の原理』
c0002171_05361668.jpg
ヘンドリック・ローレンツ『運動物体の電気的、光学的現象に関する試論』
c0002171_05363595.jpg
ジェイムズ・クラーク・マクスウェル『電磁場の力学的理論』
c0002171_05370272.jpg
ヘンドリック・ローレンツ『マクスウェルの電磁気理論とその運動体への応用』
c0002171_05372268.jpg
ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン『新種の輻射線について』
c0002171_05374945.jpg
アントワヌ・アンリ・ベックレル『物質の新しい性質の研究』
c0002171_05381087.jpg
ピエール・キュリー, マリー・スクウォドフスカ・キュリー『ピッチブレンドの中に含まれている新種の放射線物質について』
c0002171_05383514.jpg
マリー・スクウォドフスカ・キュリー『放射性物質の研究』
c0002171_05385633.jpg
エルヴィン・シュレディンガー『波動力学についての四講』
c0002171_05393411.jpg
ロバート・A・ミリカン『電子、陽子、光子、中性子および宇宙線』
c0002171_05565395.jpg
湯川秀樹『素粒子の相互作用について』
c0002171_05400131.jpg
合衆国戦略爆撃調査団『広島、長崎に対する原子爆弾の効果』
c0002171_05403150.jpg
マックス・プランク『正規スペクトルのエネルギー分散則の理論』
c0002171_05405047.jpg
ニコライ・イヴァノーヴィッチ・ロバチェフスキー『幾何学の起源について、カザン帝国大学記要, 25号(1829), 27号及び28号(1830)所収』
c0002171_05412501.jpg
ゲオルグ・リーマン『幾何学の基礎にある仮説について』
c0002171_05414950.jpg
ヘルマン・ミンコウスキー『空間と時間』
c0002171_05421584.jpg
アルベルト・アインシュタイン『一般相対性理論の基礎』
c0002171_05424173.jpg
アルベルト・アインシュタイン『特殊相対性理論及び一般相対性理論』
c0002171_05430433.jpg
アルブマサル(アブ・マァシャル)『占星術』
c0002171_05435303.jpg
ガイウス・プリニウス=セクンドウス『博物誌三十七書』
c0002171_05443092.jpg
ジョルジョ・ヴァザーリ『最も優れた画家、彫刻家、建築家の生涯』
c0002171_05450586.jpg
ヨハネス・ヘヴェリウス『天文機械上巻』
c0002171_05452940.jpg
ブレーズ・パスカル『液体の平衡及び空気の質量の測定についての論述』
c0002171_05461147.jpg
セバスチャン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン『要塞都市の攻撃と防御 第I、II巻』
c0002171_05465188.jpg
ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ『力の保存について』
c0002171_05473187.jpg
チャールズ・ダーウィン『種の起源』
c0002171_05475305.jpg
グレゴール・ヨハン・メンデル『植物=雑種についての研究』
c0002171_05481830.jpg
アレクサンダー・フレミング『アオカビ培養基(ペニシリウム)の抗菌作用』
c0002171_05483797.jpg
ジェームズ・ワトソン, フランシス・クリック『核酸の分子的構造』
c0002171_05490159.jpg
アメリカ合衆国航空宇宙局(NASA)『アポロ11号任務記録(月着陸交信記録)、月面への第一歩』
c0002171_05492046.jpg
c0002171_05494051.jpg

by wavesll | 2018-09-20 05:59 | 展覧会 | Comments(0)

BBC 『戦争と平和』 戦火と恋、爛れなき誠の幸福へゆく人間賛歌

c0002171_04233560.jpg
BBCによる『戦争と平和』をみました。
トルストイによる大長編として知られる古典作品のドラマ化。放送はもう数年前なのですが、大分間を開けながらちょぼちょぼ見た結果、足掛け2年ほどかけてみることになりました(苦笑)

と、いうのも原作を未読だったのですが、特に序盤はドロドロ系のメロドラマで。主人公のピエールのぼんくらっぷりも相まり、みるのがかなりエナジーを使う感じで。後半になるにつれ戦争が繰り広げられ物語の速度強度が増していく構成。司馬遼太郎『坂の上の雲』なんかは青春篇の方が面白く日露戦争になると面白くなかったのですが、映像化されたこともあってか逆の読後感となりました。恋愛描写と戦火の両立は脚本家が『ブリジット・ジョーンズの日記』や『ハウス・オブ・カード』のアンドリュー・デイビスという複数ベクトルのバックボーンがある方だからかもしれませんね。

ヒロインのナターシャがなんか見た覚えがあると想ったら『ベイビー・ドライバー』や『シンデレラ』のリリー・ジェームズで。美麗なれどもその浅慮から悲劇も浴びる女性。そしてその恋の相手となるアンドレイ役のジェームズ・ノートンもいかにも英雄然とした立ち姿は秋山好古のようでもありました。

一大歴史絵巻であると共にポール・ダノ演ずるピエールのビルドゥングス・ロマン。空想的で地に足のついてないボンボンから、渡世の辛苦、決闘、そして戦争を越え、苦しみの中で逞しさを増していく姿には心を随分と感銘させられました。この役者さんの説得力は凄いですね。

そして、戦争の対比となる「平和」なのですが、平和がいつまでも過ぎると爛熟するというか、恋愛を越えた性愛や、貴族のマウンティングの戦が起きるのは人間社会の業ですね。その贅肉が戦争によって洗い流されて、純粋な仲間意識が育まれることもある。

けれども敵による非道な支配や破壊をみたり、また『この世界の片隅に』『火垂るの墓』をみた後の私たちは戦争における日常は同胞の間でも美しいだけではない、人の醜さや軋轢が出る極限状態だと知っています。そして大阪や北海道の災害を目の当たりにした今、安易に悲劇に美を見出すことの愚を知っています。

極寒でも極暑でもなく、恋愛の花が咲くくらいの刺激気候にあれれば良いかもしれません。しかしそれにはきっと自分を律する意思が要るのでしょう。また速度を出す快楽を否定するというか、あまりに規範を絶対視するのもHuman Rightsの否定になります。ピエールもただ安牌を選び続けたわけでもなく、虎穴にいることで成長を掴みます。

誠と賭けとの試行錯誤が人生なのかな、そして仮にどん底へ落とされても道を切り拓いていくのは己、そんな人生賛歌が描かれたドラマでもありました。

by wavesll | 2018-09-08 04:45 | 映画 | Comments(0)

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』 人種差別への高らかな反論であり世界を記述する貴さを感じる大著

c0002171_11083389.jpg
ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』を読みました。
パプアニューギニアで投げかけられた「あなたがた白人は沢山のものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それは何故だろうか?」という問い。

ユーラシア大陸の民が文明を発達させたのに対して、石器時代に近い暮らしを続けている民もいる。果たして何故そのような違いが起きたのか。この巨大な問いにジャレド氏は多種多様な学問的知見を通して応えようとします。

”文明が民族によって異なる歩みを辿ったのは何故か?”ジャレド氏は先ず俗説を退ける處から本書を始めます。
その俗説とは例えば「民族によって知能に格差があるから」、「南の熱い地域よりも北の地域の方が文明が発達しやすいから」など。

けれども遺伝子の淘汰から言えば、文明によって守られた地域よりも原生林で暮らす方が”賢くなければ生き残れず子種を残せない”し、四大文明が発達したのは非常に暑い土地でした。

また「ヨーロッパには銃・病原菌・鉄があり第三世界を征服できた」との説、確かにそれは直接的な要因だけれども、では何故欧州に銃と病原菌と鉄がもたらされたのか。その究極的な要因をジャレド氏は求めようとします。

その結論とは「ユーラシアの肥沃な三日月地帯には食料栽培に向いた原生植物があり、そして家畜化可能な大型哺乳類が生息していた。その結果余剰が生まれ、政治家や軍人、発明家などを養うことが出来る国家規模の集団が生まれた。さらに南北に長いアメリカ大陸やアフリカ大陸と異なり、ユーラシア大陸は東西に長かったため、食糧栽培の伝搬とそれに伴う技術の伝搬が起こりやすかったためにイノベーションが発達しやすかった」というもの。

本書が持つ最大のメッセージは”人種による優劣はなく、人類文明の発達には環境的要因が大きく影響している”ということ。それを博覧強記の智見により解き明かしてくれたのでした。

人類文明の各地での違いが起きたのは1万3000年前の氷河期の終わりから西暦1500年までの辺り。700年前にアフリカで生まれた人類はグレートジャーニーによって紀元前1万年前には南米に到達、紀元前4万年には船を使ってオーストラリアに到達し、ニュージーランド沖のチャモロ諸島に西暦1300年には到達しています。そこから1492年の西洋と南米先住民の接触と征服へと歴史は続いていきます。

この記述を読んで「そうか、人類の最後に定住地として到達したのはニュージーランドだったのか。ポリネシアの民はきっと進化によりソフィスティケイティッドされていたのだろう」なんて私は想ったのですが、そんな当てずっぽうは第二章のマオリ族によるモリオリ族の虐殺のエピソードによって論破されます。

第三章ではペルーのカハマルカ高原に於いてピサロがインカ皇帝アタワルパを圧倒する現場を当時の手記からありありと書き上げて。アタワルパが余りにも無防備だったのは文字が無かったために非道な欧州人の人間パターンをインカの民が認識できなかったという事情が語られます。

彼らの差異はどこから生まれたのか?それは農耕に適したエンマーコムギやエンドウ等8種の「起源作物」の多くが肥沃な三日月地帯に自生していたこと。そこからより収穫しやすいように品種改良が続けられていったこと。逆に南北アメリカではトウモロコシの原種とも言われるテオシントは食べるのに適していず、カロリーを取れ狩猟採集に対抗できるまで品種改良するのには長い時が必要だったという事が大きかった。

そして家畜化可能な動物に関しても、ペットを越え農耕や軍事など大きな益をもたらす大型草食哺乳類の「由緒ある14種」のほとんどがユーラシアにいたという幸運も大きかった。これは時代が下ってから人類が到達した南北アメリカやオーストラリアでは、発達した狩猟技術が人間の脅威に慣れていなかった動物を絶滅に追い込んでしまったことも大きかった。

これらの栽培植物の伝搬に於いてユーラシア大陸が東西に長かったのも発達に大きく関わりました。というのも同じ緯度だと日照時間や雨などの気候条件が同じになりやすいため。これに対して南北アメリカやアフリカでは、緯度が大きく異なるために栽培植物を伝搬させることが非常に難しかった。

さらに家畜と共に暮らした結果として家畜由来の病原菌が人間にも発病させ、その結果免疫を発達させることになったことがヨーロッパ人にとって他の大陸を征服するのに有利に働きました。インカの民やネイティヴアメリカン、そしてアボリジニやポリネシアの人々などは直接殺されるよりも欧州人が持ち込んだ病原菌で夥しく死亡していくこととなりました。

これらの病気が蔓延するためには人口が大きいことが必要ですが小規模血縁集団(バンド)から部族社会(トライブ)、そして首長社会(チーフダム)から国家(ステート)へと巨大化していくには食料生産も大きな要因で、社会の規模が大きくなると灌漑なども整備で木、さらに集約的な食糧生産が行え、人口が増え、平等な社会から集権的なシステムがさらにつくられるという流れもありました。

文明の大きな要素である文字は今までの人類史で独自に発明されたとみられるのはシュメール、中米、中国くらいで、その他のエジプト文字などはそこからの模倣によって生まれたとの立場をジャレド氏は取ります。

音素を顕わすアルファベット、音節を顕わす日本のカナ文字やギリシア・ミケーネ文明の線文字B、そして漢字などの表意文字。これらの文字システムの成立過程において、表意文字を同音異義語に応用するというイノベーションが大きな変革となったと語られています。

alephがセム語で雄牛、bethが家、gimelがラクダ、dalethがドアといった語源や、アーカンソー州でアルファベットのアイデアを知り自らチェロキー・インディアンの文字体系をつくったセコイヤという人物の話やイースター島にも独自の文字があったという話も面白かった。

そして下巻のほとんどはニューギニアや中国、アフリカ等の先史時代からの人々の変遷について書かれていて。オーストロネシア人という人々がいたこと、アフリカには黒人・白人・黄色人種の他、ピグミーとコイサン族という民族がいる事、マダガスカルには古代に大移動してきたボルネオの血が濃く残っている、そして気候の違いからコイサン族が喜望峰の辺りに進出できなかった故に南アフリカが白人に占領された事等、全く知らなかった物事を知らせてくれました。

ジャレド氏は、環境によって文明の歩みは違ったと論じますが、決して人間個人の自主的な先取性を否定するわけではなくて。けれども大河のような歴史を科学するという上で、人類の歴史のメカニズムを解き明かそうという大事業の大きなメルクマールを本書は成しえたと感じます。その上でエピローグでは”なぜユーラシアの中でも欧州が特に力を持ったのか”などの残された課題も語られています。

また本書は真に博覧強記な執筆で、コーラナッツというアフリカの植物は初期コカ・コーラに使われていたとかマカデミアナッツはオーストラリア原産だとかアラム語の齟齬であるセム語系の発祥はアフリカにあるなど変幻自在なのだけれども、「文明の異なる発達は環境により大きな影響を受けた結果」という巨大な論のための縦横無尽故に一本筋が通っている論を読め散漫な印象はないという感慨を持てました。

人種差別への高らかな反論であり、人という種族がいかに生きたか、その営みに深く届く書物。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』では文明以後の中南米や東南アジアの知られざる世界史を学べたと想いましたが、本書ではポリネシアやアフリカを知れ、自分の中で地球史として一つのパースペクティヴを持てた気がして。世界を記述する貴さを味わうことが出来ました。





by wavesll | 2018-08-30 06:51 | 書評 | Comments(0)

本田静六『私の財産告白』 富の築き方と渡世法

c0002171_02592308.jpg
この間に続いて1000冊読んだ京大生が薦める44冊からの一冊。これはちょっとした古典の風格があって、そしてサクっと読めて良かった。

極貧生活から東大の教授となり、その貯蓄・投資生活から莫大な財産を築いた本田静六氏が財産のつくりかたと渡世の仕方を語った本。何しろ机上の空論でなく、自らが実践したことについて記されているから強度があります。

シンプルだけれど、強靭な一念がないと出来ないであろう「本田式『四分の一』貯金」には感じ入りました。財形貯蓄の走りと言うか、給料の1/4を天引きで貯金して、カツカツでも生活してしまう。さらに著述などの臨時収入は10割貯金してしまう。恐れ入ります。

そうして出来た貯蓄を雪だるまの芯として投資をする。これは投機になってはいけない。投資するために借金は一切しない。「二割利食い、十割益半分手放し」という投資法は村上世彰『生涯投資家』で語られた彼が父から学んだ『株は上がり始めたら買い、下がり始めたら売る。一番上で売ろう、一番下で買おうとしてはいけない』という教えに通ずるものを感じました。

「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず繰り返す」という本田さんの言葉にはケインズ的な慧眼も感じて。「二杯の天丼はうまく食えぬ、沢山の天丼を注文して一杯食うのではなく一杯の天丼だけ注文して舌鼓を打つところに本当の味わいがある」という話には効用の逓減の法則を掴んだ知恵を感じました。

そして”「義理をかき、人情をかき、恥をかく」貧乏故の吝嗇でなく、自分の分を知って自己を抑制し一切の無駄を排す節倹をせよ”というくだりには、縁に金をしぶり、趣味・娯楽に金を遣う自分自身の行動を顧みる機会となって。藝術や旅は私の人生の愉しみですが、せめて生活レベルを落せるところは見栄をはらずに纏・絶・硬をしようと、早速晩酌をクラフトビールからスーパーで税抜き109円の本麒麟に変えたりしてます。「貸すな、借りるな」も本当に膝を打って。

そして『私の体験社会学』では「失敗は人生の必須科目、これなしに成功はなく、一度や二度の失敗に闘志を失うな」には刺激を受けました。また「馬鹿正直なだけでなく商売はアヤも大事だ」というのも考えさせられるし、逆に「偽善的によけいな謙遜はせず自らの能力を最大限に発揮すべき」という話や、「人を使うには使われるものの身になってすべてを考えよ」という話も腑に落ちて。

特に人を使うには何にでも口出しせず自主性に任せながら、きちんと目を配り人事配置などで”わかってるぞ”というのを示し、きちんと名前を憶えて人間として大切みを感じさせ、部下の意見もきちんと聴く、そして叱る時は「三つ褒めて一つ叱れ」。十分に他者の話を聴いた上で自説を述べ、最重要部以外は他者に花を譲るというのも”素晴らしい人心掌握術”だと。

そして立身出世のためには「勉強の先回り」が大事で、「職業道楽化」が一番いいと。「天才マイナス努力」より「凡才プラス努力」の方が必ず勝てるという兎と亀な噺には鼓舞され、『人生即努力、努力即幸福』という最終結論には感じ入りました。

事業/仕事など“やるべきこと、やらなければならないこと”を“やりたいこと”とし、社会に貢献することは大したもの。給料1/4を天引きで貯金することを為しえた精神の強靭さには舌を巻き、趣味だなんだいってる自分も詰めの垢を煎じて切り詰められるところは切り詰めなきゃなと想いました。また本田翁は毎日必ず一頁ものを書いていたそうで、これもBlogをやっている人間からすると毎日というのは驚異で。語り掛けられた言葉に上手く触発されていきたいな等と想う處です。

by wavesll | 2018-08-08 03:48 | 書評 | Comments(0)

滅びの美学と新時代をつくる野卑 ルキノ・ヴィスコンティ『山猫 完全復元版』& ちきりん『マーケット感覚を身につけよう』

El Gatopardo (1963)

先日TLで話題になったのが【1000冊読んだ京大生が選んだ】大学生のうちに読んどくと差がつくおすすめの本44冊!という記事で、それへのTwitter上の反応の多くは「人文系がないのはがっかり」というような批判が多かったのですが、一度相手の技をしっかり受けてから反応を返すのがプロレスラーだと想い、図書館に予約を入れてタイトルが気になった書籍を読んだのでした。


ちきりん氏は完全にプラグマティズムで市場の原理を支持する立場で、伝統的な、或いは規制に守られた安寧は打ち壊されるリスクが大きいから、どこに価値が生まれるかの想像力を働かし、非伝統的な価値観にも働きかけて新たな時代の市場に適応できるように努めようという話で。

”ANAの競争相手は何か”などの様々な具体例を交えた立て板に水な説明に”ほう…”と想いながら、私の脳裏に浮かんだのはイタリア・フランス製作の名画『山猫』でした。

シチリアの貴族がイタリア統一という時代の大きな変わり目に於いて古い美意識に殉じ没落の未来へ向かう姿が描かれている映画で。

主人公のサリーナ公爵は何ともダンディズムにあふれ、様々な伝統的価値観に基づいた”やるべきだったこと”をハイレベルに行えて、彼のパワーといい立ち振る舞いと言い全く以て男の格好よさの極致で。

しかし変革の時代においては、儀礼で在ったり理念に拘泥するよりも、若き甥タンクレーディや財力と政治野心を増す市長のセダーラの方が、質は低く野卑だとしても”次代をつくるのはこの者達のエネルギーなのだ”と感じさせられて。

その点でいうとサリーナ公爵はあまりにも完成度が高いけれども、恥をかくことが出来ず、統一イタリアの新政府から議員になってこのシチリアの状況を好転させる働きをしないかと言われても「シチリアは変化を望まない。眠りにつきたがっているのだ」と断って。

Uberもそうですが、新技術であったりは粗があります。サービスの質は例えばロンドンのブラックキャブの方が高い。けれども圧倒的な利便性が時代を変革していく。そんな中でサバイヴしていくにはタンクレーディの「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」という姿勢が正しくて。

でもその際に人の心の機微が「不合理な芥」として捨象されるというか、溜まって馨る時が積み重ねた価値観の美への敬意が全く打ち壊される、先の京大生のチョイスに対する回答ではないですが、あのリストで捨象された人文は人間性の研究ともいえるかもしれません。そうしたものと共に滅んでいく美学もあるなぁと想います。

その上で、逆説的に「自分の過去の誇りや質の高い行為が出来る處に篭り、恥をかいたりチャレンジから身を引いては、それは滅びへの道なのだ」とも感じて。

今の時代は大変革が起き、ヘゲモニーもドラスティックに変幻する世界で。そんな世界を生き馬の目を射抜いて生くにはたとえ完成度が低くなるにしてもドライヴし続けることが大切だろうなと。そう想った夜となりました。

by wavesll | 2018-08-03 01:05 | 映画 | Comments(0)

堀辰雄『風立ちぬ』 綺麗で甘いだけでない現実のえぐみが描かれた純愛小説

夏はプールなんかも好いですが、何か本を読みたくなるもので。

家の中で積読というか、買ったはいいが読まずに放置していた本を物色していたら堀辰雄の『風立ちぬ』がありました。”おそらく宮崎駿のアニメが公開されたときに買ったのだろうな、よし、薄いしこれ読むか”と手に取り、そして惹き込まれ、読み切りました。

舞台は1930年代前半。主人公は(おそらく)そこそこ資産のある家の息子。あの時代は高等遊民なんて言葉もありましたね。彼がある夏の日に病弱な令嬢、節子と出会い、そしてサナトリウムにて死の影を感じながら二人、生を幸福に生きようと愛の罅をもがく様が描かれて。

こう書くと”『セカチュウ』みたいな未熟な者同士の『純愛モノ』かよ”と想ってしまうのですが、この本は堀辰雄自身の経験が反映されているらしく、小説家の目は現実の苦さもありありと映し出します。

例えば主人公が小説の途中から節子さんのことを指す主語が「病人は~」となります。そして偶に「節子は~」となる。いかに相手を愛していたとしても、病人と暮らすときに差し込い涌かざるを得ない昏い想い、相手のイメージが「病人」とラベリングされてしまう悲劇が冷徹に画き出されます。

一方で主人公の方も言ってみたらプー太郎ですから、サナトリウムに付き合うという名目はあるけれども、どうにもモラトリアムに浸かっているひ弱さがあって。そして彼は節子さんに「我が仕事として此の日々を小説としたいがいいか」と持ち掛けOKを得るのですが”こうした私小説は現代においては様々な問題からリリースされずらいだろうな、さしずめアラーキーのようなことになるだろう”なんて思いながら読んでいました。

そして小説家は”この悲劇を小説のネタとして捉え、形よくまとめようとする傲慢さ”も書くのです。その指摘は半ば弾劾。厳しい視線が己の姿勢に向けられたのは痛みをもネタにしようという小説家の業への罪悪感からでしょう。

力のない自分へのコンプレックスの結露か、節子さんが彼女の御父上の訪問に対して非常に喜ぶことに主人公は敏感に反応します。彼女との彼の日々は、社会から隔絶された八ヶ岳山麓のサナトリウムで、あまりに微に細に入った心模様となって、しかしそれゆえに非常なリアリズムを以て立ち現れていました。

と此処まで読んで”古典とは言え、ネタバラシが酷いのではないだろうか”と眉をひそめた方もいらっしゃるかもしれません。ただ私はこの小説の本質的な魅力はプロットの骨組みにあるというよりも描写の筆力、殊に風景描写の筆致にあると想うのです。

移り変わる季節の中で、主人公と節子の心理状態、さらには生命の燈火がどうなっているかが彼らがみる風景の中に顕わされて。直接的な表現でなく、映像的、あるいはトーンによる詩情で物語が展開されるのが感心されます。

最初の方は”元祖スウィーツ小説か”とあっさり読んでいたのが、最後は重く胸が締め付けられて。主人公と節子は確かに未熟で、力がなかった。けれど、そこには生きることで二人倖せを求めよう、二人の生活を歩もうとした純粋で甘いだけではない、けれど確実に存在した彼らの軌跡があった。そう読めました。

by wavesll | 2018-07-25 05:06 | 書評 | Comments(0)

ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体』ーナショナリズムの産出、exクレオール世界の認知

c0002171_22064756.jpg
ベネディクト・アンダーソンによる『定本 想像の共同体』を読みました。

ナショナリズムを生む"国民意識"というImagined Communitiesが歴史上どのように生まれ得たか。氏はこの起源を近代において宗教共同体と王国というシステムが崩壊し、そこに前後して出版技術の革新による言語・フォークロアの元で欧州に於いて”国民意識”が生まれたとします。

そこから世界各地に国民意識、ナショナリズムは広がっていくのですが、本書を読んでいて面白いと感じたのは南米アメリカにおけるクレオールのナショナリズム勃興の話や東南アジアにおける植民地下での国民意識の創成が語られていたこと。いわゆる受験世界史だと南米や東南アジアの歴史はなかなか学ぶことが無かったので、新鮮に感じました。その点でアフリカにおけるナショナリズムの話も読んでみたかった気がします。

クレオール、つまり「植民地生まれ」という存在が如何に行政的な出世の巡礼が制限されていたか、それは即ち生まれによって人間が差別されるということで、現代においても人種差別や移民問題など、極めて重要な意味を持つ歴史的ファクトだと感じました。

王室による公定ナショナリズムと帝国主義、そして革命のモジュール化。数世紀に及ぶ全球的な論考を浴びることで自分自身も細石なスケールでなく巖のスケールに器が拡がるような感覚が生まれて。ここら辺の歴史絵巻は映画『山猫』におけるガリバルディと貴族の落日をみた気持ちにも通じるものがありました。

著者の縦横無尽な博覧強記ぶりには本当に感銘を受けて。例えば『ヴェトナム(越南)』という国名は当初『ナムヴェト(南越)』にしようとしていたところ中華から横やりが入って決まったものだとか、思わず”ほう…”と零れるような話が盛りだくさんで、その夥しい知見を編み上げる手腕にほれぼれとする書物でした。

スヴァールバル諸島のロングイェールビーンのような労働ビザなしで働けるフリーゾーンもある一方で、軽い處ではW杯などもそうだし、ここ数年のグローバル化へのバックラッシュもそうですが、今でも「国家」という意識は大きなプレゼンスを以て鮮烈に存在しています。されどそれは(歴史の中で強化されてきた)想像の存在であるという論考に目を瞠って。

本書で取り扱わなかった範囲としてアフリカの他中東もそうだと想います。本書をさらに拡充させるそれらの地域の研究もその後為されているのでしょう。日本に於いて海外の報道はただでさえ少なくて閉口ですが、普段注目されない土地へ光を当てる巖のような書籍へさらに手を伸ばしていきたい、掘り下げていきたい。そんな開拓心に駆られる読書となりました。

by wavesll | 2018-07-21 00:02 | 書評 | Comments(0)