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『エジプト神話集成』杉 勇 翻訳 , 屋形 禎亮 翻訳 人の理解を超越した神の争いと分かり過ぎる人の世の教訓文学

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『エジプト神話集成』杉 勇 翻訳 , 屋形 禎亮 翻訳(筑摩書房)を読みました。

古代エジプトは紀元前3000年頃に統一王朝が誕生したと言われる。ファラオ(王)たちが永遠の命を求め、神々への賛辞を謳う一方で、庶民のある者は労働の苦労や恋心を歌にし、またある者は官吏になることを目指してさまざまな教訓を学んだ。ピラミッドに刻まれた碑文やパピルスは、太古の言葉を今に伝える重要な資料である。本書は「ホルスとセトの争い」、「メンフィスの神学」など有名な神話に加え、「ピラミッド・テキスト」、神々への讃歌、処世訓などを原典から直接訳出して収録。後世の神話や文学にも絶大な影響を及ぼした作品がここに蘇る。

という本書。神にも比される存在であるファラオ、そして領主の絶対権力と市井の人々の苦難、そして人智を超えた神の世界。生き生きとかの地の伝説を今に伝えてくれます。

特に強い印象を受けたのが『ホルスとセトの争い』というイシスの子であるホルスとオシリスの弟であるセトの争い。これが本当に理解不能というか、双方男なのにお互いに精液を相手に注いで孕まそうとしたり、変身・策謀なんでもありの神々の闘いは安能務そして藤崎竜による『封神演義』を見るかのような幻想バトルが展開されていました。

また日本の神話もそうですが、エジプト神話も「人間界の王」の上に「神界の王」が居り、それとは別にさらに上の世代に「国産みの神々」がいて。つまり王権を握った一族の守護神が世界をつくった訳ではない。そこに素朴な謙虚さを感じたり、「世界の始まり」はやはり不可知の神秘なのだなと想いました。

そして時代は下って、人の世。古代エジプト文学の最も特徴的なものに”教訓文学”というものがあるというのを今回初めて知って。例えば『宰相プタハヘテプの教訓』はほぼ完全な形で残されている最古の教訓文学で、引退する宰相プタハヘテプが彼が継がせようとしている息子に対して伝達する教訓となっています。

これはつまるところ処世術なのですが、この中で幾度も伝えられていることが「余計なことは喋らず、沈黙が身を助ける」ということで。BlogやらTwitterやらやっている身としてはなんとも耳が痛いのですが、確かに時に言葉を発するよりも黙ることで相手の言葉を引き出した方が上手く物事が行くことってありますよね。

この教訓文学では「己の知識を誇るな」とか「どんな相手でも礼を以て接せよ」などが書かれていて。これはつまり”傾聴せよ”ということに繋がっているように思います。『雄弁な農夫の物語』もそうですが、古代エジプトにはべしゃりの才が迸った人が多かったのかもしれません。

必要とされる時に言葉を発する。激情に流されない。SNSで色々なものが漏洩してしまっている今こそ古代エジプトの智に耳を傾けるべきかもしれません。

聖蛇と鰐が戯れるナイルの物語は神の美をもって古の空気を伝えてくれます。注訳がとにかく多く、そこは初読では飛ばしながら読まざるを得なかったのですが、注に頼らずとも脳内にヴィジョンが浮かぶようになったら本当に面白くなっていくタイプの本かも。現在、政情が不安定な地ではありますがいつか彼の地を訪れ、砂漠の風、ナイルの熱を浴びてみたくなる、そんな興味を喚起される書物でした。

by wavesll | 2018-04-02 20:42 | 書評 | Trackback | Comments(0)

『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”』ウルトラマラソンにかけることへの愛

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『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”』を一気呵成に読んでしまいました。超弩級のスゴ本。ベストセラーになるには理由がある。これ読んでブチ上がらない人類はいないって出来。

物語は著者がランニングで足を痛め、医師達から「ランニングは足に悪いからやめなさい」と言われ続け、それでも走りたいと調べメキシコ辺境に棲む”走る民族、ララムリ”が「80才でも数十キロ走る」と聴き、彼らを探し当てる旅に出る処から始まります。

そこで出会った正体不明の男、カバーヨ・ブランコが話すララムリが参加したアメリカの苛酷を極めるウルトラマラソン大会での激烈なるレース!もうほんとここら辺からどんどん話がドライヴしていって。

ナイキを始めとするランニングシューズメーカーへの”裸足派”からの”高機能・高価格よりもローコストのシューズ方が足を痛めない”という批判や持久力走狩りでは女も活躍したという長距離を走ることへの人間の進化生物学的な話、そしてクライマックスは世界最強のウルトラマラソンランナー達VSララムリの精鋭によるウルトラマラソン・レース。矢継ぎ早に繰り出される"RUN"のストーリーがあまりに面白すぎてハイスピードで読破に駆られました。

この本がきっかけで一時期五本指シューズが流行ったり、ララムリの昼夜ずっと走るララジパリという祭りが幾つかのTV番組で取り上げられたりしてこの本へ”文化的な側面での楽しみが大きな読書体験になるかな”と想っていたのですが、本書の眼目は”身体に負荷がかからない太古からの理想のランニングフォーム”と”競走への熱そして愛”だと。特にレッドヴィルの描写は凄まじく面白い。

長距離走は究めて平等なスポーツで、短距離走と比べて男女の差が小さいばかりかウルトラマラソンは女性の方が完走率が高かったり、19才と64才が同じようなタイムで走れたりもするという意外な事実が在ったり、ララムリの走りの秘訣は「楽に、軽く、スムーズに走ることで速くなる」ということは様々なことへの示唆を与えて呉れる気がしました。

また登場人物も曲者揃い。ウルトラマラソンへチャレンジする人たちはやっぱりどこか頭抜けていて、もう走ることそのものへの愛情に満ちあふれていることが伝わって。

金の為でも名声の為でも、誰かに評価されるためでもなく、ただひたすらにRUNNINGの楽しさを駆けていく。誰に遠慮することもなく、自分が出せる最上の100%を走り抜けらえれる歓び。時に無鉄砲でもLOVEがあふるる兵どもの人生懸けの駆ける姿に心打たれました。

私自身いま迄2度河口湖マラソンで42.195kmを走っているのですが最近は弛みまくっているので、これを機にまた駆けだしたい心にMoveされました。ウルトラマラソンはNHKBSのGRATE RACEとかみてると別次元な世界に感じますが、またフルマラソンに挑戦したい。サブフォー、そしていつかアテネクラシックマラソンを走れたらいいなぁ。

by wavesll | 2018-02-28 23:41 | 書評 | Trackback | Comments(0)

2月22日26時に聴く怪談風朗読 萩原朔太郎「猫町(ねこまち)―散文詩風の小説―」



TL曰く2/22はにゃんにゃんにゃんの日と。せっかくなのでこの機会に『猫町』を読もうとシ、この朗読動画を見つけました。『猫町』、こんな話だったのか。

旅の話、それも不思議な旅の話。主人公は普通の旅に飽いて麻薬で精神世界に遊ぶ者で、近所を歩くときもまるで杜王町で起きるような奇妙な体験が語られて。その”わたし”が北陸で体験した妖しい事象の想い出噺。

この不可思議な噺が、しかし素っ頓狂に聞こえないのは”わたし”の語り口が非常に理知的であったということが大きくて。三半規管であったり、軽便鉄道で在ったり、微分であったり。科学的知見が物語をさりげなく支えている。

1935年当時と比べて2018年は科学技術の発達は目を瞠るばかりであり、文学者にとってテクノロジーに文学的な心象風景を託すことに手におえていないのではないか等とふと思い、いやいや、原子力に於ける『鉄腕アトム』、ビデオテープに於ける『リング』、インターネットに於ける『マトリックス』その他サイバーパンク、新技術は文学に新たな地平を造ったではないかと思い直し。

けれど、このレトロな旅行記が持つ古風だけれどもホラーな味わいは、野生の思考的な人間の身体が太古から持っているRhythmを刻鳴しているように感じた。

因習、宗教、迷信。これらの風俗・文化に於ける”異境の味”は、旅に於ける快楽の源泉であって、その向精神的な作用こそが物理移動を越えた精神の移動であると、私は想い、その意味でこの奇っ怪な旅行記はまさしく39:22の異界への旅であると感じた。

その上で、けれどヒトはヒトであって、ヒトとの交わりによる物語性は一種差別的で妄想的なファンタジーを崩していくし、”ちゃんとして”いる。こうした向精神的な刺激を求めることは得てして”スピリチュアル”と浅薄な行為であるとされる。

それ故、こうしたものを旅に求める姿勢は極論的には麻薬を求めるに近いアティチュードであり、どこか後ろ暗いものがあり、その翳の中に静かに、究めて平静を装いながら語られるべきものだなと、私はこの朗読を聞いて想いました。

by wavesll | 2018-02-23 02:22 | 書評 | Trackback | Comments(0)

「俺になれ」を越えて -『高校生のための批評入門』を読んで

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一時期、男友達と話すとどいつにもこいつにも「俺になれ、俺のような価値観を持ち行動しろ」と言われているような気分になったことがありました。

それは恐らく被害妄想で、彼らは彼らの最善手と想う話をしてくれただけで、寧ろ「俺になれ」と望んでいたのは私で、相手が共感を示さないことに独り相撲でイラついていたのかもしれません。

大抵の人にとって最善の行動のラインは一つで。勝ち筋を一つしか見いだせない結果他人に助言する際に「俺になれ」となりがち。それは器の小ささでもあり、”本当に求められている言葉・態度ってどんなものだろうか”と想っていたのですが、この筑摩書房『高校生のための批評入門』はそれを考える一助になってくれました。

この本は批評のメソッドを直接的に解説する本ではなく、11のテーマで選ばれた51の批評文が載っているものです。批評の対象も、芸術作品や文学作品の批評というよりも世界が広くて、イルカ漁に関する反応の話から、奈良時代の世界音楽フェスティバルについての話、さらには「紐の結び目」についての話など多岐にわたっていました。

様々な世界の一端へのそれぞれの著者の視点を批評文ーそれは内なる声、世界への違和感であったり、個人的な想念ーを読み、そして付属の現代文的ワークをみながら感じたのは『違う視点の提供』や『易々と同一化しない』ことの意味。

相手の発言に対して理解を示すことは同調することがすべてではなく、異なる視点、違う人間としての言葉を出すことでもあるのだと。芯を食った批判は時に自分の同調者よりも語られていることを理解していることもあるかもしれないと想ったのでした。

全てが賞賛され、全体が盛り上がるのは楽しいものです。それは例えば「バーフバリ!バーフバリ!」と歓声を上げるマヒシュマティの国民をみても明らか。けれど、大いなる予定調和の中で塗りつぶされようとしてしまう”声”はないのか。その”声”も尊重されるべきではないかとも思ったのです。

ところで私は昔から”空気が読めない”、或いは”変な人”なんて評価を受けることが多かったのですが、個人的にはかなり保守的で付和雷同な人間なのではないかと思っていて。

自分で一から考えるというより”その分野に詳しい人たちの発言を調べ、その最大公約数を情報分析し、自分なりに噛み砕いて語る”ことが基本ラインで。

その結果情報処理は得意になったのですが、問題設定能力、つまり”問い”を創るのが不得手で。自分自身で課題を設定して意思決定する推進力が弱いところ、誰かの後に付いていくのではなく道を切り拓く力が弱いことがコンプレックスで。

自分自身が付和雷同的な人間だから、相手にも付和雷同を求めて「俺になれ」のような感覚を持ってしまっていたのかもしれないと今思います。

そして今回「批評・批判が必ずしも相手を貶すことではない」と腑に落ちたのは、長文で丁寧に文章で諭され、心に栄養を摂取できたことがあったと思います。

自分と違う感性の話を納得するにはしっかりとした分量での語りが必要になるのだと想います。批判自体は良くても、説明が足りていない批判だと価値が認識できず、反発を起こすことがあると。これは「自分の考えが理解されない」と相手の理解力の乏しさを逆恨みする前にも考えたいこと。

他者や周囲と全く異なる考えを持つことを恐れない、或いは相手に安易に同化を求めない。そして安易に譲らない。

言葉を尽くした上で異なる視座が同時に存在することを認める。I'm right, You're right. No one is left here.の心意気を持ちながら個人としての”自らの感覚、或いは違和感”を大切にする。そんな姿勢をこの本から学びました。

by wavesll | 2018-02-07 20:21 | 書評 | Trackback | Comments(0)

他者としての”己の変節”から足場の悪い誠実性に生きるー千葉雅也『勉強の哲学 来るべきバカのために』から想ったこと

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千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を読みました。

勉強することはあるノリ(共同体のコード)から別のノリに移り、ノリが悪くなること、キモくなること。

アイロニーに走って水を差し続けたり、逆にユーモアで連想を広げ過ぎてナンセンスになってしまうことを越えて、自分自身の享楽的なこだわりに自覚的になり小賢しいバカになることを目指すべき。と説く。

その上で有限化というキーワードを駆使して具体的な勉強法も提示するという、非常に読み易く、またフランス現代思想に裏打ちされた書籍となっていました。

東浩紀『観光客の哲学』を読んだ際に”『存在論的、郵便的』と比べてかなり読み易いけれども結局『観光客』についての記述が芯を食ってない”なんて想ったことを思い起こして。

その上で『勉強の哲学』の補論を読むと『観光客の哲学』は哲学の枠組みをダイレクト気味に出していて、『勉強の哲学』は極めて分かりやすく具体例まで噛み砕いてくれている書なのだなと。相当に分かりやすい。

勉強する前の人は無自覚に所属するコミュニティの論理にしたがって生きている。勉強をすると、他者の話にノリで共感を示せなくなって一次情報等の論拠を求めるようになる。

けれど”どの共同体にも越える最終論理はないから、アイロニーの突き詰めは不毛”。等の話はかなり腑に落ちるところがありました。『エレガントな宇宙』を読んだ時に”この世の全てが弦の振動なら人間世界のルールには何の意義もない”なんて思ったことを思い出してw

また「人は誰もマゾヒズムの快楽を得ている」としていて。みなさんがどうかは分かりませんが私は一時期自らを弄ることで悦びを得ていました。それは芸人根性というか、ネガティヴを笑いに換える行為で。この本でアイロニーをツッコミ、ユーモアをボケと説明することの背景にはマゾヒズム=芸人根性という視座があるのかもと思いました。

コミュニティのノリの話だと共同体内部での”役割やポジション”も言動形成に大きな影響を与えるようになる実感があります。

看守と囚人の実験でもそうですし、鶏口となるも牛後となるなかれとは良く言ったもので、自分が下位としてギリギリ入れる集団にいるよりも自分が上位に在れる集団にいる方が活き活きと能力が開放されることはあると思います。逆だと無為に道化になってしまい自己嗜虐に繋がる。

そうした意味で”在りたい自分であれるノリの共同体”をみつけることは人生に於ける幸福度を極めて高めることになるのではと想います。それは本書に於ける”享楽的なこだわり”を共有しあえる場なのではと。

その上で”ノリを変えること”が”過去の自分から変節し裏切ること”でもあるように私は思ってしまうのですが、それは決して悪いことだけでもないのではないかと思うのです。

例えば私は生徒の頃は勉強と漫画が好きでその後はロックンロールに心酔したのですが、その頃は漫画やロックの非常に強い刺激に麻痺し等身大の刺激に反応できない状況がありました。

言葉でのバーチャルな学びをするだけで生身の感覚を知らなかった。素晴らしい藝術は精神を加速してくれますが、それは他者の創造物。その後自分で手を動かしたり人生の現場を潜り抜けることで挫折も含め己の身体性の分を知って行くことになりました。

そうしていく内に世間一般として音楽のプレゼンスが落ち、そして”ダッド・ロック”と言われるようにロックがクールさが目減りしてラップ、R&B、ジャズ、或いはアイドルなんかが時代の寵児になって行って。私自身の聴く音楽もロックだけに止まらない、新たな領域に拡大していくのを少し後ろめたい気持ちを持ちながら拓いて行きました。

そうなると昔の言動から変節するところが生まれてきます。それは昔の自分の責任を放棄しているのではないかと想ったり。

けれど、今は”逆にそれがいいんじゃないか”と。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という格言に対し”俺は愚者だなぁ、実際に自分がそうならないと解からない”と思うのですが、ここで効いてくる。

『己の変節』を経験することで、他者としての”昔の自分”と”未来にそう変節するかもしれない自分”に想像力や共感が及ぶというか。今の価値観が絶対でないと想えること、不安定で宙ぶらりとした居心地の悪さはありますが、一種の誠実さがある態度になる気がしているのです。

別の可能性を想起することは自信満々の態度を取れなくなってしまう気もして、それは時に信頼を得難かったり他者の押しに脅かされることもあります。誠実であるよりもハッタリをかます方が現実的な力を得ることも。それでも”己の正義”に少し斜めの目線を持つくらいの用心深さを持つ老獪さが最新の最適解だと今は想う所です。

先日出た『メイキング・オブ・勉強の哲学』も気になる處。勉強は必ずしも現実的にいいことばかりでもないですが、自分なりの誠実な勝ち筋を探究していけたらいいなぁと。そして此の記事自体が脱共同体的で自己目的的な享楽のノリの語りに他ならないなと思ったのでしたw

by wavesll | 2018-02-05 23:08 | 書評 | Trackback | Comments(0)

東浩紀『観光客の哲学』感想:壊さないでネットワークを育むまなざしにふわふわした真摯さをみる

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漸く2度目の読了を終えました。

『観光客の哲学』という題名ですが、具体的な個別の観光の話をするのではなく、特定の共同体にのみ属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもない「観光客」という像を以て「他者論」を行うという本書。

そしてその奥にあるテーマとしては「人として成熟したと認められるにはどう成ればいいのか」というもの。

ヘーゲルに於ける「国民となること」、そして国際社会の市民となることという個人→家族→国民→世界市民という流れではなく、観光客というふわっとした存在の「誤配」性を以て世界平和に寄与するという論旨。

『人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実に社会をつくる。なぜか。』というルソーの解釈。或いは『現代社会における政治(ナショナリズム)=上半身と経済(グローバリズム)=下半身の二元統治の上でリベラリズムをリバタリアンやコミュニタリアンが越え、〈帝国〉にマルチチュードが反旗を翻す』といった現在までの思想史の論じ方は非常に面白く読めました。

特に面白かったのは第一部の終盤に論じられたネットワーク理論。「スモールワールド」と「スケールフリー」という「べき乗分布」の枠組みによってウェブページの被リンク数や年収の分布、都市の規模と数の関係、論文の引用頻度と点数の関係、戦争の規模と発生数の関係、書籍の部数と出版点数の関係、金融危機の規模と発生数の関係、地震の大きさと頻度の関係、大量絶滅に於ける絶滅種類と頻度の関係が説明可能だというくだり。

ネットワーク理論により、人間社会の構造をあたかも自然現象であるかのように説明する言説の可能性が久々に現れた知的興奮がそこにありました。

その一方で第二部で提示される”成熟のカタチ”として「不能の父親として嬰児に触れるように他者と交わる」というアティチュードは、結局のところ問題の先送りというか主体的なプレイヤーであることの放棄な気がしたのも事実でした。

ただ、それも含めて東氏のありのままの思想表明となっていたというのはひしひしと感じて。

多くの先行研究である思想史の解説、繋ぎ合わせが大半を占める構成は批評家がかける”編むことによる先端の更新”であると感じたし、その二次創作的な姿勢から”創造至上主義者”から大なり小なりの批判を受けた結果であろうエクスキューズの多さにしても、そして「親子」という解も借り物でない実体験から生まれてきていることも含めて、東氏の今出せる棚卸的な本音の著作と感じました。

本書に於ける不満は「結局”観光客”という存在は何の意義をもたらすのか」が具体的に語られないところだと思います。

観光客というのは結局のところその行動としては「傍観者」。けれど例えば私自身先日のネパール旅行で生のカトマンズにて思った以上に文化財が残存していることを体感してそれをTweet等で拡散したことから「ネットワークに”近道”を創る」ことを実践したかもしれないと思って。

観光客は直接的に旅先の政治状況を動かすことはなく、或いは郷里の状況を決定的に動かすこともないかもしれないけれども、ふわふわした眼差しのRootを繋げることで、蝶の羽搏きを惑星にもたらすことはあるかもしれないと想いました。

それは”壊さないで、育む”親としての眼差しかもしれない。さらに言えば去勢された父親を肯定するとは戦後の米国に雌伏するこの国の姿を認めることでもある。いのちを繋げていけば未来が営まれる。そう想ったときに、第二部の意図するところにわずかばかりの共感を持てた気がしました。

by wavesll | 2018-01-19 21:00 | 書評 | Trackback | Comments(0)

今井孝『起業1年目の教科書』:動き出しは軽やかに。間口はライトに。そして関係構築には最大限に力を注ぐ起業指南書

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今井孝『起業1年目の教科書』を読みました。
起業というテーマですが、生活全般の”生産性”をあげるような指南書だなという印象を持ちました。

以下、”おっ!”っと想った所を取り上げてみます。

・ありきたりのアイディアで勝負する
・なんでもいいから「最初の一歩」を踏み出す

「画期的なビジネスしか成功しない」ことはない。ありきたりのアイディアでビジネスは十分成功する。最初はパクリでもなんでも小さいところから始めてみよう。

最初から成功するやりかたを知っていて何かを成し遂げた人はいない。「必ず成功する一歩」を探し始めたら踏み出せなくなるので結果を求めず色々やってみる

・夢はなくてもいい
・リスクを取らずにスタートする
・最初は目移りしてもいい
・考えが堂々巡りしてもいい
・健全な下心を持つ

最初から大上段に夢を語ったり、「大きな損害」を引き受けたりしないで「失敗してもギリギリ受け入れられる範囲での最大の挑戦」をする。

『起業家になる』ことを今の状態から徐々に徐々にシームレスに移行していけばいいし、行うビジネスも目移りしながらちょっと手を出して試行錯誤すればいい。

頭がもやもやしているのは脳が情報処理しようとしている証。そういう時は一旦考えなければならないことを書き出してみると客観的に自分を見れる。

社会への奉仕は素敵だが起業家は「リターンを得よう」位が丁度いい。

・世の中に求められているかは気にしない
・ビジネスモデルは後から考える
・身近な人は応援してくれないものと考える

売れるかどうかは売ってみないと分からない。周りのネガ意見に惑わされない。自分の熱意が一番の成功要因。やることを決めたら最初はお金になるかを気にせず価値を磨くことに集中する。

・まず時間を確保する
・今の仕事を8割の時間で終わらせる
・今の会社でテストする
・いつでも復活できる条件をつくる
・退職するまでに伝説を作る

「朝30分だけ起業時間に当てる」とか短時間に集中して時間を取ってみる。その為に「早く終わらせよう」と「仕事を終える時間」を意識するだけで業務はかなり時短できる。効率化のコツは相手の立場で考えて求められるアウトプットを明確化すること。

また「会社で働くこと」を全否定しないで今の会社で色々練習したり事業に失敗しても人生は続けられると想うと色々楽。大失敗でも大成功でも会社にいるうちに大きな挑戦をするのは素晴らしいこと

・お金の不安を最小化する
・テスト用の予算を用意する
・失敗の回数を決めてスタートする

家賃の低いところに引っ越したり生活の固定費をまず計算し、なるだけ圧縮する。逆にビジネス投資は損をある程度見込んで行ってみる。

すぐに結果が出なくても失敗せずに初回で成功させようとするより2,3回テストして失敗する方が成功への近道。失敗に対するメンタルを強くするには「失敗の数」を数えること。100回失敗して改善すれば成功しないことはない。

・5分で目標を仮決めする
・わがままな目標を立てる
・愛のある売り上げ目標を立てる

どうせ目標は変わる。実際に目標に向けて行動しないとわからないので仮に決めてやっていて違っていたら変える。

その際に「起業の成功=家庭がボロボロ」とか無意識に浮かぶデメリットに対して「デメリットが起こならない、両獲りな目標」を立てる。

『年商300億円へ大きくしなければ』とか『~しなければならない』となった時点で経営者は負け。事業にとって納得感のある売り上げ目標を立てる。

そのために「それだけの見込み客がいるのか?」「それだけ営業する時間がるのか?」等の制約を洗い出し適正な単価と数量を測る。

・おおらかにお金の流れをみる
・数字に弱くていい
・お金以外で安心を手に入れる

起業すると金の流れが速くなり焦るが、収支をみる期間を1年や3年など長くとるとかなり落ち着ける。そして経営に必要なのは「正確な数字」でなく「判断できる数字」。大局観が大切。

ゆったりとした時間を過ごしたり家族のだんらんにはそんなにお金はかからない。必要なものを見極めればお金はそれほど必要でない。

・お金をかけずに試作してみる
・オリジナル商品にこだわらない
・絞り込めなくてもよい
・商品開発に他人を巻き込む
・スキル不足を回数で補う
・売れている人をバカにしない

1ヶ月で1回テストするより1ヶ月で3回テストした方がいい。その為に最初はしっかりとした商品を創ることよりキモの部分だけ詰めて何度もフィードバックを受けるといい。

成功している人ほど人の力を借りるのが上手い。周りからのアドバイスを完全に理解できなくても取り入れてみるといい。

最初は他人の商品を扱ったり下請けをしてビジネス基盤をつくったりスキルを磨くのもあり。

絞り込むものを探すことに絞り込むようにし、やりたいことは色々試して納得して絞り込む。

ベテランが1回で上手くいくなら、ビギナーは10回やればいい。

多くの場合、本物志向の人が作る商品は初心者には難しい。裾野を広げるためのマーケティングはとても大切。

・最初は「将来の自分」を売る
・ウリがなくても始める
・安い値段でも最高の仕事をする
・まず仲間を増やす
・最初の1件を大事にする
・応援をしっかり受け取る
・有力者にかわいがってもらう

お客様はそこまで完璧を求めていないことも多い。ビジネスの当初はお客様が育ててくれる。スキル不足が怖いと思う人はお客様との関係を短く観すぎているのかも。

起業当初はウリに拘らず目の前の仕事を一歩ずつ進める。最初のお試しの時に期待を越えてビックリさせればその人は広めてくれるかもしれない。

営業力とはグイグイ説得する力というより「応援される力」。セミナーや交流会でゆるい人間関係をつくると仕事につながるかも。

リピートと口コミのためにも起業してはじめて仕事が取れたらその1件に集中しお客様が満足できるまでやりきるとニーズをつかめたり仕事の流れを一通り経験できる。

仕事や人脈はチャンスにも繋がるがそこから先は自分の実力。成長する機会を頂いていると考える。

・自分の都合で価格を決める
・商品を提供するのではなく、価値を感じてもらう
・価格を上げる理由をコツコツ作る
・値引きはいつでもできると知っている

ビジネスが上手くいかないのは価格が安すぎる場合が多い。安いお客様ほど文句を言う。価格をしっかり設定して商品を磨き価値を伝える工夫をすれば最後にはビジネスは上手くいく。

その為には伝え方や演出に力を注ぐのは大事。洗練ではなく野暮でも”こんな価値・工夫・労力があるという情報”を伝えるといい。そうした価格を上げる理由を一つ一つつくり自信をつけて提供する。小さな改善たちが品質を高めていく。

値下げは最後の手段。理由のない値下げはしない。

・接近戦に持っていく
・商品がなくても情報発信する
・最初は効率を度外視して集客する

起業初心者はスキル、知名度、実績などが足りないからそれらで比較されるような場所(WEBや雑誌広告)でマーケティングや営業を行うのは効率が良くない。

直接会っての営業、お礼の手紙や電話、ちょっとしたプレゼントを持っていったり、距離感を測りながら熱意や人柄で人間関係を築く。

その一方でSNS等を使って世界観に共感してくれるお客様と繋がるといい。とにかく本気で成功させたいのであれば、効率なんて関係なく手当たり次第にできることを試してみる。

・反応を正しく把握する
・100点が無理なら部分点を稼ぐ

しっかり売れている人は「対面営業だったら10人に1人は買ってくれる」「紹介なら3人に1人が話を聴いてくれる」「メルマガやダイレクトメールの反応率は1000人に1人」と反応率を把握しそれに応じた計画を立てて行動を消化している。

契約が取れない時でも紹介だけでもお願いしたり詳しく話を聴いて改善点を見つけようとしたり何とか40点、50点へ持ってこうとする。なんとかすることを楽しんでいるうちに大成功に出逢える。

・最初はあえて厳戒まで忙しくしてみる
・1日を記録する
・地味な作業から価値を生み出す
・エネルギッシュに働ける時間を増やす

起業した最初の3年は何でも試して限界に挑戦。「このスピードは無理だ」と決めているのは自分の常識でやってみると出来ることが多い。そして限界を超えてただ効率化するだけでは無理だという時期には働き方を考えるタイミングかも。

起業するとあっという間に時間がたつのでやったことを「マーケティング」「商品づくり」「業務改善」など目的別に書き出すといい。そして1人で考えている時は最も価値を生み出している時。

また自分の身体の弱点を認識して日頃からケアする。疲れる前に休み、最もパフォーマンスの良い状態で仕事に臨む。

・やる気のない前提で1日の計画を立てる
・今日一日の仕事に集中する
・準備の時間を減らす

人の気力・体力は有限。詰め込みすぎてもスケジュールは破綻するので「自分の精神力に頼らないスケジュール」を立てると計画の進み具合が劇的に捗る。

「本を1ページ読む」とか一番近くの手の届きそうなゴールだけ見るように大きなゴールに到達する為に逆算して「日々やること」を見つけることが大切。

そして作業量が多すぎる時は相手の視点になって自己保身のための準備万端ではなく、「お客様がいかに満足してくださるか」を大事に必要な準備を明確化する。

・チャンスにはまず乗ってみる
・お金を使う基準を持つ
・1割の成功を活かす
・「必ず元を取る」と決める

他の人が躊躇して上手く行くか分からない時こそチャンス。早いタイミングならば何度もやり直しできる。

お金を使う基準は根本的には「見込まれるリターン」で判断。機会損失まで含め、「10の投資に対し10以上のリターン」と10の内9駄目でも残り一つで取り返せるならOKと、歯科が出ない事より何もしなかったことを無駄と想う。

そして投資が回収できるかを他人に委ねず自分で積極的に回収する。特に人間関係の価値は計り知れない。

・「助けてくれる人リスト」を作る
・ITに弱くてもいい
・情報をスピード処理する「箱」を持つ
・売れてない時から人に任せる
・こだわらずにチームを作る
・人に頭を下げる

起業家とは1人ですべてを行う人ではなく、足りないリソースを周りから集めて社会に役立つビジネスをやり遂げる人。例えば日々の仕事に難しいITスキルは必要なく、恐怖心さえなければいい。

インプットする際、例えば「ビジネスモデル」ならば「集客方法」「提供価値」「課金方法」の3つをみるなど「箱」を持ち処理高速化。

経営者の仕事の本質は「売る仕事」。それに注力し思い切って人に仕事を委託するとビジネスのスピードが上がる。

自分と同じレベルを探すと一章見つからない。委託費用を計算する際は仕事単体でなくトータルでの売り上げがどう増えるかを観る。「できること・できないこと」をきちんと連絡したり1人で抱え込まず早め早めに相談する。

チームで作業するには自分自身の価値観を洗い出すことから始めるといい。

そして本気でやりたいビジネスなのであれば頭を下げることくらい平気なはず。誰かに認められるより自分が自分を認める方が先。


本書に通底するテーマが”とてつもなく素晴らしかったり、どこにも恥ずかしくない品質でなくてもビジネスは成功することが十分ある”というもの。最初から完璧を求めすぎず。動き出すハードルを下げることが肝要と説く。

動き出しを軽くして、間口はライトに。しかし関係構築にはマキシマムに精力を注ぎこむ。ここら辺は見城徹 藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』に通じますね。自分が価値を感じたものをフィードバックを受けながら、頭を下げながら、社会に具現化する。

私なんか自分が心血注ぐモノほど他人に任せづらいとか関係構築の重要性への注力とか理解は出来ても血肉とならない部分はまだまだありますが、「適正な価格で売る」みたいなところは腑に落ちました。起業本だけどブロガー本としても読めるかも。

自分の硬直した思考をほぐす、いいマインドセッティングになりました。

by wavesll | 2017-11-16 19:37 | 書評 | Trackback | Comments(0)

見城徹 藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 極端なまでに仁義を通す仕事心得本

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友に薦められた一冊。

幻冬舎の見城氏とサイバーエージェントの藤田氏がタイトルとなった『憂鬱でなければ、仕事じゃない』や『小さいことにくよくよしろよ』等、ハイヴォルテージな仕事論を語る一冊。

サクサク読める分具体的な掘り下げはそこまでないけれど、ホリエモンの『多動力』に比べれば内容は大分あったなと。こういう読書はエナジードリンクみたいなものですね。

見城氏はかなり体育会系的にがっつり語るのに対し、藤田氏がソフトに補助線を引く構成は読み易かったです。

要約すれば「小さなことにも手を抜かず人の機微にきめ細かく対応し、極端なまでに圧倒的な努力をして争いに勝つ結果を出せ」ということ。仁義を通すことの重要さが語られ、何か裏技を駆使して旨い汁を啜るというより、正面突破をガンガンガンガンガンガンやるという感じ。

『パーティーは無駄』という章には「パーティーではコミュニケーションの閾値を越えない」と思うので共感し、カラダを鍛えることの重要性を説く章なんかは私自身「精神力の8割は体力」とも想うなど共感しつつ、仕事で何度か鬱になった人間としては付いていけないと感じるところも多々ありました。

しかし結局は真っ当な努力を動き続けることの大事さが語られているのには感銘を受けて。

タカタといい神戸製鋼といい日産といい、日本のものづくりへの信頼が大きく崩れる今は『真面目、真っ当』が馬鹿にされ過ぎたか、ズルが『ハック』と持て囃されすぎたかとも想います。

「こんなにも尽くしているんだからこれくらいの汚点見逃してくれよ」という感情があったかもしれませんが、社会は良い点よりも悪い点が強く印象に残ります。積み上げた信頼のポイントも、不快さを撒き散らしては水の泡。最低限への社会的、公的仁義は通さねば評価が無碍になります。

「お客様は神様です」でのサービスのダンピングで囚人のジレンマのように日本社会はなっているように感じながらも、かといって削ってはならないところと削れるところの見極め、変革・進化へのシフトの選球眼が崩れては不味い。そうした今、本書の説教は響く気がしました。

無駄な因習からの解放と品質保持、そして創新の鼎立には人的資源が足りないのか。”価値を生むとは他者に真似できない水準で走り続ける事”と、ふむ。

私は仕事に走り続けるだけが人生でなく、心身を養いメンテナンスすることも営みを持続可能にするための労働者の仁義だと想いますが、それも含めて“正しい努力、正しい苦労の方向性”を示し、説明責任と結果責任を負う、そんな未来視の指導者が今この国には必要かとも想います。

『天使のようにしたたかに、悪魔のように繊細に』などには気持ちの良い応対をする人間の下には情報や人々が集まってくる実感があり、自分の中で再発見が多い読書となりました。『ヒットは地獄のはじまり』等は「それを結局力業で捻じ伏せるだけか」とも想ったりもしましたが、丁度いいカンフル剤になりました。

cf.
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳『道徳感情論』ー"もしアダ"が書きたくなる稀代の"いいね論"
by wavesll | 2017-10-12 21:37 | 書評 | Trackback | Comments(0)

梅棹忠夫『文明の生態史観』 國はその土地に住む人の欲するように成り立つ哉

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梅棹忠夫『文明の生態史観』を読みました。

梅棹さんは元々理系畑の人で。『ホモサピエンス全史』や『銃・病原菌・鉄』のように、科学的視座からスパッと一刀両断する論理が心地よかったです。

この本は非西欧の立場から世界の文明史を捉えた論文で、物な論点の一つは「日本は西洋とは平行して高度資本主義社会へ進化した」「ユーラシア大陸の両端は封建制からブルジョア革命を経て自立発展した高度文明社会である第一地域で、ユーラシア大陸の中央は帝国による専制が起こる第二地域」と"遷移"というモデルを使って解くというもの。

ユーラシアの真ん中には砂漠地帯があり、その傍らにあるオアシス・ステップ地帯で四大文明は生まれるが、ユーラシアの真ん中では暴力の嵐が吹き荒れ、文明の進歩がその時々破壊される。

それに対しユーラシアの両端は森林地帯で、開墾の必要性から最初期は文明はなかったが、第二地域の帝国をモデルとしたイミテーション国家が生まれ、その後地政学的に温室のように文明を発展させることが出来た。

というのが論旨。この本では東アジアで日本のみが第一地域であると語っていました。

しかしそこから60年の月日がたった今ではシンガポールや韓国を始めとしてAsiaが発展し、ちょっと梅棹さんの論は色褪せた部分はあるなと読みながら想いました。

しかし読み進めると東南アジアに関する論も語られ、ユーラシア世界を日本、西欧、アラブ・地中海、ロシア、インド、中国、そして東南アジアと東欧にわけてモデル化していて。

南北アメリカ、オーストラリア、アフリカが捨象されているのは残念ですが、西洋の視点に対抗する東洋からの視座だというのは意義深かった。

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今「東洋」と書きましたが、この本のもう一つの論点は「Asia・東洋とひとくくりにできない多様性がこれらの地域にはある」というもの。

そもそもこの本は梅棹さんのインド・パキスタン・アフガニスタン"探検"から生まれたものですが、インド地域までくると人種も違うし文化・文明も東アジアからは大きく変わるという気づきが根底にあったようです。それは西欧ともまた違った文明で。

そこでインド、アラブ・地中海地域を「中洋」と梅棹さんは名付けます。この視点は確かに大きなことで。無論西欧人から言わせれば、ヨーロッパもひとくくりにできないでしょうが、Asiaの多様性はその比ではない。

その上で「Asia」という共通意識を利用することは良くても、フラットな視点では事実を著わすべきだと梅棹さんは書いています。

彼の地政学的な論旨は、ともすると優生学にもつながる危険性があると僅かに感じたのですが、その土地の自然条件や文化地理的な位置から、そこに暮らす人たちが成していく社会には一定の法則がある、という観点は面白い。

その土地の人達が欲するように国は成していく、というのは、中国の共産党や、アラブの部族社会の中では専制的な政治体制でないと回らない、といったことは21世紀に於いても実行力のある論だと想いました。

本書では傍論ではありますが、文化的インテリについて語った章も面白かった。

なんでも日本の文化インテリは、政治家でもないのに政治家的な意識を持っている、政治家になれなかった人種が多い。

これは江戸時代の武士という文化的且つ政治的な実務家の流れが、近代に高等教育が普及し、文化インテリが増えて政治からあぶれたことに由来する。

今は政治と関わるのは文化インテリというより、実業インテリや技術インテリの比率が大きくて、寧ろ文化インテリは後進的、保守的な位置づけになっているが、科学技術や社会の暴走を抑えるブレーキとして機能はしている。

そもそもこういった政治志向を持った文化インテリは第一地域に広く存在し、例えばフランスなんかにもよく散見する。

といった具合が『文明の生態史観』の反応に対する講演で語られていて。さらっと云っちゃう辺りが理系学者っぽくて好きでした。

また"この時代は海外を旅するだけでも大きな価値があった頃なんだなぁ"という憧憬もありました。今はインターネット社会で、海外旅行も限られた人のみが出来るわけではないから、昔の方が"旅人"に価値があったのだな、と。

大航海時代というか、世界が既知で埋め尽くされ小さくなる前の、Asia旅記としても非常に面白く読めた本書。日本が如何に「平行進化」したかが語られる「近代日本文明の形成と発展」も収録。同じく梅棹さんの『知的生産の技術』と合わせてお薦めです。
by wavesll | 2017-07-27 20:34 | 書評 | Trackback | Comments(0)

アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳『道徳感情論』ー"もしアダ"が書きたくなる稀代の"いいね論"

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アダム・スミス 著, 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』を読んでから、"次は『道徳感情論』だな"と考えていて。訳の読み易さから日経BP アダム・スミス (著), 村井 章子 , 北川 知子(翻訳) 『道徳感情論』を手に取りました。

「人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、なおその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる」

"人間は自己利益を追究する生物だ"という『国富論』に対して、"ヒトは共感によって行動する"という『道徳感情論』、実際に読んでみると現代においては極めて優れた"いいね論"であり、『もしもいいねが欲しくてたまらないSNSユーザーがアダム・スミスの『道徳感情論』を読んだら』という二匹目のどじょうを狙いたくなるネタ満載のクラシックでした。

アダム・スミス教授は、確かに"ヒトは共感するもの"と書いているのですが、"何を良しとするか"について極めてシビアな共感の条件を挙げています。

例えば"怒りや悲しみ、憎しみに人は共感するどころか怒っている人に不快感を覚える"だとか、"喜びには比較的共感しやすいがそれは嫉妬心がない場合に限り、大きく儲かったとかよりも些細な喜びが共感を集めやすい"だとか。

中でも心に残ったパンチラインは”隣人が愛せる以上に自分を愛してはならない”。「汝のごとく汝の隣人を愛せよ」から更に進んだ、客観性の極致がこの思想にはありました。

"いいね"をもらうだけでなく、"自分が他者にいいねする"事についてもスミス教授は示唆を与えています。"いいね"を大盤振る舞いしても有難がられず、根拠がきっちり相手も理解できる時に恩賞を与えるのが効果的だと。

ここら辺は私自身は異論もあって。常にポジ出してくれる人は嬉しいし、幸せの閾値を下げると当人もよりHAPPYになるのではと実感から想いました。

アダム・スミスはかなりエスタブリッシュメント寄りな論客で。権力と財力がある人をヒトビトは尊敬するし、そうした貴族が素晴らしい流行を生み出したりする、寧ろ革新勢力は世の中の秩序を乱すことも往々にしてあるし、という論を述べています。

貧乏人が資産家・権力者を目指すのは犠牲にするものが大きすぎる、なんて話は現代社会では馴染まない考えにも感じました。ちょっとスミス教授は保守的にすぎる感もありました。

そして『道徳感情論』の思想の大きな特徴は"『自然』を受け容れる"ということ。
共感の心の行き届く範囲も、遠い地の大災害よりも自分の些細な傷の方が大きく感じるのは自然だと。

陰鬱な哲学者は"全世界で悲惨な暮らしをしている人がいるのに幸福を享受するのは罪だ"というけれど、それは"自然"から求められるところではない、というアダム・スミスの論。

スミスは本書で"自然"を神だとか本能と言った意味で使っていると感じました。神の見えざる手ならぬ"自然の見えざる手"が人間心理を情操していくと。アダムスミスの保守思想は、"神が創ったこの"自然"世界を肯定する"という宗教心から生まれているように想います。

"自然"からすれば、何かの"いいね"を言うことは善だけれども義務ではなく、されなくても文句は言えない。
胸中の第三者の視線に応えることが素晴らしい姿勢で、そこに応えている限り、自分自身を誇れるというスミスの思想は強靭な人間工学だと感じました。

人間工学という意味では、スミスは"美の感性"についても語っています。
人の感性はみなれた慣習や流行に影響を受けるし、一番美を感じるのは、平均値・中庸の美だと。

確かに石原さとみなんか見ていると色んな女性の表情が宿っているというか、イデア的なものに美を感じる仕組みが心にはあるのかも、なんて思いました。

アダム・スミスが"いいね"という人間は思慮深い人間、適切さのある人間、他者には寛容で慈悲深く心動かされ、自分のことには微塵も動揺しない人。

また、自尊心や虚栄心は不快さを他者に感じさせることもあるけれど、多くの人はその人の自己評価以上に敬意は払わないから、卑屈な態度よりかは自尊心や虚栄心のある方が好ましいと述べています。

徳への愛、真の栄誉を得ることは偉大なる目標だとスミスは言います。

最大に"いいね"がされる生き方は称賛や褒められることを欲するのでなく、称賛、褒め、"いいね"に値する人間になることを欲するべきだと。これもまた真理ですね。

この読書では数奇なセレンディピティも感じて。訳者後書きを読むとこの本は『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』を訳した山岡 洋一さんの葬儀時に村井さんが名乗り出で、その遺志を継いで行われたプロジェクトだったとのこと。

日経BPの『国富論』もそうだったのですが、本書も非常に読み易く、こうした志のある翻訳書は日本の宝だなと想いました。

経済学とは価値観の学問だという想いをより強くする、社会哲学の書、堪能しました。
by wavesll | 2017-07-13 19:01 | 書評 | Trackback | Comments(0)